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ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

エッセイ  玉ねぎを植えたときの話 カワニナ

2025-06-18 22:49:01 | エッセイ

あっという間の40日でした。

玉ねぎ、にんにくの収穫、その後の手仕事、梅の手仕事、

夏野菜の苗の植えつけなどで御無沙汰していました。

goo ブログのサービスが終わるまで、これからは、過去に書いたエッセーを投稿しようと思います。

今回のエッセイは、十年近く前に書いたものです。読んでいただければ嬉しいです。

 

カワニナの貝塚

私のささやかな趣味は数年前から始めた家庭菜園である。菜園といっても、庭の隅にある二、三坪の小さな畑である。毎年トマトとにんにくを植えていたのだが、おととし初めて玉ねぎを少しだけ植えてみた。

去年の初夏、初めて収穫した新玉ねぎ。何の知識もなくただ植えただけのそれは、小さかったが真っ白でみずみずしく、その美味しさに感激すら覚えた。

その後本で知識を得て、元肥も施し畑を深く耕し、多めに植えることにした。畑を掘っていると、あちこちから出てくるは、出てくるはカワニラの殻が。あ、オモニ(母)が捨てたものだとすぐわかった。

カワニナは二、三センチほどの小さな巻貝で、きれいな淡水に住み、ホタルの餌だということが知られているが、オモニは韓国語の方言で「コドィン」と呼び、好んで食していた。

 近くの川でバケツに拾ってきては、塩水で湯がき、その身を取り出してそのまま食べたり、取り出した身を集めてキャベツの千切りと和えていた。

元々小さなカワニナのその身は本当に小さく、湯がいた後針を刺しくるくると回して身を取り出すのだが、使い古した針は、ところどころ錆びていた。後にその針は、爪楊枝に変わる。

手間暇のかかるその作業は、昼間一人の時にしていて、帰ってきた私や孫たちに食べなさいと言って出してくれていた。ほろ苦いカワニナとキャベツをお酢と砂糖とコチュジャンで和えたその手料理は、なんとも言えず美味で私は一瞬でペロリとおやつのように平らげたものだ。

 懐かしい思い出にふけりながら、貝殻を拾い一か所に集めた。そこに捨てられて二十年は経っているのだが、土の中に埋もれていたからだろうか、元の暗褐色を残していた。古代人の暮しぶりを残すという「貝塚」を彷彿させた。

私は、集めたカワニナの写真を撮り、また、土に埋めることにした。玉ねぎ畑の横に酸化しないように深く埋め、その上に「オモニのコドィン」と書いた石を置いた。

 山でゼンマイを摘み、ツルニンジンを掘ってきて食し、畑には桔梗を植えてその根でナムルを作り美味しく食べていたオモニ。自然の恵みをいただくために時間と労を惜しまず、働き者だったオモニ。今は食べたくても食べられない懐かしいカワニナの和え物。

十一月の初旬に植えた玉ねぎの苗は、年を越しこの厳しい冬に青々と伸びてきた。日々の成長が目に見え、収穫が今から待たれ楽しみだ。畑の横には「貝塚」。そこに見守るオモニの姿がある。

 



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