make my style

日常の視点

難しい!データの入稿ルール

2006年11月18日 | お気に入り
趣味が高じてなのか?!

最近結構な割合でチラシやDMデザインなどのいわゆるDTP関連の依頼がきます(笑)。
あっ、もちろん私の撮った写真とともに。
(もちろん仕事の一環です。)

プロでもない私に依頼していいのか?

とも思いますが、まあせっかくの機会なんでやってみようかと
本業に支障がない範囲で取り組んだりしております。

こんなイメージで。。。

と依頼されたような物を
新しめのフォトショップとイラストレーターを駆使して、
わりと渾身のできばえ♪と

先方に、「こんな感じでいいですか?」と
尋ねると、「ばっちりです!ありがとうございます!」などと
言ってもらえて喜んでいると、
そこからが大変。

そのデータを印刷屋さんに入稿するときのルールっていうのがあって
素人の私にはまるでちんぷんかんぷん。

私は、「Illustrator 10」というバージョンのソフトを使っていて
以前Macで習ったのは最新の「Illustrator CS2」という「10」より2ランクバージョンアップのもの。

当たり前に使っていた機能ですが、
印刷屋さんいわく、印刷の現場でのIllustratorの最新バージョンは
「Illustrator 8」ですよ!とのこと。

え~、そうなの~?
と思って「10」で作ったデータを「8」に落としたバージョンで保存すると
まるで連続殺人犯の怪文書のようにひちゃかちゃな体裁になって保存されて、
作った時分のあの渾身のできばえは遠くかなたに去ってしまった。
面影すらもまったくなし。

ううううう・・・・
どうすりゃいいのさ??

と思って、知ってるデザイナーさんの話というのを聞くと
「印刷屋さんの現場ではIllustrator 8が最新バージョンで、
9以上のバージョンは完全にWEB製作用って認識されているんだよ」
とのこと。

ええええ?
じゃあ、両方やってるデザイナーさんはどうしてるんですか?
と尋ねると、
「しょうがないから8もCS(もしくは10)も両方入れてるさ!」
とのこと。

め、めんどくせえ!!!!!てやんでい、べらんめえ

とそこだけ江戸っ子言葉で罵りたくなる気持ちをゼイゼイと抑えながら、
しょうがなく私も自宅のパソコンのDドライブに意地になりながらわざわざバージョンの低い「Illustrator8」をインストールし、
まったくよ~、どーなってんのよ!印刷業界!!
そしてアドビのソフトの互換性の無さわよーーー!!!

と八つ当たりしたい気分もぐっと抑えて
10で作ったのと全く同じのを8で作り変えてみて気がついたこと。

昔の人(つい何年か前のことですが)は大変だったんだな~
ってこと。

私は、色の勉強もしてるから苦にはならなかったけれど
色の透明機能を使えないってことは、透明に見えるようにパーセンテージを考えて色の設定をしないとイメージ通りにならなかったりしそうだし。

もちろん、こんなソフトができるまえのデザイナーさんは職人さんだったのだなあ
とちょっと感慨深く思ったりして思わず尊敬。

古くからのデザイナーがMacで作ったものなんかデザインじゃない!
というのもなんだか理解できる気が。

そういうわけで無事最初から最後まで「8」で作成したデータを入稿しようとして
ふと考えた。

この際だから、しっかり勉強して、誰にも迷惑がかからないように
先手を打ってDTP業界のルールを押さえとこう!と。

このあたりが私らしいな、と思うのだけれど、
大体が図々しいというか図太いというか、まあよくいえば合理的で戦略的なのだけれど、ただでは起きないつもりで

『プロとして恥ずかしくないDTPの基礎知識』みたいな本まで買って
入稿ルールをばっちり勉強!

さらに読んでて気がついたやり方などを身につけて
データもそれをもとにグレードアップ。

やるなら徹底的に!という私のモットーのもとに
ご丁寧に「出力指示書」まで添付して

「持ってくるたびに腕を上げますね」といわれるところまでなんとかたどり着きました(喜)。

この間、1週間足らず。

でも真剣に取り組んでみたらわかった法則があります。

【本気で取り組んだら、時間のロスに対して学ぶものの方が効果が大きい。】

素人のデザインがノーチェックで駄々漏れ状態で、世の中に流れると
景観を損なうとも思うし、環境の悪化に近いものがあるとも思う。

素人でもちゃんとマーケティングやら美的効果やら作品としての芸術性などを考慮してデザインに取り組めたら、
プロのデザイナーといわれながらいろんなことを考慮しているとは思えない人たちはやっぱりだんだん淘汰されていくのだろうな。

素人のレベルのアップを促す、パソコンのソフトの普及や性能の向上は
何かを確実に変えていくのだということを自分の身を持って知った貴重な体験でした。