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長宗我部ファンクラブ通信・・・2012年 文月号(7月8日発行)

2012-07-10 | 長宗我部なんでも情報

長宗我部ファンクラブ通信・・・2012年 文月号(7月8日発行)

こんにちわ。毎日がジメジメしていて、なかなかに梅雨明けは遠そうですね。

 今月から長宗我部ファンクラブのメルマガ等の編集を任されること
新編集長になりました、坂崎史佳と申します。これからよろしくお願いします。
 突然のことにまだちょっと戸惑っていますが、長宗我部氏や本山氏や安芸氏、
一条氏といった土佐の戦国時代を盛り上げるためにもこれから色々と情報発信
をしていきたいと思います。その中でこのメルマガの形も今までとは違った形
になるかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします。

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┃(1)6月8日(金) 長宗我部を語る会が開催されました。
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 この日は長宗我部元親の父親であり、長宗我部氏再興の礎を築いた
長宗我部国親を中心に国親にいたるまでの初代・秦能俊から一族の変遷を語り
あいました。
 信濃国にいた能俊がなぜ、土佐国に来たのか不明なところがあったり、
十七代元門が当主の座を追われ蟄居した理由についての推測、国親と
その妻である祥鳳の夫婦仲(笑)等々、馬楽さんが用意してくれました資料を
基に、それぞれの意見を語り合ってみました。
  もちろん、我々は学者ではありませんので、根拠がなくとも推測や各々
考えたことを自由に話してみました。
  坂崎の個人的意見ですが、能俊さんが土佐に来たのは同じ秦河勝を祖とする
秦氏が土佐国に飛鳥時代に来ている事が要因ではないかと思っています。
あ…この根拠は土佐神社の変遷を記した看板に、秦河勝さんのお孫さんが
国司として土佐に赴任してきていることが記されていたからです。
 馬楽さんは国親と祥鳳の夫婦仲は長女(本山茂辰室)と元親の歳が離れすぎ
ているので、美濃斎藤家の再興が不可能となるまでは仮面夫婦でなかったかと
言われていましたね…。

  次回の語る会は、7月13日(金)19時より行います。次回は
長宗我部元親とその兄弟・子息たちについて語る予定です。ちょっと人数が
多いので8月の語る会と前後編になるかも…です。

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┃(2)7月28日(土)・29日(日)17時から鏡川河畔で土佐の宵祭りが行われます。
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 長宗我部ファンクラブも参加しています。今回は怪談小屋をお借り
しまして、『土佐の怪談』を語ることになりました。
  内容として、入場料100円にて土佐に伝わる怪談小話を馬楽さんが
15分/3話語ります。長宗我部に関する会談として、20時より
『七人ミサキ』の怨霊譚を講談します。
  怪談の他、法被とフェイスタオル、クレイアニメDVD(講談編)の
グッズ販売もします。グッズ購入者には怪談話の入場料に特典が付きます!!
 ぜひ、誘い合ってお越しください。意外と知らなかった土佐の怪談が聞ける
かもしれません。

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┃(3)7月23日(月) 香美市の津野神社にて夏祭りが行われます。
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 祭神は元親の三男・津野親忠公になります。夏祭り、と言っても僅かばかり
の境内と鳥居、小さな社殿のみの大きな神社ではありませんので盛大な!
とはいかないでしょうけれど。
 この方は幼いうちに津野家に養子に出され、四国征伐降伏後には秀吉に
人質として差し出されて上方に数カ月留め置かれ、長兄・信親死後には
家督相続最有力候補となりましたが、親忠を推す一派は元親により粛清され、
弟の盛親が嫡男となりました。さらに文禄・慶長の役では朝鮮半島の
駐留部隊の指揮を元親に命じられて、父・元親と弟・盛親が日本へ土佐へと
帰国する中、出兵が取り止めになるまでの実に6年もの間、異国の最前線で
過ごしています。やっと帰国したかと思うと、今度は元親によって
津野家所領から遠く離れた香美郡岩村寺に蟄居・幽閉されます。
津野家家臣や領民との交流も許されず、連絡すら絶たれました。元親死後も
幽閉は解けず 、元親の息子でありながら長宗我部家の行く末 には関われ
なかった。そして、長宗我部家の為にと秀吉の人質時代に築いた人脈を通じて
徳川と交渉し、家名と領地の安堵を取り付けた結果、盛親の命により切腹と
なりました。久武親直の讒言とも独断とも言われていますが、亡くなったのは
変わらない事実です。
 この方の死後、岩村寺は親忠の戒名にちなんで孝山寺と改名しましたが現在は
廃寺となり、津野神社北側に御堂らしき建物と背後にあるお墓の一群がかつての
寺であったことを語るのみです。
 津野神社の社殿地下には親忠公の遺体があると伝わっています。元親や信親、
盛親の影に追いやられている感じの方ですが、この方がもし長宗我部家を継いで
いたなら、土佐の歴史は変わって、幕末に果たした役割も違うものになっていた
かもしれません。いわゆる歴史のターニングポイントだった方だと思います。
そんな方に思いを馳せてみませんか?

==編集後記==
 梅雨明けは遠く、湿気が多くて温度が高い蒸し暑い日々が続きそうです。
熱中症等が増える時期でもありますので、こまめに水分を取り体調に気を付けて
くださいませ。
 戦国期の方々はこの時期、どう過ごしたのでしょうね。この時期は夏草が生えて
中々史跡めぐりも難しいのですが、土の地面を打つ雨に昔を思い浮かべるのも
楽しいかもしれませんね。
 では、今回は失礼いたします。

■ ご意見、ご感想などはお気軽にどうぞ!
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発行    :長宗我部ファンクラブ
お問合せ  :dokodemodoa0328@yahoo.co.jp

 

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