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韓国旅行記 8 あわび粥 キョンボックン チャンドックン

2010-10-04 09:00:04 | 韓国
3日目の朝食はニューソウルホテルのROOM201「松竹」というところでおかゆを食べる。
「あわび」と「野菜」のおかゆがチョイスできる。

実は、昨日のマッサージの揉み返しか、旅の疲れか、頭痛、胃痛になっており、
あまり食欲がなく、味をほとんど覚えていない。残念!。



3日目は朝鮮王朝の宮殿めぐりである。韓国は宮殿と門と城壁の町であった。
今日はそのうちの2つキョンボックン(景福宮)とチャンドックン(昌徳宮)に行く。

キョンボックン(景福宮)はテジョ(太祖:建国者の意)のイ・ソンゲ(李成桂)が建設した宮殿。

宮殿の入り口の門から、公式行事・外国使節接見用の建物、王の執務のための建物、
王の日常生活を行うための建物が一直線にならんでいる。
いかにも、格式を重んじる、といかんじ。

それをつなぐ道路の中央は、王と王妃しか歩くことができず、その横には重臣用の
道路が、さらに脇に、その部下たちの道路がついている。

もちろん、私達は中央の道路を歩いてみた。

文禄・慶長の役の時、すなわち豊臣秀吉の頃、全焼した。
私は、秀吉は朝鮮半島の4分の1程度の海沿いで撤退したと思っていました。認識不足を痛感。
キョンボックンは再建しますが、その後日本軍によって再度破壊されてしまいます。

門や宮殿は独特な色彩で彩られています。
日本のどこかにもあったように思うのですが、タンチョン(丹青)というのだそうです。
朱、青、黄、白、黒でやはり風水にのっとているのでしょう。



また、宮殿のまわにりは、またまた青竜・朱雀・白虎・玄武の今度は、石像が置かれています。
狛犬の元祖は白虎?なんて思ってしました。



守門将交代式は雨のため、短縮メニューでしたが、記念写真はしっかり撮りました。

もうひとつの宮殿、チャンドックン(昌徳宮)。どうも似たような名前で区別が難しいのだが、
こちらは、離宮として建てられたという。リラックスするための宮殿とでもいえようか。

したがって、造りも、柔軟にその土地にあった、使い勝手のよいものとなっているそうだ。

歴代の王たちもチャンドックンに好んで、滞在したようだ。
そこでは、当然、人間的な王家の物語もあっただろう。

特に、宮殿の奥にある質素な建物群は、第24代王、ホンジョン( 憲宗)が側室のために建てたとのこと。
おばあさんも隣に住まわせ、おばあさんに会いに来ることを口実に、側室に会っていたという。

子供ができることを願って、瓢箪やら、葡萄やらをデザインしたものを周りに置いたという。



また、朝鮮王朝のラストエンペラーの皇太子、イ・ウン(李垠)氏は、日本の皇族 りまさこ(李方子)さん
と結婚し、子を産み、日本に住んだ。
終戦を迎えた後も、韓国政府安定のため、しばらく帰国を許されなかった。

許され、わずかな間だが、3人はチャンドックンのその奥まった宮殿ナクソンジェ(楽善斎)に一時、住んでいる。
しかしイ・ウン(李垠)もその子、イ・ク(李玖)も日本でなくなっている。

イ・クはアメリカに住むなどしていたが、亡くなったのは東京プリンスホテルだったそうだ。
実は、このホテルこそ旧李王邸で、彼は生まれた場所に戻ってきて亡くなったことになる。
人間は最後は故郷に戻りたいのだろうか、と、ガイドさんが言ってた。

オンドルと、オンドルの煙突と、スラッカン(水刺間:食堂)を見る。
そういえば、チャングムは第11代王中宗(チュンジョン)の時の話だそうだ。
今は当然、その後改修したため、チャングムの名残はない。オーブンがあった。