大正5年創業の当店ですが、戦前の写真は戦災で焼失してしまい残っておりません。これらの戦後の写真ではありますが、隔世の感があります。
① ②
戦後まもなく、戦地から復員して来た先代が営業を再開しました。当時は小麦粉が統制されていたためパン屋を営むことができず喫茶店を経営しておりました。①白い暖簾に『喫茶コテイ』の文字が見られます。②空き缶を利用して作った看板「おしるこ コテイ」と書かれています。敗戦で疲弊した当時の人々にとって甘味は何よりの活力源であり、心の慰めであったことでしょう。昭和20年代前半の頃の写真です。
③ ④
昭和30年代になると世の中も復興してきて、当店も木造モルタル造りとなりました。③パン屋も再開しましたが、喫茶店と併せての営業がしばらく続きました。店のテレビの 力道山のプロレス中継 に沢山の人が集まり熱狂し、現代のスポ-ツカフェの様な情況でした。④当時の看板と現在の店主の子供時代の姿です。商品価格と電話番号に時代の流れを感じます。
④ 現在
昭和40年代になると改築して④パン屋だけの営業になりましたが、仕入れの菓子類のほうが多くパンはごく一部でした。コンビニもスーパーも無かったこの時代にはパン屋より菓子屋としての需要の方が多かったのでした。早朝の仕事開始時間から夜遅くまで店を開けていたのでコンビニに似た役割を果たしていました。
『横浜ノスタルジア』昭和30年頃の街角(広瀬始親写真展)
現在、横浜都市発展記念館で古い横浜の街の写真展が開催されています。今となっては貴重な資料となった沢山の街の表情が楽しめます。 会場周辺地図
開催期間 2月1日(木)~4月15日(日)
昭和30年代に関する商品はコチラでご覧下さい。
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戦後まもなく、戦地から復員して来た先代が営業を再開しました。当時は小麦粉が統制されていたためパン屋を営むことができず喫茶店を経営しておりました。①白い暖簾に『喫茶コテイ』の文字が見られます。②空き缶を利用して作った看板「おしるこ コテイ」と書かれています。敗戦で疲弊した当時の人々にとって甘味は何よりの活力源であり、心の慰めであったことでしょう。昭和20年代前半の頃の写真です。
③ ④
昭和30年代になると世の中も復興してきて、当店も木造モルタル造りとなりました。③パン屋も再開しましたが、喫茶店と併せての営業がしばらく続きました。店のテレビの 力道山のプロレス中継 に沢山の人が集まり熱狂し、現代のスポ-ツカフェの様な情況でした。④当時の看板と現在の店主の子供時代の姿です。商品価格と電話番号に時代の流れを感じます。
④ 現在
昭和40年代になると改築して④パン屋だけの営業になりましたが、仕入れの菓子類のほうが多くパンはごく一部でした。コンビニもスーパーも無かったこの時代にはパン屋より菓子屋としての需要の方が多かったのでした。早朝の仕事開始時間から夜遅くまで店を開けていたのでコンビニに似た役割を果たしていました。
『横浜ノスタルジア』昭和30年頃の街角(広瀬始親写真展)
現在、横浜都市発展記念館で古い横浜の街の写真展が開催されています。今となっては貴重な資料となった沢山の街の表情が楽しめます。 会場周辺地図
開催期間 2月1日(木)~4月15日(日)
昭和30年代に関する商品はコチラでご覧下さい。
近所に住んでいたら、間違いなく小銭握り締めて毎日通うお得意さんになってます
『COTY』と言う名前を、先代からずっと守り続けて居るんですね
愛が感じられます
ぜんざい50円って、現在ではどれぐらいの価値なんでしょうかね??
昭和40年代のお店は、行った事ないのに、ほんと懐かしいです。
大正5年って、もうすぐ100周年ですね。
いつもは10円のお菓子を買って、たまに20円使うとスゴク贅沢をしたような気持ちになってました♪
当時の50円は、今の500円ほどでしょうか…
先日から数度シベリアなど頂きすっかりファンになりました。拙いブログの記事に取り上げさせていただき
HPとブログの幾つかの記事もリンクさせていただきました。
そのうち2点をTBさせていただきましたので
どうぞよろしくお願いします。もし記事内容などに問題等ありましたらコメントなどでご連絡下さい。
おいしいパンをいつもありがとうございます。
自宅からは少し遠いのですが、またぜひロックケーキやタマゴぱんも買いに行きたいと思います。
どうぞお体に気を付けて素敵なお店を続けて頂きたいと願っています♪
また横浜にお出かけの節には、是非お立ち寄り下さいませ。
今後とも当店・当ブログをよろしくお願い申し上げますm(__)m