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ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

「赤い実」最終回

2025-05-06 14:31:24 | 韓国文学 読書

 

花が終わると、そこには小さくて真っ赤な実がなった。あの日以来、父と母が会話する姿はほとんど見られなかったが、時々どちらかがクスクス笑っていたり、小刻みに葉を揺らしたりしているところを見ると、声に出して話さなくとも互いに心は通じ合っているようだった。すでに一本の木になっているので、当然といえば当然だが。

何事もなく秋は深まり、実は少しずつ大きくなり、はじめはボタン大だったのが、日に日に成長してキャンディーくらいになり、今は丸い餅くらいの大きさになって、皮もつやつやだ。じっと見ていると、たまにぷくぷくっと動くときもあって、指先でそっと撫でてみるととっても柔らかく、可愛くもあった。毎日覗き込み、もう熟れただろうか、いつ完熟するのだろうか、と突っついたり話しかけたりしながらその日を待った。

へたの周りが、黒みを帯びた赤色になり、うずくまった子うさぎくらいの大きさになった、とある夕方、「産まれる! もう産まれる!」と、Pの母の叫び声がするので、Pと私は声の方に駆け寄った。表皮をブルブル震わせながら、枝から離そうとあらん限りの力を振り絞っている。すると、「おお!」という間もなく、ぽとりと軽やかに落ち、コロコロ転がるのだった。危うくソファーの下に転がり込むところだったその子を、Pが素早く手を伸ばして掴んだ。「温か~い」。Pが言った。

私が手を差し出すと、Pは生まれたばかりの実を手のひらに載せてくれた。Pの言うとおり本当に温かくて、目も鼻も口もないのにあまりにも可愛く、何度も頬ずりしたくなるほどだった。私はPに実を返した。「ところで、これはどうしたものかな?」 手のひらであやすようにごろごろ転がしながらPが言う。言われてみると、早く生まれることばかり考え、その後どうするのかは、まったく考えていなかったので、私も眉間にしわをよせPと目を合わすほか、なかった。

手のひらでしばらく転がっていたが静かになり、眠ったように見えたので、Pはそっと実をテーブルに持って行き、タオルを敷いてその上に置いた。そのあと、私と Pは実を間に向かい合って座り、この子をどうすべきかとしばらく話し合った。このままだとすぐ腐るだろうし、かといって、生まれたばかりの子を植木鉢の土に埋めてしまう、というのも全く気が進まなかった。そのうえ父とPの母に訊くと、呑気な声で、お前たちの弟妹だから自分で決めろと言うではないか。二人でしばらくその子をつねったり撫でたりしながら「どうしよう、どうしよう」と悩んでいたが、Pが立ち上がって引き出しから果物ナイフを取り出して言った。二人で半分分けして食べてしまおう。

私はそれも悪くないと思った。Pが皮に果物ナイフをそっと当てただけで、よく熟れた実は半分にぱっくり割れたのだが、真っ赤な果肉はとても美味しそうに見えた。私とPはそれぞれ一切れずつ持って「いち、に、さん!」と、ポイと口に入れた。ぷにょぷにょした食感に、芳しく、たっぷりの甘い果汁――。二人は目を丸くして、おいしいね、と言外に確かめ合いながら、せっせと顎を動かした。ごくり、と飲み込むと、噛みつぶされた果肉の、喉をつたう動きがくすぐったく、直後に、その真っ赤な粒が、ポチャンと胃の中に落ちて優しく溶けていく様まで、目の前のできごとのように、はっきり感じとることができた。

私はその夜、おかしな夢を見た。それは、営業時間を終えた遊園地のようなところを駆け回り、どこまでも転がっていく赤いボールを追いかけている夢だった。ボールを捕まえポケットに入れた瞬間夢から覚めたのだが、翌朝、この夢の話をすると、 Pが「あっ、もしかしてそれ、胎夢(テモン)(妊娠を予知する夢)じゃないか」と言うので、私も、(そうだったのか)と、思った。

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赤い実一気に

2025-05-06 14:03:47 | 韓国文学 読書

ご無沙汰してました。口実になりますが、パソコンの不調がやっと解決しました。

「赤い実」の残りをあと二回ぐらいで終わらせようと思います。お付き合いくださいませ。

夕方、Pは私の翻訳した「りんご」を読んでいた。私は口がさみしくなり、インスタントラーメンをカリカリのまま細かくして、おやつにしようかと思っていると、父が急に、お前たち、ちょっとこっちに来い、というので、Pと私はいちど目配せしてベランダに出た。また何を頼もうというの? 皮肉っぽく言うと、Pに視線でたしなめられ、父は聞かなかったふりをして威厳のある声を作り言った。俺たち、結婚するつもりだ。Pをちらりと見ると笑いをこらえていたので、私も安心してキャッキャと笑った。Pが私の脇腹を強く突っつきながら、笑っちゃ駄目、と自分を棚にあげ真顔になった。お構いなしに思い存分笑ったあと、だけど、どうして急に? と訊くと、父は待っていたと言わんばかりに答えた。――子どもが生まれるからだ。

それを聞いて私が想像したものは、赤ちゃんのような形の根で、引き抜くと悲鳴を上げるというマンドラゴラとか、映画「カーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」に出てくる「ベビーグルート」のような姿だったので実感が湧かなかったが、そういえば、おかしいという点では、父さん自体もヘンテコだもんね、と気づき、くっくっと笑った。けれど、父の言うその「子ども」というのは、まったく違う姿をしていた。Pが繁った枝をそっとかき分けると、そこに現れたのは、小さくて丸い、角のような形に固く巻かれた、紛れもない蕾だった。Pの母が恥ずかしそうな声で、あさってごろ咲きそうだよ、とつぶやき、私とPは顔を見合わせた。ひとまずおめでとう、と渋々言っているPの表情がおかしくて、私はまたへたり込んで大笑いした。

Pと私は結婚式のあくる日、花き市場に行き、そこで一番大きくて、おしゃれな植木鉢を買ってきて、父と母を丁寧に抜き、新しい鉢に一緒に植え替えた。その後、私はかわいいワンピース、P はスーツでおめかしし、皆でテーブルを囲み、ケーキにろうそくを立て、シャンパンを飲んだのだが、父がこれは結婚式じゃなくて誕生日じゃないか、とふくれっ面をした。それでも私は楽しくて仕方なく、時折感傷的になっては、これが娘の気持ちというものなのね、とつぶやきながら涙を拭くふりをして皆を笑わせた。

その日ベッドに横たわったとき、もう二人は兄妹になったのね、と言うと、それじゃ、兄妹では絶対しないことをしてみよう、とPにやんわり誘われ、夜光ステッカーも恥ずかしくて落ちてしまうほどの ――実際は壁に激しくぶつかり揺らしたために落ちたのだが―― とにかくそんな夜を過ごした。あくる朝見ると、夜の間に蕾は鮮やかに花開き、ピンクの花芯にたっぷりついた黄色い花粉の、甘くて少し生臭い香りが家中に満ちていた。

 

 

 

 

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「赤い実」10 コゴメバナも終わり

2025-04-15 23:02:14 | 韓国文学 読書
物語は佳境に

それからは二人でほぼ毎日、同じ時間に同じ場所で会い、私は彼について、名前は P○○だけれど、Pとだけ呼んでほしいということ、趣味と仕事を兼ねて書くイラストは主に童話や幼児雑誌に掲載されている、ということから、タバコはメンソール、コーヒーは薄いラテが好きで、犬より猫が好きだということまで知ることになった。
父もPの母に会うとうんと口数が増え、あれこれ楽しそうに喋った。たまに父の昔のギャグが通じてPの母がキャッキャと笑うのだが、そのたびに、私とPはいぶかしげに顔を見合った。二人が気兼ねなく会話できるように、公園を一周してこようとPを誘い出し、長時間散歩して帰ってくると、父は、もう帰ってきたのか、と不機嫌になり、Pの母は、若葉の縁をほんのり赤く染めていた。
ある日、夕食に誘われ、父と一緒にPの家に出かけた。私は新しいワンピースを身に付け、Pには甘いポートワイン一本を、Pのお母さんには、一度土の中に埋めておくと十年は持つという、ドイツ製の固形肥料を用意した。
その日、おしゃれをしたかった父は、私が剪定鋏を向けてもおとなしくしてサクサクと枝を切り落とされ、とてもすっきり整った姿になってPの家に行くことができた。
Pが開けてくれたドアのすき間から美味しそうなにおいがふっと漂い、入る前からうきうきした。Pの家は、私の家とよく似た間取りで、ベランダのついた小さなリビングと、もう一回り小さな寝室のある、こじんまりしたマンションだった。私はひと目で Pの家が気に入り、来客のために慌てて整理したと思われる節はあったが、それほどきれいに拭かれていない部屋の隅や、ところどころ手の跡のついた窓ガラスや、あちこちに傷あとのある床が心地よく感じられ、そのことを話すとPは恥ずかしがった。
Pは何種類かの手料理を四人掛けのテーブルに整え、私とP、父とPの母が、それぞれ向かい合って座り、食事をした。四つのワイングラスに、ミネラルウオーターと、私が買ってきたポートワインを二杯ずつ注ぎ、ワインは私に、水は父に渡しながら、 Pは「これぞまさしく、つげよ、飲めよ、じゃありませんか」と、そんなにおもしろくない冗談を言ったのだが、父は茎を折り曲げカラカラ笑った。私は出された料理をお腹いっぱい食べ、Pはどこからか「じゃあこれも、そしてこれも」と、おいしい料理を次々持ってきて皿に盛った。とうとう鍋が全部空っぽになるとPは、照れくさそうに後ろ頭を掻きながら「あっ、タバコが切れた」と言い、私は、Pが一緒に買いに行こうと言う前に、すでに玄関に立って靴のかかとを踏んでいた。
春の夜、ライラックの香りが漂っていた。Pが「マンションの敷地のどこかにライラックが植えられているけど、どこにあるのかわからないな」とつぶやき、私が「そうなんですね」と答えたあと、しばらく会話が途切れた。マンションの正門にあるコンビニまで歩いて行ってタバコを買い、帰り道でもこのまま何も言わないつもりかなと思っていると、ほぼ家に着くころ、Pがライラックの木でも探すかのように、いたずらに花壇に視線をやりながらも、口では、つき合ってくれますか、と言い、私は、そうしましょうか。そうしましょう、と答えた。
あくる日、父にこのことを話すと、それは良かった、とひとこと言ったきり、やぁ、ユジン。近頃天気が本当に良いなと、急に話題を変えた。私は、父も昨夜私たちが出かけている間、Pの母にPと同じようなことを言い、そしてPの母も私と同じような返事をしたのだと察した。


雪柳の別名はコゴメバナ 懐かしい響きです。先日の嵐でほぼ終わりました。季節はいっきに初夏へ 

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「赤い実」8

2025-03-27 08:53:59 | 韓国文学 読書
読んでくださりありがとうございます。
物語は新しい展開に。植木になった父と会話しながらすごしていた私、ある日、父を「クルマ」に載せて散歩に出かけ、そこで驚きの光景を目にします。


 あくる日、私は町内の雑貨店に行き、適当な大きさの手押し車を買ってきた。「車」と呼ぶには少し気が引ける、どちらかといえば、「クルマ」という名前の方がふさわしい形のそれは、プラスチックの板にタイヤとハンドルを付けただけのシンプルなものなのだが、父はそれを見たとたん、枝をブルブル震わせて喜んだ。そこに父を乗せ、まるでベビーカーを押すようにして外に出てみると、でこぼこ道では少し大変だったが、父の散歩に差し支えはなかった。「公園に行こう。いや、バス停に行こう。映画館にも行きたい」父はしきりに葉を擦りながら楽しげに大声を張り上げ、私は誰かに聞かれはしないかと声をひそめて、「静かに、小さい声でしゃべって」、と言いながらクルマを押した。もし誰かに聞かれでもしたら、「ここに喋る植木鉢があるぞ」と、NASAとか国情院(韓国国家情報院の略称。政府の情報機関。)とか、「世の中にこんなことが」の取材陣なんかが押しかけてきて、大騒ぎになるかもしれないと思ったからだ。
私は、父の注文どおりに公園にも行き、バス停にしばらく座って乗り降りする人を見物したあと、映画館に行って最近封切りされた映画を確認し、また公園の中を通って帰って来たのだが、このルートはそのまま私と父の散歩コースになった。私は二日に一度、間が空いても三日に一度は、必ず父をクルマに乗せて散歩に行き、いつものコースを回って帰ってきた。時には、帰り道に簡単な買い物をしてクルマに一緒に積んで帰ることもあり、その途中に雨に遇うとずぶ濡れになりもしたが、そんなとき父は、より一層青々として、まるで薄いエメラルドの彫刻のようにきらきら輝くのだった。
ある日、いつものように父を乗せたクルマをゆっくり押して公園に行くと、私がいつも座って休憩するベンチに、見知らぬ男の人が座ってサンドイッチを食べていた。私は父をひょいと持ち上げ、その横のベンチに座らせ、私も座って膝をポンポンとはたきながら、帰りにサンドイッチを買わなくっちゃ、と思っていると、父が急に小声で言った。「ユジン、あれ見ろ。見ろ、見ろ、あれをー」
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「赤い実」6

2025-03-05 20:54:23 | 韓国文学 読書
「赤い実」翻訳つづき、中盤です。 


私はフランス語の小説や雑文の翻訳をする、言わばフリーランスなので、いつも家で仕事をしていたのだが、それすらたまにしかなく、まったく何もしないで過ごす日も多かった。最近翻訳しているのは、ある無名作家の「りんご」という小説で、自分をりんごだと信じている、あるフランス人女性が主人公の話だ。その女は、物心ついた頃から自分をりんごだと思っていたため、歩く代わりに転がって移動し、化粧する代わりに皮膚に艶を出し、ひたすらきれいな水だけを口にして生きていた。ある日、その女は、街で搾りたての果物ジュースを売っている屋台を見て、その恐ろしい光景に気絶してしまうのだが、意識が戻ったとき、転んだ衝撃で半分にぱっくり割れた状態で病院のベッドを二つ使って横たわっている自分を目にする。子房と種をあらわにした自分の姿に羞恥心を覚えたのも束の間、女はたちまち極度の精神的混乱に陥る。体が割れた瞬間に、魂も二つに裂かれた気がして、自分の意図や意識、意思がいったいどっちの側にあるのか、自分でも分からなくなってしまったのだった。手厚い治療の甲斐もなく、女はだんだん腐っていき、仕舞いには病院のベッドで命を終える。臨終の瞬間、医師に向かって何かをつぶやいたが、医師がまったく理解できず聞き返しているとき、女は息絶えてしまう。女の最後の言葉はカルテに、適当に並べたアルファベットで処理されているのだが、医師は、あれはたぶんりんごの言葉だったのだろうと思い、悲しむ――。ここまで翻訳し終えて、あり得ない、りんごの言葉だなんて、と苦笑するしかなかった。父は木になってからも、窓を開けろ、コーラを買ってこい、などと、人間の言葉を達者に喋っているのに……。

とにかく私は、こんなでたらめな話を、休憩を入れながら翻訳し、たまに気が向いたときは集中して働いた。私が仕事をしている間の父は、というと、洗濯機の上でひたすら日光浴をし、日当たりが悪くなると、「やぁ、ユジン、ソ ユジン!」と大声で呼ぶ。私はフランス語の辞書を伏せてベランダに出、父を日の当たるところに動かす。すると父は静かになり、私はまた仕事に戻る。
もう父を看病しなくてもよくなって時間の増えた私は、仕事も速くなり、前より少し多めの収入を得られるようになった。翻訳の報酬を受け取るたびに、ワンピースを一着買ったり、牛カルビを買ってきて熟成させたりした。なので、父に知らん振りするのも心苦しくて植木用の黄色い活力剤を買ってきて挿してあげると、父は「これを飲むと若返った気がするんだ」と、喜んだ。父の若かりし頃というのは、赤ん坊のときのことなのか、種のときのことなのかと、私も二つに割れそうなほど頭がこんがらがるので、考えないことにした。私と父は、こんな感じでしばらく平穏に過ごした。

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翻訳小説「赤い実」4  

2025-02-21 22:21:19 | 韓国文学 読書
「赤い実」連載4回目です。これで三分の一弱です。

 すでに父はこの世の人ではないが、流し台の上にぽつねんと置かれた骨壷を見るたびに、あのときと同じ気分になる。けれど、生前の父とは違って無視してしまえばそれまでなので、さほど気にはならなかった。でもって、いつか良(ヤン)才(ジェ)洞(ドン)に用事で行くついでに花き市場に寄ればいいやと思いながら、骨壷をベランダに移したものの、すぐさまそのことを忘れた。なのに、なぜかあくる日になると、まるで予定でもしていたかのように、朝食のあと軽く化粧までして才洞行きのバスに乗り、少し居眠りしたあと、(あっ、してやられた)と、気づいた。

 結局その日は、園芸用の土一袋と 貧弱な細い苗木を一本買って帰ったのだが、土はともかくこの木といったら、分厚い葉っぱが何枚かポツポツとついているだけで、見るほどにみすぼらしかった。花き市場の立派な店の中をしきりに覗いていたとき、太った店主のおじさんが出てきて、何を探しているのかと聞くので、父の遺骨に植える木を探しているとは言えずに口ごもると、おじさんが、じゃ、これは、と、プラスチックの鉢に植えられた、よろよろした木を勧めるのだった。名前は聞いたがすぐ忘れてしまい、言われるまま五千ウォンを渡して店を出ると、それで用は足りた。
 家に帰り、リビングに新聞紙を敷き、骨壷を取ってきた。中身を新聞紙の上に空け、熱したキリで壷の底に水はけ用の穴を開けた後、土と混ぜて壺に戻すことにした。父の遺骨はほんのわずかで、さほどきれいな灰になっていなく、ところどころに爪ほどの丸みを帯びた骨の一部が混じっていた。怖くて触りたくない反面、一度指先で転がしてみたくもあり、結局、後者の気持ちが勝ち、その中でいちばん大きい欠片(かけら)をつまみ上げて転がしたあと、透かして見たり、この骨は父さんのどこだったのだろうかと考えてみたりした。そうこうしているうち夕方になってしまい、やっと土と骨を混ぜ、今では植木鉢と呼ばれている、元は骨壷だったその器に木を植えなおした。そして、植物を初めて植えたあと誰もがするように、水をたっぷり与えた後、ベランダにもたれかかって、鉢の底からすーっと流れ出る黒い水を見つめた。
 お湯で手を洗い終えると急に疲れを覚え、その日はいつもより早く寝たのだが、あくる日にはすっかり鉢のことを忘れてしまい、その後一度も覗いてみなかった。その間にも、最初みすぼらしかった木は、勝手にすくすく育ち、梢にはツヤツヤした薄緑色の若葉が芽吹き、茎も太くなっていった。ある日、私がリビングに座って洗濯物を畳んでいるとき、急にベランダから父の声がした。
「水!」
私は、ドキッとしてしばらくぼーっとしていたが、「何よ、これって、生きているときと同じじゃない!」と、ぶつくさ言いながら、コップに水を半分汲んで鉢に注いだ。すると父は、満足げに、ゆっくり上下に葉っぱを揺らしながら水を飲んだ。
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「赤い実」3  作家紹介

2025-02-15 21:29:35 | 韓国文学 読書
簡単な作者紹介
イユリさん
2020年、30歳のとき、「パルガン ヨルメ(赤い実)」が「京郷新聞」の新春文芸に当選し、作家デビュー。
ファンタジーな小説が持ち味。

韓国の小説、特にこの小説はひとつの段落が長いのですが、翻訳者は勝手に段落を変えてはいけないそうなので、その点、ご了承ください。

「赤い実」つづき

 ところで、父も決して与(くみ)し易い人ではないので、私がヒステリーを起こすたびに突き出す、いわば秘蔵のカードを持っていて、事あるごとにうまく使った。あれは、私が五歳のとき、父が私をプールに連れていってくれた、ある夏の日のことだった。私は膝まで浸かる小児用プールで、父は大人用プールでそれぞれ泳いでいたのだが、小児用プールにすぐ飽きてしまった私は大人のプールに行き、足を滑らせ溺れてしまった。平日の午前のプールには、私と父しかいなかった。

 私は、三十歳を過ぎた今も、あの瞬間のすべてを記憶している。天井にはめこまれた四角いガラスの縁が、全て乾いた土埃にまみれていたこととか、塩素の臭う水が体中の細胞から入り込み、血管を服従させて私を支配しようとする感覚とか、いつもの床を踏む感覚を求めて全神経を集中し、下へ下へとあてどなく伸ばした足の感覚……。それらすべてを、鮮明に覚えている。そのうえ、あの日のことを思い浮かべるとき、私は、水に溺れている当事者でありながらもプールの天井から見下ろす観察者の視線で、もがき苦しむ自分の姿を眺めることも出来るが、それはそれなりに、やはり鮮明だ。赤い水玉模様のスイムキャップを被った、ぶさいくな女の子がゆっくり溺死していく過程を、スノーボールを覗き込むように、はっきり見ることができるのだ。

 ところがその日のことで、たった一つ覚えていないことがある。ほかでもない、父が私を救う場面だ。それは父のみぞ知る唯一のことなのだが、溺れている私を見るやいなや泳いできて救ってくれたという。父の秘蔵のカードとは、まさにそのことだった。父は、私がイライラしたり頼みを聞いてあげなかったりしたときに、毎度この日の話を切り出した。娘の柔らかい身体が自分の首にぎゅうぎゅうしがみついてきたことや、息をするために必死に父の頭をぐいぐい押さえ込んだ、とかという話をしながら、必ず最後に、あのとき俺がいなかったらおまえは溺死していただろうなと、仰々しく話すのだった。もちろん私も、一方的にやられてばかりはいられないので、父親として娘を助けたことが、そんなに自慢することなのか、と言い返すのだが、不思議とそれ以上は何も言えなくなり、身体が重くなるのだ。結局は、ココナッツウォーターとやらを買いに夜中にコンビニに行ったり、製造元に電話をかけ、扇風機の羽はなぜ左にしか回らないのかと尋ねたりした。


我が家のネコと保護している仔猫たちです。









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韓国の小説「赤い実」2

2025-02-11 15:21:27 | 韓国文学 読書

翻訳作品を読んでいただき、ありがとうございます。
パソコンに眠っていた自作の翻訳が読めていただけるようになり、
とってもうれしいです。
物語をお楽しみくださいね。



骨壷を見つけたのは、それから季節が二度も変わったあとのことだった。食器棚の奥の方にしまっていたそれを、はったい粉と勘違いしてスプーンに山盛りすくい、クンクン匂いまで嗅いだのだ。もともと保存食を入れるための普通の食器棚なのだが、いったい、なぜそこに入っていたのかは分からなかったけれど、食べなくてよかった、とほっとして蓋をしたあと、流し台の上に置いておいた。ところがそこは場所が良くなかった。というのも、ガスレンジの換気扇の下に立ってタバコを吸うたびに、その骨壷が目に障ったからだ。ゆったりとしたある朝、たばこを吸いながらじっくり見ているうちに、磁器だと思っていたその壷が、本当は加工されたプラスチックだったことに気づいた。同時に、なぜか、とんでもなかった父の頼みが思い出され、だったら叶えてあげようか、難しいことでもあるまいし、と思った。
生前、父は荒唐無形なことをたびたび言う人だったが、病気になってからは時に、ただ私を苦しめるためにわざと言っているに違いない、と思えるほど、一層ひどくなっていった。
急にアシハラガニの炒め物が食べたいと、私を西海岸まで行って来させたり、「朝(アチ)の(ム)広場(マダン)」にどうしてイ グミアナウンサーが出ていないのだ。KBS に行って聞いてこい、と言ったりした。また、テレビで、旧日本式の建物をそのまま真似て作った居酒屋を見たときは、こっそり夜中に火をつけてこいと言ったこともあった。私が捕まったら、誰が父さんの面倒を見るの? ひとりでトイレにも行けないのに、とつっけんどんに口答えすると、父はくるりと背を向けて寝たまま、半日近くひと言もしゃべらず、夕方になってやっと、ところでだな、パプリカのことだが、赤いのと黄色いのとでは、何が違うのかと訊いてきた。私は皿を洗う手を止め、洗剤のついた手でスマホ検索をして教えてあげた。赤は骨粗鬆症に、黄色は高血圧に良いということを。
もちろん私も毎日いい顔ばかりはできず、時には癇癪を起こすこともあった。ある日、金魚を十匹だけ買ってこい、と布団の下からしわくちゃに折った二万ウォンを取り出して握らせるので、文句を言いたくもなく、黙って二千ウォンで金魚を十匹飼ってきたことがあった。すると、それを抱えて洗面所に連れて行ってくれと言い、そのあといつまで経っても出てこない。何をしているのだろうとそっと入ってみると、バスタブに水を溜めて金魚を放ち、一匹ずつ手のひらに載せては、なでたりいじったりしながら覗き込んでいるではないか。「父さん、何してるの。おかしいんじゃない!」 カッとなって声を上げると、父は素気無く振り向いて言った。「魚は人の手が触れると火傷するというが、本当か、気になって試してるんだ」。私は手洗い場に立ちつくし、もう一度叫んだ。「ほんとに、いろいろやらかすね。まったく!」 


おまけ
畑でできた、小さな、小さな大根です。



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以前、私が訳した韓国の短編小説です

2025-02-08 20:30:55 | 韓国文学 読書
ここ数年続けてきたコンクールの応募
何度も何度も諦めずに良くも続けてきたものだとわれながら感心します。
その間、表現を学ぶため意識的に読書もしました。
挑戦を止めて一年経ちました。
今読んでみると、未熟だったところもよくわかります。
深刻な内容の小説が多かったですが、その中で、ユーモアのある小説を載せようと思います。長いので
どこまでできるかわかりませんが、今日はほんのさわりだけを。

赤い実

 父は生前、自分を火葬したあとは遺骨で植木鉢を作ってくれと言っていた。それは本当に、とんでもない話だった。とはいえ、父は普段からその類の、愚にもつかないことをたびたび言う人だったので、私はついうっかり、そうするね、と答えてしまい、あれ、これっておかしい、と気づいたときは、すでに骨壷を膝に載せて家に向かうバスの中だった。

バスには斎場の前の停留所で一緒に乗ってきた人が何人かいたのだが、皆、泣いたあとか、泣いているか、今にも泣きそうな人
たちだった。それに比べると私は、弁当の入ったカバンを抱いてピクニックにでも行く人みたいだ-そう思えたとき、本当にこのまま出かけるのも悪くないほど天気はとっても良くて、風も爽やかだった。おまけに、家の近くの公園と、公園の前にあるサンドイッチ屋さんが浮かび、急に空腹まで覚えたのだ。私は、もともと降りる予定だったバス停より一つ先の、公園前のバス停で降りることにし、路線図を見た。ところがそのとき、後部座席のどこかで誰かが大声ですすり泣きを始めたせいで気分を損ね、公園には行かなかった。

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ノーベル文学賞受賞者の本のこと

2024-10-11 22:25:37 | 韓国文学 読書
またまた間が空きました。その間、書きたいことはいろいろあったのですが。

最近の話では、保護猫活動。今4匹の猫のお世話をしています。やっとスマホデビューしたこと。家庭菜園と鹿の被害を書いたエッセイが、今週水曜日に毎日新聞の地方版に掲載されたことなど。

昨日、韓国の作家はん・がんのノーベル文学賞受賞のニュースに接しました。
昨日のニュースでは詳細がわからないので、今日、 KBS の午後9時のニュースを見ました。
本屋に買い求める人が殺到しているそうです。日本でも東京のチェッコリという本屋に注文が殺到しているそうですね。

代表的な「菜食主義者」、「少年が来る」の翻訳本は数年前に読みましたが、「別れを告げない」という本も代表作だということは知りませんでした。

「少年が来る」は1980年に光州であったことをもとに書かれた本で、読んでいるとき怖かったことを覚えています。今日のニュースで主人公の元になった人の名前を知りました。「別れを告げない」も済州島であった悲惨な実際の話をもとにしているそうなので、読めそうにありません。

けれど、「ギリシャ語の時間」という本は読みやすく面白かったです。そして「すべての白いものたち」は原文を読みましたが、とても詩的で美しい文章でした。彼女は詩人でもあるそうです。

今日はこれくらいにします






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