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みらいのダ・ヴィンチたちへ

できるかできないか。そんなことは明日に任せて、今このときを一所懸命に「ぼく・わたしは考えたよ。描いたよ。作ったよ。」

なにもなかったけれど、なんでも作ったよ。

2011年09月06日 12時46分16秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先生が子どもの時、いまではもう見かけなくなった発泡スチロールが荷物の中のものを守る緩衝材としてたくさん使われていました。凸凹が複雑に組み合って、見ているだけで創作心をかき立てる素材の一つでした。飛行機や船など、発泡スチロールがあれば、なんでも作ることができました。しかし当時は道具がありません。木工用のこぎりで発泡スチロールを切ると、部屋の中がどんな悲惨な状況になるかをご存知の方は想像どおりです。

 親からの鉄拳が怖くては、魔法の創作素材である発泡スチロールを楽しむことはできません。

 10月の課題のため、発泡スチロールを大量に用意しました。クラスのみんなは先生のようなイタズラ小僧はいないと信じています(信じたいと願って)思う存分、発泡スチロールを知って、そのワクワク感を伝えたいと考えています。しかし今は優れた道具があります。今回、熱線カッターを使います。発泡スチロールを熱で溶かして、きれいに自由自在に切削するものです。子どもたちが初めての道具を使う時によくあることですが、切削中に迷っていると、スイッチを切ることを忘れてしまい、いつまでたってもカッターが動いてパニックになり、指先に小さなヤケドや部品をズタズタに切り刻んでしまうことがあります。

 そんな失敗も学び(楽しみ?)ながら、今月だけは(今月も?)先生も子どもに戻ってみとうと考えています。ただし、やってはいけないことをする子には先生の怖い顔をおみまいします。だからお願い、絶対に発泡スチロールを〇〇しないでね!

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これでよいのだろうか。

2011年08月30日 19時42分26秒 | 日記・エッセイ・コラム

   みんなの粘土作品が一堂に並ぶ風景は壮観です。素晴らしいのひとことです。これを見ることができるのが私ひとりなのは非常に残念なくらいです。授業中は全くカメラを向けることができなかったので、全容を一枚写真に撮っておこう!
それにしても「おどろく顔」で全員から見つめられたら、少しドキッ!とします。変なことを言うかもしれませんが、作品が私にしゃべってくるのです。「たのしかったよ」「次は手足をしっかりと作ろうっと」ほほえましい声ばかりならよいのですが、「ぐにゃぐにゃして気持ち悪かった!」「もっとちゃんと指導してよ!」なんて声も聞こえたような、、。誰の作品の声でしょうか「このあと、どうなるの?」そんな声はとても悲しくなります。
9月の課題「じぶんを描く」の指導内容の細部を最終的にチェックしています。あと5日間しかありません。正直に告白します。ひとつだけ指導項目上の迷いが解決できていません。書籍や学校教科書を机に積んで、ああでもないこうでもないと汗をかいていますが、迷走しています。そこに子どもたちの顔が浮かんできます。イカン!楽しそうな顔に迎合しようとしているぞ!
心配していません。まだ5日間ある。こどもたちの顔が、最初は迷って最後にニッコリなるように「これでよいのだろうか」を自問自答し続ける一日でした。




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子どもの作品を家に飾ると

2011年08月23日 18時36分50秒 | 日記・エッセイ・コラム




 

私の家では、ふたりの娘の1,2歳頃のクレヨンの「なぐりがき」から夏休みの工作宿題などが玄関・居間にチョコンと置いてあります。単に思い出作品としてではなく、また、親子の絆などと構えるようなものでもなく、ましてや、見てほしいと願うものでもありません。しかし、私はこう考えています。<o:p></o:p>

 

「その時、作った作品は今でもあなたの帰りを待ち望んでいる、あなた自身なんだね。だから安心しなさい。だから勇気を持って飛び出していきなさい。」<o:p></o:p>

 

こんなメッセージで語りかけているようです。<o:p></o:p>

 

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この夏、大学でイラストレーションを学んでいる長女が久しぶりに帰ってきました。先日、ダ・ヴィンチへも顔を見せました。教室の子どもたちとの触れ合いの時間は短かかったのですが、彼女なりに原点に戻れた時間、大いに役立つ経験だったと思います。純粋に創作する意欲と姿勢を子どもたちから受け取ってくれたのなら、こんな幸せなことはありません。好きなこととはいえ、普段は評価や社会的価値観で絵筆を持たなければならない環境にもまれて、自分を無くしてしまうほどのプレッシャーから逃げ出したくなることもあるでしょう。<o:p></o:p>

 

我が家の玄関にある、彼女の描いたクレヨン画は「あなたはこんな素晴らしい絵が描けるのだから、何があっても大丈夫」無言で話しかける、もうひとりの自分を見守る自分のような存在になったのかもしれません。<o:p></o:p>

 

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8月の課題では粘土と格闘しました。一人ひとり、個性豊かな表現で、そのときの「自分」をカタチに刻んだのだと思います。ぜひ、玄関に飾ってあげてください。ただし、子どもはいろいろな理由を付けて、飾ることを拒否するかもしれませんが、たとえ、反抗期であってもそこは強く、はっきりと親の想いを伝えていただくことを願っています。「あなたはこんな素晴らしい感性があるのだから、何があっても大丈夫。きっと乗り越えられるから。」<o:p></o:p>

 

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親子間の愛情にやさしさや厳しさといった区別。愛情に時期や過程などありません。ノウハウ、マニュアルなど論外です。ただただ「愛情」がそこにあるだけなのです。であるならば、子どもが表現したい事をあらわしている、持ち帰った作品です。「あなたの作品のココが好きだよ」と一言添えて飾ってあげてください。お願いいたします。<o:p></o:p>

 
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最後まであきらめなければ、必ず完成できる。

2011年07月19日 20時25分43秒 | 日記・エッセイ・コラム

  最近、めっきり涙腺が弱くなってきたことが、隠せなくなってきました。
ここ数日は、毎朝、泣いています。NHKの連ドラでは戦争の悲惨さ、無力感と自分を重ねて号泣です。なでしこJAPANでも、あきらめない大切さ、笑顔の強さをあらためて知り、ポロリ。そしてもうひとつは、子どもたちがいつも私に見せてくれる、おうちで描いてきた絵の一枚一枚に、そのヤル気と頑張りに、嬉しくて嬉しくて、ほんとうに嬉しくて震えています。(私の声が震えているのを子どもたちに気がつかれないように隠すのが大変です)
みんな一所懸命に描いた跡が感じられます。以前このブログでも書いたと思いますが、もう一度伝えたくて繰り返します。
「カンタンにあきらめちゃいけないけど、どうしてもあきらめてしまいたいこともあるよね。そんなときは、パレットの色を変えればいい、消しゴムで消さなくても絵を変えてしまえばいい、たとえばキリンが難しければ首を短くしてワンコにしてしまえばいい。目を小さく描いてしまっても、その分、鼻を大きく描けばいいんだ。
そうすれば、きっと何か思いつくことがあるよ。だから、あきらめなくてもいいんだよ。そのまま描き続けてみようね」
8月の課題も、決して簡単ではないはずです。学校の授業と同じつもりで取組んでいると、泣きが入るかもしれませんよ。「おどろいた顔」このテーマを親子で少しの時間でもかまいません、お話を交えて子どもの興味を引き出してあげてください。それでも手が止まってしまった時は、私がなんとかします。「涙を隠して、あきらめない!」

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続 言うことを聴かないイイ子たち

2011年07月07日 12時25分36秒 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は比較的おとなしい子(?)がそろっているクラスでした。とは言っても、個性については一筋縄ではいかないイイ子がそろっています。
一年生のLちゃんは私からの「丸いものを描こうね」とテーマを聴いて自分の世界に入ると、黙々と頭を使っているのがよくわかる子です。創作時間以外はよくお話をする楽しい子ですが、一旦、創作スイッチが入ると、頑固一徹、自分が納得できないことは決して妥協しません。
ですから、私は本人に了解のもと、パレットに白色絵具を出し、今使っている色に混ぜて、濃淡の違いをみせます。後は、本人の判断ですので、口を出すことはしません。強要はしません。ここで指導が終わっては無責任でしかありません。ですので、今後、何回でも事あるごとに伝えていきます。必ず、気がつきますから安心しています。
このクラスの元気なツートップはYくんとRくん。始まりから15分が経過しても、まだ、なにをどうしたらよいのか迷っています。この時点ではアドバイスが必要です。私は二人の興味の一端はすでに採取していますので、その切り口が有効となります。さりげなく図鑑を机の上に、すぐにペラペラ開いています。「宇宙ステーションってどうやって描くの?」「カブトムシが描けない!」
そのとき私はホワイトボードにワザと面白おかしく(変な形に)描きます。「そんな変なロケットじゃないよ!」ここがチャンスです。「じゃあ、どうなっているのか教えてよ?」二人は調子に乗ってきました。大丈夫です。
最年長のRちゃんの描く時計に、今度は私が喰いつきました。Rちゃんの画力を判断して、すぐに創作の軌道修正を仕掛けます。ホワイトボードに96時間表示で、針が3本ある時計を描き、反応を見ます。その瞬間、空想する絵でも良いことを受け止めてくれました。具象から抽象への目覚めになれば、彼女の表現幅は格段に広がります。期待しています。
Hちゃんもしばらくの時間、戸惑っている様子でしたが、私と他の子とのやりとりを聴きながら、方向が定まったようでした。シャボン玉がたくさん飛んでいます。(シャボン玉を描いたのは彼女だけです。素晴らしい発想です)ここでも、濃淡を描き分けることで、絵がどのようになるのかを知ってもらいます。「シャボン玉が楽しく動き回っているようだな」笑みが見えました、Goodです。これからどしどしと要求していきます。
当たり前ですが、一人ひとりへの助言の方法や分量は、違います。私もそれでよいのかは不安がないわけではありませんが、良くも悪くも、気づきを与える機会は惜しみなく、真剣勝負でかかわっていきます。それに応えてくれる子ばかりです。
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