goo blog サービス終了のお知らせ 

みらいのダ・ヴィンチたちへ

できるかできないか。そんなことは明日に任せて、今このときを一所懸命に「ぼく・わたしは考えたよ。描いたよ。作ったよ。」

あんなこと、こんなわけ、そんなおもいで、ブログを再開します。

2025年01月29日 09時17分02秒 | 日記・エッセイ・コラム
正直なところ、もろもろの不信感でブログの配信を止めていました。その多くは語ろうとは思いませんが、このブログを読んでくださってホッとしていただける方には届けたいなと思えるようになりましたので再開(再会)します。だからといって何も特別な思いやら、私が変わってしまったというようなことはないので、安心して流し読みしていただければ幸いです。
スローな始まりとして、なにかいいお話を探してみたところで、気負うばかりでば良くないので、プチ嬉しい出来事から。教室は4時半から6時20分まで(平日クラス)あり、四季を通じて窓からは夕焼けが子供たちを照らしています。淡い青色からオレンジ、深紅へ、漆黒の黄昏まで、その変化は無限です。その度に私は空をボーと見続けてしまい、思わず声に出して子どもたちを誘って観察会が始まります。初めて見たように声をあげて窓際に駆け寄る子から、まったく興味なしの子まで、その違いは何だろうと思います。一言でいえば、チャンスはすべての子にある。活かすか逃がすかは、その子次第ということ。
これまで描画で空を塗る際、青色の絵具をチューブからそのままだして塗りつぶすだけの子が「空はフシギな色なんだなあ~」といった時、その子の感性はブルブルと音を立てて巨大に増殖するのでしょう。驚きの瞬間に立ち会えてことは私の学びでもあったのです。山を見て驚く、海を見て驚く、光を見て、風を見て、よい時間でしたとさ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

走る鉄と転がる石の一日旅

2021年04月28日 10時18分05秒 | 日記・エッセイ・コラム
「明日は遠足で新海池公園に行くんだけど、雨が降ったら教室の机の上でお弁当なんだよね」楽しみにしている多くの子に天気予報は無情の知らせを告げる。ニュースでは外出自粛を連呼しながらのおススメ行楽情報を無責任に流している。本当に子どもたちがかわいそうだ。(当日の朝、庭が微かに濡れている。お天道様に祈るばかりである)
ある塾生から、庭に転がっている石ころをどこで拾ったのかと聞かれる。その子は何にでも興味を示す子で、創作物にもそのボリュームが強く表現されている。
またある子は、庭に敷かれている枕木と線路(総全長234mm)を撫でながら、何かを思い出そうとしている。「何で犬釘って言うのか知ってる?それはね、、」
本物の姿を見ることでしか本物の感動は伝わってこない。図鑑やユーチューブを見て、わかったつもり、知ってるつもりになることは現実としては致し方ないとは思うが、できる限り本物に接してもらうことで空想力やリアリティーの表現力に凄味が加わってくる。「百聞は一見に如かず」
鉄道に乗って石ころを探しに行く旅に行かないかと、子供たちにそれとなく声をかけた。塾生として、もちろんではあるが自分で判断行動できなければ参加資格はないと伝える。自分で行先までの切符を買うことができる。危険を回避する判断力と困難対処力を有する高学年生に限る。(ただいま参加者を募っています。ヒゲ先生まで)~後半に続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもたちは振り回されている(夏休みの課題について)

2020年08月02日 16時33分31秒 | 日記・エッセイ・コラム
巷はコロナ禍でも、子どもたちにとって楽しい夏休みは無くしてはならないと思っている。夏休み=子どもらしさの開放時間 この事は、あとになってから、人間形成に非常に大切な経験として備蓄されることを、丁寧に子どもに伝えなくてはならない。
夏休みの短縮、学校プールの閉鎖など、これまでの学習時間の遅れを取り戻さなくてはならないことは充分に理解はできるのだが、つめ込みすぎを配慮してか、こんな話を子どもたちから耳にした。「夏の生活」(名古屋市教育委員会発行誌)を開いて。「図画工作はやらなくていいから、ページにバツを打って。ポスター課題は提出してもいいけど、成績にはのらないから、好きにしていい。」など、担任先生が言ったとのことです。事実、私も、ある子の図画工作のページに大きくバツ印が打ってあるのを見て、驚きと同時に悔しさ、なさけなさを強く感じました。本当に丁寧に子どもに説明したのだろうか、事務的にスルーするような先生でないことを願うばかりです。
ヒゲ先生が地球人だった頃(教室の子たちには私は宇宙人だと言いきかせている。ミッキーはミッキーであるように)小学生をやっていた時、新学期の始まりに学習移行要綱により、副読本が配られて、今日から教科書が二冊になると先生から言われ、これまでの教科書にバツ印を打った経験がある。さらにさかのぼって大東亜戦争敗戦後、占領国からの強制で民主主義教育の名のもと(同じように)教科書に墨で抹消させられた子どもたち。明るい未来のためにバツを打つ、コロナを乗り切るためにバツを打つ。でも、その代償はあまりにも大きすぎたのではないか。日本人の道徳観の抹消というと、大げさに思われるかもしれませんが、あえて言うなら、子どもらしさの抹消行為と言わざるを得ません。すべての教科はもちろんのこと大切です。もしも単元で省略(抹消)しやすいのが図画工作と考えているのなら大間違いです。大切な子どもらしさを抹消した代償は、もう取り戻すことが出来ないと考えるのは過激な思考でしょうか。
今、教室の木陰で蝉の声を聴きながら、あのころの夏休みを思い出しています。ふっと、夏休みの匂いがしてきました。いつまで続けなくてはいけないのかわかりませんが、マスクなして叫びたいです!「夏休みは子どものものだ!」
(岐阜かかみがはら航空宇宙博物館へスケッチいきました。途中、どしゃぶりの雨、YS-11の翼の下で雨宿り、プロペラがステキでしょ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の夏、ゴーヤの夏

2018年09月04日 17時51分27秒 | 日記・エッセイ・コラム

夏休み特訓が終わる。今期も多くの子と、それぞれの課題に汗をかきながら取り組み、気づきの種子を3時間という出会いの中ではあるが、その子の心に丁寧に植えたつもりである。低学年生には少し長かったのか、高学年生にはそれでも短かった。来年の私の課題である。6年間をポスターに挑戦し続けている子がいる。多くを語らなくとも、この子は大丈夫!と確信している。そうかとおもうと、鬼を前にこの場に及んでもなお、楽な方法を選ぶ子も少なくない。それでいいと言う子に「もうあと少し」「もうあと三つ」「あと一つ」を とぼけながら繰り返し、完成に近づける。(これでいいのだ!)がんばったときはしっかりとほめる。(親御さんの前では、あえてほめないようにしています。意味がないので)仕上がったときの疲れなのか嬉しいのか、いろいろな思いが混在した顔を見ると救われ、お互いに明日もがんばれるのだろう。

この夏、教室のデッキにゴーヤを植えた。グリーンカーテンにと役所でもらった種子から育て、ゴーヤチャンプルにして味わった。そのおかげで夏バテなしで乗り切った感が実感できた。若緑色の光が子どもたちの真剣な顔をやさしく反射する。やっぱり、一からコツコツと育てることは気持ちがいい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自‘我‘像を楽しもう。

2016年12月08日 09時47分36秒 | 日記・エッセイ・コラム

自画像の課題が終了しました。シンプルな課題ですが年に2回程度は描かせたい意義のある課題です。自画像には本人のその時の心模様が鮮明に表れます。しかし、自画像制作は楽しめることそうでない子の差がはっきりしています。本人よりもカッコ良く(?!)描くことができニンマリしている子。思うような仕上がりにならなくて自宅に持ち帰りたくないと訴える子。それほど自画像は難しいという思いが強く出る、つまづきの石になりやすいのです。

多く見受けられるのは「鼻が描けなくて、友だちに笑われた」「肌色が混色できない。顔が汚れた」「記号のような当たり前の顔にしか描けない。自分じゃない」これらが苦手意識の始まりです。ではそうならないための指導とは?本物そっくりに描くための技能的向上でしょうか。まったく違います。答えは「自画像を楽しむこと」です。難しいから楽しめるわけがない!と反論が聞こえそうですが、小学生の年齢期は模写を第一の目的ではありません。

例えば難しい算数問題を「難しいから好きでない」ととらえるのか、「クイズを解くみたいで楽しい」ととらえるのか。その差は結果が全く違ってきます。たとえ不正解であったとしても、どこが間違いの原因なのかを探る楽しさを知っている子は「なるほど!」の満足した声が聞こえます。図工も同じです。もちろん正解がないので点数をつけられませんが、達成感、充実感は算数以上に味わえると思います。

話を戻します。苦手意識を持たないようにするには「楽しさに集中する」外からの価値のない声や評価を弾き飛ばす。そうすると思う存分やり切り、完全燃焼させることができます。完全燃焼してるエンジンは最大限の推進力を生み、外部からの抵抗力を身につけられます。

写真はりょうたくん(2年生)の絵です。線に勢いがあります。迷いがないので、思いを出し切っています。本人の心がよく表れています。これこそが本物の「そっくり」ではないでしょうか。(でもね、)この絵は描き上げたその瞬間を持って役目を終わります。当の本人はいつまでもこの絵をいとおしく思い続けることはしません。すでに次の楽しみを楽しみにしています。これこそが楽しみを積み上げるということです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする