沖縄県議会が、ウチナーグチの復興・継承に一役買おうと「しまくとぅばの日」を定める県条例の提案、制定に取り組んでいるという記事がありました。
「ウチナーグチは文化であり、ウチナーンチュの心を表す」
確かに、ものごとの考え方や捉えからの違い、より生活に密接に関わっている事柄が何なのか、ということを外国語を学んでいる時に感じます。
言葉は文化そのものであり、その民族の精神を映していると思います。
私の親の世代は、学校で方言を使うと「方言札」というものを首からかけられたそうです。日本語の普及を目的にそのような取り組みが教育現場であったようです。
そして今は、きちんとした方言を話せる人が少なくなりました。
北部で集落の調査をしている時に「残したいもの」として、その集落の「方言」があがっていました。
500m先の隣の集落とは、単語やイントネーションが違っているので、極端に言えば、隣の集落は外国。と、おっしゃっていました。
多様にあり方言をすべて継承していくことは、難しいと思います。
でも、それぞれのシマのきちんとした「しまくとぅば」を残していくための取り組みをするためには、今が最後のチャンスのような気がします。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-11742-storytopic-1.html
「ウチナーグチは文化であり、ウチナーンチュの心を表す」
確かに、ものごとの考え方や捉えからの違い、より生活に密接に関わっている事柄が何なのか、ということを外国語を学んでいる時に感じます。
言葉は文化そのものであり、その民族の精神を映していると思います。
私の親の世代は、学校で方言を使うと「方言札」というものを首からかけられたそうです。日本語の普及を目的にそのような取り組みが教育現場であったようです。
そして今は、きちんとした方言を話せる人が少なくなりました。
北部で集落の調査をしている時に「残したいもの」として、その集落の「方言」があがっていました。
500m先の隣の集落とは、単語やイントネーションが違っているので、極端に言えば、隣の集落は外国。と、おっしゃっていました。
多様にあり方言をすべて継承していくことは、難しいと思います。
でも、それぞれのシマのきちんとした「しまくとぅば」を残していくための取り組みをするためには、今が最後のチャンスのような気がします。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-11742-storytopic-1.html
早速、昨日、集合がかかりました。
遅れて参加する予定です。
そういえば、お会いするのは何年ぶりでしょうね。
先日は、不参加ですみません。
また、沖縄に遊びに来たときは、飲み会に誘ってねー。
というのでわかってもらえるでしょうか?
邑という単位は、かろうじて残っているのが現状という気がします。
でも都市への人口流出は続いているので、それぞれの集落で、それぞれの文化や伝統を継承していくことは、厳しい状況だと痛感しています。
アンコンと邑という言葉を知っているohhaさんが誰なのか、分からなくなりました。
(自分の知り合いだとしたら、です。)
邑という単位がなくなっていくのは、さまざまな儀式、共同体意識など大切なものを失っていくようで、哀しいです。