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みらいのダ・ヴィンチたちへ

できるかできないか。そんなことは明日に任せて、今このときを一所懸命に「ぼく・わたしは考えたよ。描いたよ。作ったよ。」

教えるとは教わること

2012年08月24日 13時03分09秒 | インポート
化粧が濃くて、子どもたちの多くが少し怖かったのではと心配しましたが、大学でアートを専攻している長女が短い夏休みを終えて昨夜、LAへ帰っていきました。限られた時間でしたが教室の子どもたちの作品制作を見守って、何かを感じ得たものが少しでもあったのならと願っています。あの小心者で心配していた長女でしたが「置かれた環境が試練と希望にあらわれ、人を根幹から たくましく大きくさせる」の著名な言葉どおりに、強く生きていることに安心しています「自分の弱気に負けるな!」  大高駅の改札を入ってから「どこで乗り換えするんだっけ?品川で京急?」大丈夫かぁ~!
自分が良い(好き)と思う表現を思う存分に挑戦してみる。もちろん不安もあるでしょう、技量が伴わなくて にっちもさっちもいかなくなる事もあるでしょう。でも、逃げない諦めないで、少しずつでも前を向いて試してみる。そうすれば、今まで見えなかったもの、気がつかなかったことがはっきり見えてきます、わかってきます。これまで幾度も言い続けてきましたが、教室は失敗するところであって、結果として成功達成感を味わえるもので、やってもいない内から、失敗しないように「どうするの?やっていいの?」と連発していては何の進歩も得られません。「失敗してもいいから、自分の思ったとおりにやってみなさい」
ここでもていねいに見守ることが大切になります。この子は今、自分の判断を真剣に考えているために手を止めているのであって、指導者(大人)は無用な声をかけ、思考作業の邪魔をしてはいけないのです。またある子が手を止めている原因(要因)はどこにあるのか、助言するタイミングと用量をまちがえてはいけないのです。子どもの健全なこころの成長にとって一番肝心な「決断」のときに指導者の誘導があっては、この教室の意味がありません。ですので、時に私は返事はしますが、作業中は一切声かけをしないことがあります。「教えない指導」もあるのです。

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