今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 30 (小説)

2015-12-28 10:26:50 | 小説、残酷な歳月(16話~30話)


残酷な歳月
(三十)

(ヒマラヤに向かう)
ジュノの体は激しい熱と悪寒の繰り返しで、まともに、冷静な精神ではなく、判断が出来ない、時として、粗暴な心で、悪態をつく、なさけない男としての姿だった。

だが、体はどうであれ、プライドと羞恥する思いが、ジュノの中でせめぎ合いをする。
養父母の優しさは、以前にもまして、暖かい心使いが、嬉しいが、その半面、ジュノは、三十八歳になる、大人でもあるわけで、時には、子供じみた、物言いが、ジュノの全身から鳥肌がたつほどの、嫌悪感を覚えてしまう!

養父母の行き過ぎた愛情は、時として、ジュノは、ふたりが大切にしている、愛玩物として共有する気持ちで、見ているのではないかと、疑う、錯覚さえ感じてしまう。

ジュノ自身の邪心であることは、わかりきっている事なのだが、確かな事は、深い愛情を持って、ジュノを案じていてくれる、今の父と母の心はわかっている。

そんな、いこじさと心の狭さを自覚した時、とても、ジュノ自身を苦しめ、寒々とした虚栄する自分をすべて、消し去りたいと言う声が囁く!

ふと、冷静になれた一瞬、このままの状態では又しても、養父母の心を踏みにじる事になってしまうけれど、ジュノは、外科医として、もうダメなのだと悟る。

『メスを持つ事は出来ない』
『外科医を続けてはいけない事!』
『今までの名声がひどく重くて、負担に感じて』

外科医としての立場のジュノではなく、そこにいる人間は、両手をもぎ取られた感覚で、ジュノ自身が見えていた。

今のジュノ自身の精神と体から判断した答え!
考え抜いて出したジュノの判断!

勤めていた大学病院へ、辞表届けを出して、誰にも、告げる事もなく、ひとりで、旅に出た、ただただ、今、この場所から、自分を消し去りたい思いにかられて・・・

旅支度も何もせずに、無意識に選んだ旅先は、ネパールだった。
加奈子といつか、時間をつくって行く約束の地、ネパール!、

加奈子の憧れの山!
『アムダムラム』

ふたりが愛し合っていた頃、加奈子の願いは、いつか、ジュノが雪山を登る事に興味を持って欲しかった事。

加奈子は言葉に出す事は無かったが、ジュノとふたりでザイルを結びあい、緊張感ある、雪壁のナイフリッジを、ジュノと加奈子の緊張感を最大に高めて、心をひとつに出来た時!

今までとは、全く違う、二人の幸せの絶頂感を体のすべてで感じられる事を加奈子は望んでいた。

もちろん、登山中は、恐怖と張り詰めた緊張感で、その時は集中しているけれど、登山がすべて、やり遂げた時、言葉で表現出来ない、幸福感が、心と体を、津波のように、次々と感じられる。

それは、気持ちの高揚と体がふわふわとした、ただ、嬉しさが、全身を包んで、溶けてしまうのではないかと思えるほど、幸福で、たぶん、体験した者でないと実感出来ない事だと思う!加奈子は、そんな感覚をジュノに体験して欲しかった!

『そんな時期が来たら、二人でヒマラヤに行く事!』
その時が来るまで!
『アマダブラム』
は、楽しみに、残しておくはね!

この言葉を加奈子は遠慮がちに、ジュノに言った事を覚えていた!だが、ジュノ自身は、あの穂高での事故以来、登山は好きになれなかったが、心のどこかで、いつも気になる事でもあった。

その辺の事を、加奈子は常にジュノへの気づかいが出来すぎるほどの繊細な気配りの出来る最高の女性であった。

どんなに加奈子自身の欲望が深い事であっても、決して、ジュノに対して、強い要求はしない!

加奈子の強い思いであっても、お互いの立場や仕事の忙しさも考えた、加奈子の思慮深さと、心からの願いだった。
「いつか、ふたりで、ヒマラヤへ向かう!」

ジュノに対する、深い愛情を感じた、そんな時、ジュノはいつも、すまなさと、ジュノの欺瞞に満ちた、ジュノ自身の醜さを恥じるばかりで、加奈子に、申しわけない思いで、自らの胸を突き刺す、痛さを感じていた。

ジュノは旅立つ前に、今まで務めていた、病院の近くにある、旅行社の「アドベンチャーガイズ社」を、何気なく、目にして、心をひかれて、思わず飛び込んだ。

加奈子のお気に入りの登山家が所属している会社だった。

この旅行社に、入った時も、ネパールへ向かう事を、確かな事と決めていたのではなく、ただ、ジュノを知る人が誰もいないところへ、行きたかった。

ジュノ自身の意志があったのかさえ、定かではなかったが、たぶん、無意識の中で、加奈子との約束を果たしたいと言う思いがあったのだろうか?


つづく




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