私が最後に行った海外旅行はといえば、2007年クリスマス頃の中国は北京。
オリンピックは2008年の夏だったから、オリンピック開催半年前の北京だ。
空は既に曇っていた・・・。
中国については色々な報道がなされる。
明らかな偽某有名キャラクターを使ったテーマパークの存在や、やたらと何かに挟まれる中国人の子供たち、時に過激化する反日運動。
日本に来れば爆買いで、中国人のマナーについても面白おかしく報道される。
でも、私がたった数日だが、生で垣間見た中国や中国人は、それほど怪しいものだったのか?
答えは、ノーだ。
20代のうち、数々の国を旅行してみて、これほど温かさを感じたことはあったろうかと思うのは、北京の胡同地区(世にいう“旧市街”のような感じ)
の人力車のおじさんがかけてくれたボロボロの毛布の温か
さだ。
これは思い出して、人に話そうとするだけで涙ぐむ。
人力車のおじさんはいかにも貧しく、日々の暮らしは大変だろうと推測されるのに、冬の北京で、縮かんだ私たちの膝にいかにも優しく毛布をかけてくれた。その穴あき毛布の暖かったことといったら、言葉に尽くせない、忘れられない思い出だ。
そのほかにも、中国の100円ショップの店員の若い子なんかも、反日感情どこへやら、親切で親しみを感じた。
前置きが長くなったが、そんな思いを抱えたまま、最近ハマッている星野博美さんの『謝々!チャイニーズ』を読んだのだ。
本書は、1993年、94年頃に中国の南の方を一人旅した著者の鮮明な記録だ。
読んでみるとわかると思うけど、私は一章一章読んでいて、随所涙ぐんだ。
泣かせようと思って書いてるんじゃない、面白くてクスっと笑ってしまうところも随所にある。
だけど私は悲しくて、大事に大事に読んだ。
芸能人の名前ばっかりで、軽く書いた中身のない本と、星野さんのこの本が同じような値段で売られるのはまったく納得いかない。
星野さん同様、私もこの本を読んで大いにとち狂った自分の目を多少なりとも覚まされた。
中国人のホスピタリティの深さはスゴイ。
オリンピック誘致に一役買った「お・も・て・な・し」の心も、本書に出てくる中国人の前に、全く恥ずかしくなる。
私も、ケチな自分に心底嫌気がさした。
見習うべくは、中国人のホスピタリティだ。
私に出来るだろうか・・。
最後に、本書に出てくる印象的な文章を幾つか紹介したい。
「私が訪れた場所の多くがガイドブックからは存在を無視された場所だったため、結果としてそこには日本人はいなかった。いまや世界じゅうどこにでもいる日本人、という定説が真っ赤な嘘であることを私は断言する。多くの若者がいるのは、『地球の歩き方』という世界の上だけだ。~中略~地球の歩き方など存在しない。あるのは自分の歩き方だけだ。」
「彼らは食い、働き、眠る。時々、さぼる。自分が生きるためには嘘もつくし、人をだましもする。人間が生きるためにすることを、徹底的にする。
中国にいる私はまるで、野良猫の縄張りのど真ん中に、ある日突然放されてしまった飼い猫だった。彼らの生に対する執着を目の当たりにして、素直に驚いた。~中略~私は中国の人たちから、本来なら自分の成長過程で学ばなければならなかった、生きるための方法を教えられた。食べることも、眠ることも、商売人との交渉も、自分の身を守ることも、自分を主張することも、待つことも、怒ることも、泣くことも、人生にはどんないいことも悪いことも起こりうるということも、その一つ一つがとても大事なのだということを。中国人は私の学校だった。」
オリンピックは2008年の夏だったから、オリンピック開催半年前の北京だ。
空は既に曇っていた・・・。
中国については色々な報道がなされる。
明らかな偽某有名キャラクターを使ったテーマパークの存在や、やたらと何かに挟まれる中国人の子供たち、時に過激化する反日運動。
日本に来れば爆買いで、中国人のマナーについても面白おかしく報道される。
でも、私がたった数日だが、生で垣間見た中国や中国人は、それほど怪しいものだったのか?
答えは、ノーだ。
20代のうち、数々の国を旅行してみて、これほど温かさを感じたことはあったろうかと思うのは、北京の胡同地区(世にいう“旧市街”のような感じ)
の人力車のおじさんがかけてくれたボロボロの毛布の温か
さだ。
これは思い出して、人に話そうとするだけで涙ぐむ。
人力車のおじさんはいかにも貧しく、日々の暮らしは大変だろうと推測されるのに、冬の北京で、縮かんだ私たちの膝にいかにも優しく毛布をかけてくれた。その穴あき毛布の暖かったことといったら、言葉に尽くせない、忘れられない思い出だ。
そのほかにも、中国の100円ショップの店員の若い子なんかも、反日感情どこへやら、親切で親しみを感じた。
前置きが長くなったが、そんな思いを抱えたまま、最近ハマッている星野博美さんの『謝々!チャイニーズ』を読んだのだ。
本書は、1993年、94年頃に中国の南の方を一人旅した著者の鮮明な記録だ。
読んでみるとわかると思うけど、私は一章一章読んでいて、随所涙ぐんだ。
泣かせようと思って書いてるんじゃない、面白くてクスっと笑ってしまうところも随所にある。
だけど私は悲しくて、大事に大事に読んだ。
芸能人の名前ばっかりで、軽く書いた中身のない本と、星野さんのこの本が同じような値段で売られるのはまったく納得いかない。
星野さん同様、私もこの本を読んで大いにとち狂った自分の目を多少なりとも覚まされた。
中国人のホスピタリティの深さはスゴイ。
オリンピック誘致に一役買った「お・も・て・な・し」の心も、本書に出てくる中国人の前に、全く恥ずかしくなる。
私も、ケチな自分に心底嫌気がさした。
見習うべくは、中国人のホスピタリティだ。
私に出来るだろうか・・。
最後に、本書に出てくる印象的な文章を幾つか紹介したい。
「私が訪れた場所の多くがガイドブックからは存在を無視された場所だったため、結果としてそこには日本人はいなかった。いまや世界じゅうどこにでもいる日本人、という定説が真っ赤な嘘であることを私は断言する。多くの若者がいるのは、『地球の歩き方』という世界の上だけだ。~中略~地球の歩き方など存在しない。あるのは自分の歩き方だけだ。」
「彼らは食い、働き、眠る。時々、さぼる。自分が生きるためには嘘もつくし、人をだましもする。人間が生きるためにすることを、徹底的にする。
中国にいる私はまるで、野良猫の縄張りのど真ん中に、ある日突然放されてしまった飼い猫だった。彼らの生に対する執着を目の当たりにして、素直に驚いた。~中略~私は中国の人たちから、本来なら自分の成長過程で学ばなければならなかった、生きるための方法を教えられた。食べることも、眠ることも、商売人との交渉も、自分の身を守ることも、自分を主張することも、待つことも、怒ることも、泣くことも、人生にはどんないいことも悪いことも起こりうるということも、その一つ一つがとても大事なのだということを。中国人は私の学校だった。」