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物語は新しい展開に。植木になった父と会話しながらすごしていた私、ある日、父を「クルマ」に載せて散歩に出かけ、そこで驚きの光景を目にします。
あくる日、私は町内の雑貨店に行き、適当な大きさの手押し車を買ってきた。「車」と呼ぶには少し気が引ける、どちらかといえば、「クルマ」という名前の方がふさわしい形のそれは、プラスチックの板にタイヤとハンドルを付けただけのシンプルなものなのだが、父はそれを見たとたん、枝をブルブル震わせて喜んだ。そこに父を乗せ、まるでベビーカーを押すようにして外に出てみると、でこぼこ道では少し大変だったが、父の散歩に差し支えはなかった。「公園に行こう。いや、バス停に行こう。映画館にも行きたい」父はしきりに葉を擦りながら楽しげに大声を張り上げ、私は誰かに聞かれはしないかと声をひそめて、「静かに、小さい声でしゃべって」、と言いながらクルマを押した。もし誰かに聞かれでもしたら、「ここに喋る植木鉢があるぞ」と、NASAとか国情院(韓国国家情報院の略称。政府の情報機関。)とか、「世の中にこんなことが」の取材陣なんかが押しかけてきて、大騒ぎになるかもしれないと思ったからだ。
私は、父の注文どおりに公園にも行き、バス停にしばらく座って乗り降りする人を見物したあと、映画館に行って最近封切りされた映画を確認し、また公園の中を通って帰って来たのだが、このルートはそのまま私と父の散歩コースになった。私は二日に一度、間が空いても三日に一度は、必ず父をクルマに乗せて散歩に行き、いつものコースを回って帰ってきた。時には、帰り道に簡単な買い物をしてクルマに一緒に積んで帰ることもあり、その途中に雨に遇うとずぶ濡れになりもしたが、そんなとき父は、より一層青々として、まるで薄いエメラルドの彫刻のようにきらきら輝くのだった。
ある日、いつものように父を乗せたクルマをゆっくり押して公園に行くと、私がいつも座って休憩するベンチに、見知らぬ男の人が座ってサンドイッチを食べていた。私は父をひょいと持ち上げ、その横のベンチに座らせ、私も座って膝をポンポンとはたきながら、帰りにサンドイッチを買わなくっちゃ、と思っていると、父が急に小声で言った。「ユジン、あれ見ろ。見ろ、見ろ、あれをー」
物語は新しい展開に。植木になった父と会話しながらすごしていた私、ある日、父を「クルマ」に載せて散歩に出かけ、そこで驚きの光景を目にします。
あくる日、私は町内の雑貨店に行き、適当な大きさの手押し車を買ってきた。「車」と呼ぶには少し気が引ける、どちらかといえば、「クルマ」という名前の方がふさわしい形のそれは、プラスチックの板にタイヤとハンドルを付けただけのシンプルなものなのだが、父はそれを見たとたん、枝をブルブル震わせて喜んだ。そこに父を乗せ、まるでベビーカーを押すようにして外に出てみると、でこぼこ道では少し大変だったが、父の散歩に差し支えはなかった。「公園に行こう。いや、バス停に行こう。映画館にも行きたい」父はしきりに葉を擦りながら楽しげに大声を張り上げ、私は誰かに聞かれはしないかと声をひそめて、「静かに、小さい声でしゃべって」、と言いながらクルマを押した。もし誰かに聞かれでもしたら、「ここに喋る植木鉢があるぞ」と、NASAとか国情院(韓国国家情報院の略称。政府の情報機関。)とか、「世の中にこんなことが」の取材陣なんかが押しかけてきて、大騒ぎになるかもしれないと思ったからだ。
私は、父の注文どおりに公園にも行き、バス停にしばらく座って乗り降りする人を見物したあと、映画館に行って最近封切りされた映画を確認し、また公園の中を通って帰って来たのだが、このルートはそのまま私と父の散歩コースになった。私は二日に一度、間が空いても三日に一度は、必ず父をクルマに乗せて散歩に行き、いつものコースを回って帰ってきた。時には、帰り道に簡単な買い物をしてクルマに一緒に積んで帰ることもあり、その途中に雨に遇うとずぶ濡れになりもしたが、そんなとき父は、より一層青々として、まるで薄いエメラルドの彫刻のようにきらきら輝くのだった。
ある日、いつものように父を乗せたクルマをゆっくり押して公園に行くと、私がいつも座って休憩するベンチに、見知らぬ男の人が座ってサンドイッチを食べていた。私は父をひょいと持ち上げ、その横のベンチに座らせ、私も座って膝をポンポンとはたきながら、帰りにサンドイッチを買わなくっちゃ、と思っていると、父が急に小声で言った。「ユジン、あれ見ろ。見ろ、見ろ、あれをー」