織田信長は、永禄3年(1560)5月19日、
桶狭間の戦いで今川氏を破り
戦国時代の重要な転機を作りました。
前夜の5月18日夜半に清洲城で軍議を開いた信長は
19日未明、清洲城で「敦盛」を舞った後
小姓5騎のみ従えて桶狭間に向かって飛び出します。
その時の様子を『信長公記』では次のように伝えています。
【原文】此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。
人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、
螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、
御甲めし候ひて御出陣なさる。
【現代語訳】人間の一生は、五十年に過ぎない。
天上世界の時間の流れとくらべたら、まるで夢や幻のようなものであり、
命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。
まず謡曲「敦盛」のこの一節を謡い舞い、
法螺貝を吹け、具足をよこせとおっしゃって、具足を着け、
立ったままご飯を食したあと甲冑を着けて出陣された。
後を追う軍勢を熱田神宮で集結させた信長は
戦勝祈願を行いました。
信長3000の兵に対して今川義元の2万5000の大軍でしたが
義元を討ち取り天下に名をあげました。
その戦勝のお礼として寄進したのがこの築地塀(信長塀)です。
日本の歴史上最も華々しい逆転劇と言われる有名な戦いとなりました。
いっそのこと、5月19日は逆転勝利の日にしたいくらいですね(笑)
土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねて作られています。
兵庫西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに
日本三大土塀とされています。
かなり長い土塀で、伏見通沿いの
「自動車のお祓い入り口」から奥をのぞくと
こんな風に塀の端が見えました。
熱田神宮境内案内
5月は信長月!と言うくらいいろいろな出来事がありますね~
・5月11日 安土城完成(1579年・天正11年)
・5月12日 信長の誕生日(1534年・天文3年)
・5月19日 桶狭間の戦い(1560年・永禄3年)
・5月21日 長篠の戦い(1575年 天正3年)
・5月27日 安土宗論(1579年・天正11年)
そして6月2日は『本能寺の変』で命日。
京都の元本能寺には、この日に信長茶寮がオープンするそうです!
以前は観光的なものは何もなく、記念碑しかなかったので
これで史跡も有効活用されますね⇒参考2011年6月記事