私、信長の野望(ゲーム)をプレイする時には、必ず地元の長宗我部氏、もしくは武田氏を選びます
武田勝頼の
歴史勉強会の時に、歴史民俗資料館の館長さんである、宅間先生に何度かお会いして、長宗我部ファンクラブの事などご紹介を受けました。
それで今年の夏頃に早速ファンクラブへの申し込みが出来たわけでございます!
今回は長宗我部ファンクラブ事務局の谷口様よりご案内を頂きまして、念願叶い、先週の土曜日(17日)に、長宗我部ファンクラブは、はりまや町の会合場所「ゆうあい工房」へ行って来ました。(午後7時より)
良かった、楽しかったぜよ!

武田勝頼没後400年記念フェス【秋の陣】10月10日には、
ファンクラブの島本さん等が来られておりまして、元親くんのキーホルダーまで頂きました。宝物にしますね。
遠路、市内から山奥の山奥、仁淀川町の大崎八幡宮まで夜に来て頂いたわけですから、嬉しかったですね。ありがとうございます
ファンクラブの事務局前へ行くと谷口様が待っていてくれて、中へ案内して頂き、入ると400年祭に来て頂いた島本様(小浜亭馬楽様)、それからテーブルを囲んで数名の方が座っておりました。
7時半ごろには、その日来られる会員の方が揃われた様で、溝渕様が作られたカレーライスを晩ご飯にされたりしておられました。
ファンクラブ会長の田岡理恵さんとも初めてお会いしました。
ブログの写真でも何度か見た事はあります、気さくな感じで、また若い方でした。近くまで来られましたらご案内したいと思います!
私も自己紹介をさせて頂き、また武田勝頼土佐の会が発足して400年までの(裏)道のりなども簡単に話させて頂きました。
それと、事務局代表の溝渕様と話していると、私の津軽三味線の先生の話しが出てきて、先生も長宗我部ファンクラブの方へ来る事があるんだー!!

とホント驚きました。
実際に先生の
携帯にも取り次いでくれましたし、なんか縁を感じて嬉しかったー

当日会へ来られていた方々は、諸々末裔にあたる方や若宮八幡宮の方、地域で様々な活動に力を入れておる方々など皆様とてもステキな方たちでした。
※※※会の(略)内容は※※※■11月21日(土曜日)~23日(月曜日)に行われるツアーの内容を中心に、進められました。
ツアーは、高知県歴史民俗資料館・宅間館長による全面
プロデュースです!ツアー内容の詳細な調整などが行われておりました。詳細は後記します。
または、詳細をファンクラブのブログよりどうぞ!(クリック) 来られた方へのサービス内容などが、スムーズに話し合われておりまして、勝頼土佐の会でも、来られた方へのサービスとして、何か提供できるもの、販売できるもの、と考える事が多く大変参考になりました。
私も出来ればツアーに参加したいのですが、仕事などが入っておるので、ん~何とか日帰りツアー行きたいですね。 さて
■11月11日(水曜)にも
長宗我部を語り合う会が「ゆうあい工房」にて開催されます。
講談師の小浜亭馬楽様によりまして、土佐日記が20分くらいの時間で講じられるとの事で、これは
チェックですよ!
勝頼の会や、興味のあるメンバー達と共に行ければと思いますね。
詳細などは、「ゆうあい工房」へ直接問い合わせて見て下さい。
参加費は300円(飲物代込み)
1,000円(食事代込み)となっておったようですが、
こちらも要問い合わせの事。
私にメールくれても大丈夫です freetempo@agate.plala.or.jp
「ゆうあい工房」長宗我部ファンクラブ
住所:高知県高知市はりまや町3-20-1
地図
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大きな地図で見る ファンクラブ会員様の話は、午後9時を過ぎたあたりから、史料の内容に関する研究をされておる方から色々な話しを聞く事が出来て面白かったです
長宗我部元親の事についてある程度しっておられる方ならご存じの
「鳥無き島の蝙蝠(とりなきじまのこうもり」
この解釈について、元親が信長に馬鹿にされたと思っておったのですが、これに関して全く逆、いや逆ではないかも、素晴らしい考察をされていた方がおりまして、それを聞いたとたん鳥肌が立ちました
織田信長と中島可之助(なかじまべぐのすけ)の間で非常にレベルの高い会話、いやこれは静かな戦いかも
がされていたのであります。 どういう内容か話したいですけど
私がここで公開する訳にはいきませんので、
ぜひ長宗我部ファンクラブへ足をお運び下さい。
大河ドラマ化された時に絶対に入れて欲しいエピソードであります!
ちなみに、中島可之助(べぐのすけ)とは 文武両道にとても優れた若い武将で。
元親が、長男弥三郎の烏帽子親を織田信長に依頼しようと思い、使者として元親自信が選んだのが中島可之助でした。それほど信頼を置いてあった人物です。
命を受けた 可之助は尾張に出向き、斉藤利三から明智光秀を通して織田信長と直接会う事となりました。
可之助が内容を述べると信長は
「元親は、鳥無き島の蝙蝠なり」
と元親をけなした。(と考えられておりました)
すると可之助はすぐさま、
「我が君主は、蓬菜宮の寛典に候」
と堂々とした口ぶりで答えた。
信長は可之助の物怖じしない態度と返答を誉め。烏帽子親の件を承知し、弥三郎に自分の「信」の字を与えた。 となっております。
ちなみに土佐の「中島氏」は「長宗我部氏」の分流である事が分かっております。 さて、勝頼達が落ち着いた、大崎、そして大崎八幡宮のあった場所に先に居住しておったのは「中島氏」であります。
中島家はまた勝頼達が眠っておる墓の前に建っておる「鳴玉神社」の施主であった事で知られております。また大崎八幡宮の建て替えの時にも中島家は関わっており、現在でも仁淀川町の中島家は昔から勝頼との関わりが深かった事で知られております。
さらには、勝頼は中島家に感謝したであろうと思われる行為も見られております、これには説明が長くなるので、今度「中島家の集い」を行った上で、色々とご報告させて頂こうと思います。
さらには、香宗我部氏が勝頼達を大崎の寺村へ導いておるのですが、この時の香宗我部氏は、長宗我部元親の弟である親泰が養子として香宗我部氏の元に入ってきており、勝頼が入ってきた時代の土佐の寺村は長宗我部氏との関わりが濃厚であった事が伺われます。
更に、更に、「寺村」という地名は全国を調べて下記の3カ所
・愛媛県上浮穴郡小田町寺村
・高知県香美郡夜須町寺村
・高知県吾川郡吾川村寺村
寺村という姓も在りまして、勝頼の三男が寺村姓を名乗っております。
寺村姓というのは、香美郡の発祥の可能性が言われており。
長曾我部、香宗我部は共に蘇我氏の子孫のようで、このうちの土佐国長岡郡に在る者を地名に因んで長曾我部、同じく香美郡に在る者を香宗我部と称したとのこと。
時期がはっきりしている資料では、慶長4年(1599年)に死去している長曾我部元親の墓碑に寺村清右衛門の名が有り。また、時代がはっきりしませんが、香宗我部家臣に寺村喜助がある、とのこと。
この名前は、武田家の系図にも出てくるとの事、これはいずれ発表しましょう!長宗我部氏との関わりが更に濃厚になりました。
「姓氏苗字事典(金園社)」によれば、
「寺村」:地名による。(中略)また土佐では長曾我部あるいは香宗我部の家臣など。家紋三つ柏。
と書かれてあるとの事です

※ちなみに、現在の寺村には、寺村姓の人が一人もおりません、何があったのか??
こう考えると長宗我部氏との関わりが無いと、勝頼達が土佐の大崎に来る事は出来なかったんじゃないかとすら思えてくるのです。
この辺りはまだまだ調査が必要です。 てなわけでございまして、楽しい話しが沢山出来ました!
気がついたら、夜の11時を過ぎておりました(笑
時間を忘れて楽しんでました!

長宗我部ファンクラブの皆様には感謝しております

私もファンクラブの一員でありますし、今後は会の活動も手伝い、
高知の文化に興味を持つ者をどんどん増やして参りたいと思っております。
