ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

私の学びーエッセイ教室に通いだしました

2016-10-05 22:04:05 | Weblog
 今日は2回目のエッセイ教室でした。
教室で発表している矢先にクスクスと反応が有りました。一回目の時先生から評価されましたが、今度はだめかなと思っていたので意外でした。
 発表の機会もないことですし、発表するほどのものでもないですが、ブログに載せてみることにしました。
 エッセイ教室に通いだした過程などを書いています。私がつけた題は「エッセイを書くということ」でしたが先生が変えてくださいました。

             「得意分野」あり

 半年ぐらい前から思っていたことをやっと実行に移した。何か習い事をしよう、月一回ぐらいの教室が良いかな。文学系、例えば俳句か短歌、漢文も昔好きだったな。カルチャーのパンフレットには、万葉集や源氏物語もあり、どれにも少しずつ関心があった。
 その中で、月一回で通え、曜日の条件にちょうど合う教室がエッセイ教室であった。一度見学をしようと思ってから何カ月か過ぎた。
 そして、やっと見学に行くという一歩を踏み出した。
講座生の皆さんが自分の作品を発表し、先生が講評をされるという形式のようだった。次の講座日までにエッセイを一つ書かなければいけないという事実を知った。
 ここで、またためらいが生じた。いつもはハングル講座の受講生たちに宿題を出す立場だが、いざ自分がするとなると大変だなと思えた。ましてや、エッセイである。(与えられた題目で次の講座日までに書けるだろうか…。いや今始めないと、また「学び」の機会を失う。とにかく書いてみよう。)
締め切りぎりぎりに提出し、正式に受講生として講座に参加した。
 息つく間もなくと言えば少し大げさだが、次回までまたひとつ書かなければいけなかった。今までの生活と一変して、毎日頭の中はエッセイ、エッセイ…。
 ところで、エッセイとは? 昔、随筆と言っていたものの呼び方がいつの頃からか変わったのだな、程度の認識であった。随筆について私が知っていることは「形式にとらわれず、思いのままに書くこと」などわずかなものだったので調べることにした。そして「エッセイの書き方」という本に出会った。
この本は十三人の著者が、みずからのエッセイに関する考えを綴っている。。いろんな角度からエッセイについて述べられている。
 「自由で気軽に」、「エッセイは年輪に関わっている」という、自分に当てはまる文章が目にとまった。とりわけ
「決して飾り立てた装いや厚化粧はいらない」を読んだときは、装わない、素朴、素直は「得意分野」だと思った。
しかし、質の高いエッセイは難しそうだ。「メリ、ハリ、テリ、ツヤ」のある文章、魅力ある文章を書くというのは並大抵の事ではない。
この本を読んでいて、これからの老後をどう生きるかというヒントも得た。真実を探るための意識的な観察、文章以外の修行のためにより多くの体験を重ねなければ、ということ。
美しい日本語を少しでも習得したいと始めた習い事だが、新たな目標ができた。
 気負いすぎず、息切れしないよう、三日坊主にならないよう、氣をつけながら続けようと思う。