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ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

エッセイ  玉ねぎを植えたときの話 カワニナ

2025-06-18 22:49:01 | エッセイ

あっという間の40日でした。

玉ねぎ、にんにくの収穫、その後の手仕事、梅の手仕事、

夏野菜の苗の植えつけなどで御無沙汰していました。

goo ブログのサービスが終わるまで、これからは、過去に書いたエッセーを投稿しようと思います。

今回のエッセイは、十年近く前に書いたものです。読んでいただければ嬉しいです。

 

カワニナの貝塚

私のささやかな趣味は数年前から始めた家庭菜園である。菜園といっても、庭の隅にある二、三坪の小さな畑である。毎年トマトとにんにくを植えていたのだが、おととし初めて玉ねぎを少しだけ植えてみた。

去年の初夏、初めて収穫した新玉ねぎ。何の知識もなくただ植えただけのそれは、小さかったが真っ白でみずみずしく、その美味しさに感激すら覚えた。

その後本で知識を得て、元肥も施し畑を深く耕し、多めに植えることにした。畑を掘っていると、あちこちから出てくるは、出てくるはカワニラの殻が。あ、オモニ(母)が捨てたものだとすぐわかった。

カワニナは二、三センチほどの小さな巻貝で、きれいな淡水に住み、ホタルの餌だということが知られているが、オモニは韓国語の方言で「コドィン」と呼び、好んで食していた。

 近くの川でバケツに拾ってきては、塩水で湯がき、その身を取り出してそのまま食べたり、取り出した身を集めてキャベツの千切りと和えていた。

元々小さなカワニナのその身は本当に小さく、湯がいた後針を刺しくるくると回して身を取り出すのだが、使い古した針は、ところどころ錆びていた。後にその針は、爪楊枝に変わる。

手間暇のかかるその作業は、昼間一人の時にしていて、帰ってきた私や孫たちに食べなさいと言って出してくれていた。ほろ苦いカワニナとキャベツをお酢と砂糖とコチュジャンで和えたその手料理は、なんとも言えず美味で私は一瞬でペロリとおやつのように平らげたものだ。

 懐かしい思い出にふけりながら、貝殻を拾い一か所に集めた。そこに捨てられて二十年は経っているのだが、土の中に埋もれていたからだろうか、元の暗褐色を残していた。古代人の暮しぶりを残すという「貝塚」を彷彿させた。

私は、集めたカワニナの写真を撮り、また、土に埋めることにした。玉ねぎ畑の横に酸化しないように深く埋め、その上に「オモニのコドィン」と書いた石を置いた。

 山でゼンマイを摘み、ツルニンジンを掘ってきて食し、畑には桔梗を植えてその根でナムルを作り美味しく食べていたオモニ。自然の恵みをいただくために時間と労を惜しまず、働き者だったオモニ。今は食べたくても食べられない懐かしいカワニナの和え物。

十一月の初旬に植えた玉ねぎの苗は、年を越しこの厳しい冬に青々と伸びてきた。日々の成長が目に見え、収穫が今から待たれ楽しみだ。畑の横には「貝塚」。そこに見守るオモニの姿がある。

 


「赤い実」最終回

2025-05-06 14:31:24 | 韓国文学 読書

 

花が終わると、そこには小さくて真っ赤な実がなった。あの日以来、父と母が会話する姿はほとんど見られなかったが、時々どちらかがクスクス笑っていたり、小刻みに葉を揺らしたりしているところを見ると、声に出して話さなくとも互いに心は通じ合っているようだった。すでに一本の木になっているので、当然といえば当然だが。

何事もなく秋は深まり、実は少しずつ大きくなり、はじめはボタン大だったのが、日に日に成長してキャンディーくらいになり、今は丸い餅くらいの大きさになって、皮もつやつやだ。じっと見ていると、たまにぷくぷくっと動くときもあって、指先でそっと撫でてみるととっても柔らかく、可愛くもあった。毎日覗き込み、もう熟れただろうか、いつ完熟するのだろうか、と突っついたり話しかけたりしながらその日を待った。

へたの周りが、黒みを帯びた赤色になり、うずくまった子うさぎくらいの大きさになった、とある夕方、「産まれる! もう産まれる!」と、Pの母の叫び声がするので、Pと私は声の方に駆け寄った。表皮をブルブル震わせながら、枝から離そうとあらん限りの力を振り絞っている。すると、「おお!」という間もなく、ぽとりと軽やかに落ち、コロコロ転がるのだった。危うくソファーの下に転がり込むところだったその子を、Pが素早く手を伸ばして掴んだ。「温か~い」。Pが言った。

私が手を差し出すと、Pは生まれたばかりの実を手のひらに載せてくれた。Pの言うとおり本当に温かくて、目も鼻も口もないのにあまりにも可愛く、何度も頬ずりしたくなるほどだった。私はPに実を返した。「ところで、これはどうしたものかな?」 手のひらであやすようにごろごろ転がしながらPが言う。言われてみると、早く生まれることばかり考え、その後どうするのかは、まったく考えていなかったので、私も眉間にしわをよせPと目を合わすほか、なかった。

手のひらでしばらく転がっていたが静かになり、眠ったように見えたので、Pはそっと実をテーブルに持って行き、タオルを敷いてその上に置いた。そのあと、私と Pは実を間に向かい合って座り、この子をどうすべきかとしばらく話し合った。このままだとすぐ腐るだろうし、かといって、生まれたばかりの子を植木鉢の土に埋めてしまう、というのも全く気が進まなかった。そのうえ父とPの母に訊くと、呑気な声で、お前たちの弟妹だから自分で決めろと言うではないか。二人でしばらくその子をつねったり撫でたりしながら「どうしよう、どうしよう」と悩んでいたが、Pが立ち上がって引き出しから果物ナイフを取り出して言った。二人で半分分けして食べてしまおう。

私はそれも悪くないと思った。Pが皮に果物ナイフをそっと当てただけで、よく熟れた実は半分にぱっくり割れたのだが、真っ赤な果肉はとても美味しそうに見えた。私とPはそれぞれ一切れずつ持って「いち、に、さん!」と、ポイと口に入れた。ぷにょぷにょした食感に、芳しく、たっぷりの甘い果汁――。二人は目を丸くして、おいしいね、と言外に確かめ合いながら、せっせと顎を動かした。ごくり、と飲み込むと、噛みつぶされた果肉の、喉をつたう動きがくすぐったく、直後に、その真っ赤な粒が、ポチャンと胃の中に落ちて優しく溶けていく様まで、目の前のできごとのように、はっきり感じとることができた。

私はその夜、おかしな夢を見た。それは、営業時間を終えた遊園地のようなところを駆け回り、どこまでも転がっていく赤いボールを追いかけている夢だった。ボールを捕まえポケットに入れた瞬間夢から覚めたのだが、翌朝、この夢の話をすると、 Pが「あっ、もしかしてそれ、胎夢(テモン)(妊娠を予知する夢)じゃないか」と言うので、私も、(そうだったのか)と、思った。


赤い実一気に

2025-05-06 14:03:47 | 韓国文学 読書

ご無沙汰してました。口実になりますが、パソコンの不調がやっと解決しました。

「赤い実」の残りをあと二回ぐらいで終わらせようと思います。お付き合いくださいませ。

夕方、Pは私の翻訳した「りんご」を読んでいた。私は口がさみしくなり、インスタントラーメンをカリカリのまま細かくして、おやつにしようかと思っていると、父が急に、お前たち、ちょっとこっちに来い、というので、Pと私はいちど目配せしてベランダに出た。また何を頼もうというの? 皮肉っぽく言うと、Pに視線でたしなめられ、父は聞かなかったふりをして威厳のある声を作り言った。俺たち、結婚するつもりだ。Pをちらりと見ると笑いをこらえていたので、私も安心してキャッキャと笑った。Pが私の脇腹を強く突っつきながら、笑っちゃ駄目、と自分を棚にあげ真顔になった。お構いなしに思い存分笑ったあと、だけど、どうして急に? と訊くと、父は待っていたと言わんばかりに答えた。――子どもが生まれるからだ。

それを聞いて私が想像したものは、赤ちゃんのような形の根で、引き抜くと悲鳴を上げるというマンドラゴラとか、映画「カーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」に出てくる「ベビーグルート」のような姿だったので実感が湧かなかったが、そういえば、おかしいという点では、父さん自体もヘンテコだもんね、と気づき、くっくっと笑った。けれど、父の言うその「子ども」というのは、まったく違う姿をしていた。Pが繁った枝をそっとかき分けると、そこに現れたのは、小さくて丸い、角のような形に固く巻かれた、紛れもない蕾だった。Pの母が恥ずかしそうな声で、あさってごろ咲きそうだよ、とつぶやき、私とPは顔を見合わせた。ひとまずおめでとう、と渋々言っているPの表情がおかしくて、私はまたへたり込んで大笑いした。

Pと私は結婚式のあくる日、花き市場に行き、そこで一番大きくて、おしゃれな植木鉢を買ってきて、父と母を丁寧に抜き、新しい鉢に一緒に植え替えた。その後、私はかわいいワンピース、P はスーツでおめかしし、皆でテーブルを囲み、ケーキにろうそくを立て、シャンパンを飲んだのだが、父がこれは結婚式じゃなくて誕生日じゃないか、とふくれっ面をした。それでも私は楽しくて仕方なく、時折感傷的になっては、これが娘の気持ちというものなのね、とつぶやきながら涙を拭くふりをして皆を笑わせた。

その日ベッドに横たわったとき、もう二人は兄妹になったのね、と言うと、それじゃ、兄妹では絶対しないことをしてみよう、とPにやんわり誘われ、夜光ステッカーも恥ずかしくて落ちてしまうほどの ――実際は壁に激しくぶつかり揺らしたために落ちたのだが―― とにかくそんな夜を過ごした。あくる朝見ると、夜の間に蕾は鮮やかに花開き、ピンクの花芯にたっぷりついた黄色い花粉の、甘くて少し生臭い香りが家中に満ちていた。

 

 

 

 


「赤い実」10 コゴメバナも終わり

2025-04-15 23:02:14 | 韓国文学 読書
物語は佳境に

それからは二人でほぼ毎日、同じ時間に同じ場所で会い、私は彼について、名前は P○○だけれど、Pとだけ呼んでほしいということ、趣味と仕事を兼ねて書くイラストは主に童話や幼児雑誌に掲載されている、ということから、タバコはメンソール、コーヒーは薄いラテが好きで、犬より猫が好きだということまで知ることになった。
父もPの母に会うとうんと口数が増え、あれこれ楽しそうに喋った。たまに父の昔のギャグが通じてPの母がキャッキャと笑うのだが、そのたびに、私とPはいぶかしげに顔を見合った。二人が気兼ねなく会話できるように、公園を一周してこようとPを誘い出し、長時間散歩して帰ってくると、父は、もう帰ってきたのか、と不機嫌になり、Pの母は、若葉の縁をほんのり赤く染めていた。
ある日、夕食に誘われ、父と一緒にPの家に出かけた。私は新しいワンピースを身に付け、Pには甘いポートワイン一本を、Pのお母さんには、一度土の中に埋めておくと十年は持つという、ドイツ製の固形肥料を用意した。
その日、おしゃれをしたかった父は、私が剪定鋏を向けてもおとなしくしてサクサクと枝を切り落とされ、とてもすっきり整った姿になってPの家に行くことができた。
Pが開けてくれたドアのすき間から美味しそうなにおいがふっと漂い、入る前からうきうきした。Pの家は、私の家とよく似た間取りで、ベランダのついた小さなリビングと、もう一回り小さな寝室のある、こじんまりしたマンションだった。私はひと目で Pの家が気に入り、来客のために慌てて整理したと思われる節はあったが、それほどきれいに拭かれていない部屋の隅や、ところどころ手の跡のついた窓ガラスや、あちこちに傷あとのある床が心地よく感じられ、そのことを話すとPは恥ずかしがった。
Pは何種類かの手料理を四人掛けのテーブルに整え、私とP、父とPの母が、それぞれ向かい合って座り、食事をした。四つのワイングラスに、ミネラルウオーターと、私が買ってきたポートワインを二杯ずつ注ぎ、ワインは私に、水は父に渡しながら、 Pは「これぞまさしく、つげよ、飲めよ、じゃありませんか」と、そんなにおもしろくない冗談を言ったのだが、父は茎を折り曲げカラカラ笑った。私は出された料理をお腹いっぱい食べ、Pはどこからか「じゃあこれも、そしてこれも」と、おいしい料理を次々持ってきて皿に盛った。とうとう鍋が全部空っぽになるとPは、照れくさそうに後ろ頭を掻きながら「あっ、タバコが切れた」と言い、私は、Pが一緒に買いに行こうと言う前に、すでに玄関に立って靴のかかとを踏んでいた。
春の夜、ライラックの香りが漂っていた。Pが「マンションの敷地のどこかにライラックが植えられているけど、どこにあるのかわからないな」とつぶやき、私が「そうなんですね」と答えたあと、しばらく会話が途切れた。マンションの正門にあるコンビニまで歩いて行ってタバコを買い、帰り道でもこのまま何も言わないつもりかなと思っていると、ほぼ家に着くころ、Pがライラックの木でも探すかのように、いたずらに花壇に視線をやりながらも、口では、つき合ってくれますか、と言い、私は、そうしましょうか。そうしましょう、と答えた。
あくる日、父にこのことを話すと、それは良かった、とひとこと言ったきり、やぁ、ユジン。近頃天気が本当に良いなと、急に話題を変えた。私は、父も昨夜私たちが出かけている間、Pの母にPと同じようなことを言い、そしてPの母も私と同じような返事をしたのだと察した。


雪柳の別名はコゴメバナ 懐かしい響きです。先日の嵐でほぼ終わりました。季節はいっきに初夏へ 


赤い実9 アスパラガス初収穫

2025-04-08 23:00:53 | 花、そして野菜たち


「赤い実」続きです

 そのときはじめて、男の人の横に父と似通った大きさの植木鉢が見えたのだが、そこには、丸くてみずみずしい葉っぱの繁る木が一本植えられていた。丁寧な手入れが見て取れるそのすてきな木に、私も父も、わぁーと感嘆の声をあげ、ちらちら見たのだが、男は素知らぬ顔で、手にしていた最後のひと切れを口にぐいっと押し込むと、包装紙を手でがさっと潰し、少し離れたごみ箱に放り投げた。丸められたビニールは、とてもきれいな放物線を描きながらごみ箱に吸い込まれた。私は、誰かがゴミを投げるのを見て本当にきれいだと思ったことがおかしく、くすりと笑った。男がベンチの下に腰をかがめたのだが、そこには私のとまったく同じクルマが畳んで置かれていた。男はそれをてきぱき広げて植木鉢を乗せ、私と同じようにガラガラと押しながら公園を後にした。私と父は、立ち去る男の後ろ姿を呆然と見ながら、数十分もの間、ベンチに座っていた。そしてその日は、バス停にも映画館にも行かず、まっすぐ家に帰ったのだった。
その男―彼に再会したのはその二日後で、その日も彼は、同じ場所で同じサンドイッチを食べ、最後の一口を食べたあと、ビニール袋を丸めてごみ箱に投げた。あの日と違うのは、今日は失敗したことだ。気まずそうに立ち上がり、落ちたごみを拾いに行くのを見て、私はなぜか嬉しくなった。
父は父で、彼の植木鉢を見るのに余念がなかった。父がそういうことをするとは毛頭思っていなかったので、父が急に「無茶苦茶いいですね、天気が」と、声をかけているのを見て仰天し、彼の植木鉢が「はい、そうですね」と、しとやかな女性の声で返事をしたときは、思わずゲッと変な声をもらすほど驚いた。驚いたのは彼も同じで、片方の頬にぷくっとサンドイッチを含んだまま、私と同じように、じっと私の植木鉢と自分の植木鉢を交互に見つめ、私と目が合うと、まるで説明して欲しいかのように目を丸くして、首をかしげた。私は「すみません、父が」と言ってはみたものの、そのひと言ですべての説明になるとは思っていなかったのに、彼は「そうだったのですね」と答えた。今度は私が目を丸くして首をかしげると、彼が「母なんです」と、自分の鉢に目をやるので、「そうだったのですね」と返した。すると、彼はまるでマジシャンのように、何もないところから、包装紙に包まれた新しいサンドイッチを「ジャジャーン」と取り出して私に見せ、「食べますか」と尋ねてくれたのだが、それがちょうど私の好きな鮭のサンドイッチだったので、ペコリとお辞儀して、むしゃむしゃと平らげた。

今日、アスパラガスを四本収穫し、おいしくいただきました(初物です)


庭のケナリ(れんぎょう)


「赤い実」8

2025-03-27 08:53:59 | 韓国文学 読書
読んでくださりありがとうございます。
物語は新しい展開に。植木になった父と会話しながらすごしていた私、ある日、父を「クルマ」に載せて散歩に出かけ、そこで驚きの光景を目にします。


 あくる日、私は町内の雑貨店に行き、適当な大きさの手押し車を買ってきた。「車」と呼ぶには少し気が引ける、どちらかといえば、「クルマ」という名前の方がふさわしい形のそれは、プラスチックの板にタイヤとハンドルを付けただけのシンプルなものなのだが、父はそれを見たとたん、枝をブルブル震わせて喜んだ。そこに父を乗せ、まるでベビーカーを押すようにして外に出てみると、でこぼこ道では少し大変だったが、父の散歩に差し支えはなかった。「公園に行こう。いや、バス停に行こう。映画館にも行きたい」父はしきりに葉を擦りながら楽しげに大声を張り上げ、私は誰かに聞かれはしないかと声をひそめて、「静かに、小さい声でしゃべって」、と言いながらクルマを押した。もし誰かに聞かれでもしたら、「ここに喋る植木鉢があるぞ」と、NASAとか国情院(韓国国家情報院の略称。政府の情報機関。)とか、「世の中にこんなことが」の取材陣なんかが押しかけてきて、大騒ぎになるかもしれないと思ったからだ。
私は、父の注文どおりに公園にも行き、バス停にしばらく座って乗り降りする人を見物したあと、映画館に行って最近封切りされた映画を確認し、また公園の中を通って帰って来たのだが、このルートはそのまま私と父の散歩コースになった。私は二日に一度、間が空いても三日に一度は、必ず父をクルマに乗せて散歩に行き、いつものコースを回って帰ってきた。時には、帰り道に簡単な買い物をしてクルマに一緒に積んで帰ることもあり、その途中に雨に遇うとずぶ濡れになりもしたが、そんなとき父は、より一層青々として、まるで薄いエメラルドの彫刻のようにきらきら輝くのだった。
ある日、いつものように父を乗せたクルマをゆっくり押して公園に行くと、私がいつも座って休憩するベンチに、見知らぬ男の人が座ってサンドイッチを食べていた。私は父をひょいと持ち上げ、その横のベンチに座らせ、私も座って膝をポンポンとはたきながら、帰りにサンドイッチを買わなくっちゃ、と思っていると、父が急に小声で言った。「ユジン、あれ見ろ。見ろ、見ろ、あれをー」

「赤い実」7  手作りのムルギムチ

2025-03-12 23:05:01 | 学び・韓国語
「赤い実」7です。

年が明け、私の髪はベリーショートから肩までのセミロングになり、ハーモニカぐらいだった父の背丈は、バイオリンぐらいに伸びた。その頃になると、私は木になった父との暮らしにすっかり慣れ、父もやはり、木として生きることに馴染んできた。もちろん、私たちはたまに口喧嘩をすることもあり、いっそのことバッサリ切ってしまおうかと思うこともあったけれど、普段は仲良く過ごしていた。
 体が大きくなってくると、父はベランダだけで過ごすことに飽きるようになった。初めのうちは、ベランダの窓{韓国のマンションは室内にベランダが付いている構造になっている}を開け、風に当ててあげたり、景色が見られるようにしてあげると、カササギやハトを見たり、防虫網にひっついた蛾を見たりして喜んでいたが、それもすぐ飽きるようになった。そうこうしている内、日差しのまばゆいある春の日、ついに死にそうな声で、「ユジン、出よう、出たい!」、というので、鉢から抜いてくれという意味かと聞くと、「そうじゃない、ただ外出したいだけなんだ」という。「よいしょ」と、鉢を抱えて持ち上げてみると、思ったほど重くはなかったが、かといって、ひょいひょいと抱いて歩けるほどの重さでもないので、「父さん、重過ぎる。無理よ」と言って下ろすと、父はがっかりして葉っぱをだらりと垂らした。

そのまましばらく何も言わないので、掃除機をかけてしまおうと部屋に戻り、ついでに洗濯もした。ベランダで洗濯物をパッパッとはたいて干していると、急に父が話しはじめた。「昔のことだがなぁ、覚えてるか? 五歳のとき、溺れていたおまえは自分だけ生きようと だな、あの小さな体で、俺の頭を水に……」

おいしくできたムルギムチ

「赤い実」6

2025-03-05 20:54:23 | 韓国文学 読書
「赤い実」翻訳つづき、中盤です。 


私はフランス語の小説や雑文の翻訳をする、言わばフリーランスなので、いつも家で仕事をしていたのだが、それすらたまにしかなく、まったく何もしないで過ごす日も多かった。最近翻訳しているのは、ある無名作家の「りんご」という小説で、自分をりんごだと信じている、あるフランス人女性が主人公の話だ。その女は、物心ついた頃から自分をりんごだと思っていたため、歩く代わりに転がって移動し、化粧する代わりに皮膚に艶を出し、ひたすらきれいな水だけを口にして生きていた。ある日、その女は、街で搾りたての果物ジュースを売っている屋台を見て、その恐ろしい光景に気絶してしまうのだが、意識が戻ったとき、転んだ衝撃で半分にぱっくり割れた状態で病院のベッドを二つ使って横たわっている自分を目にする。子房と種をあらわにした自分の姿に羞恥心を覚えたのも束の間、女はたちまち極度の精神的混乱に陥る。体が割れた瞬間に、魂も二つに裂かれた気がして、自分の意図や意識、意思がいったいどっちの側にあるのか、自分でも分からなくなってしまったのだった。手厚い治療の甲斐もなく、女はだんだん腐っていき、仕舞いには病院のベッドで命を終える。臨終の瞬間、医師に向かって何かをつぶやいたが、医師がまったく理解できず聞き返しているとき、女は息絶えてしまう。女の最後の言葉はカルテに、適当に並べたアルファベットで処理されているのだが、医師は、あれはたぶんりんごの言葉だったのだろうと思い、悲しむ――。ここまで翻訳し終えて、あり得ない、りんごの言葉だなんて、と苦笑するしかなかった。父は木になってからも、窓を開けろ、コーラを買ってこい、などと、人間の言葉を達者に喋っているのに……。

とにかく私は、こんなでたらめな話を、休憩を入れながら翻訳し、たまに気が向いたときは集中して働いた。私が仕事をしている間の父は、というと、洗濯機の上でひたすら日光浴をし、日当たりが悪くなると、「やぁ、ユジン、ソ ユジン!」と大声で呼ぶ。私はフランス語の辞書を伏せてベランダに出、父を日の当たるところに動かす。すると父は静かになり、私はまた仕事に戻る。
もう父を看病しなくてもよくなって時間の増えた私は、仕事も速くなり、前より少し多めの収入を得られるようになった。翻訳の報酬を受け取るたびに、ワンピースを一着買ったり、牛カルビを買ってきて熟成させたりした。なので、父に知らん振りするのも心苦しくて植木用の黄色い活力剤を買ってきて挿してあげると、父は「これを飲むと若返った気がするんだ」と、喜んだ。父の若かりし頃というのは、赤ん坊のときのことなのか、種のときのことなのかと、私も二つに割れそうなほど頭がこんがらがるので、考えないことにした。私と父は、こんな感じでしばらく平穏に過ごした。


「赤い実」5   梅の花がやっと

2025-02-28 21:56:39 | 翻訳
父はその後もぐんぐん育ち、二度も大きい鉢に植え替えなければならなかった。水もコップ一杯では足りないくらいたくさん飲んだ。育つほどに葉が生い茂り、茎も太くなり、今はもう、立派な一本の木になった。小枝や枯れた葉を取り除くと見栄え良くなるのに、話を切り出すだけで悲鳴を上げ大げさに怖がるので、仕方なくぼうぼうになるまで放っておくしかなかった。初めからこうなると分かっていたら、もう少し小さくてかわいい苗木を買えばよかったと、ときどき後悔することもあったが、何はともあれ、父はだいたいご機嫌で、水と光さえあればいいので、生前の父よりはうんと扱いやすかった。
それでも父は父なので、時折変なことをするのは以前と変わりなかった。いったいどのように見ているのか、それとも聞いているだけなのかは分からないが、とにかくテレビの前に連れていってくれと言っては、「韓国グルメ旅行」という番組を、一日中見ているとか、どうも根っこに虫がいるようだから一度抜いて確認してくれ、と言ったこともある。爪の間に土が入るのが嫌で、あとで、と言うと、まだ覚えているのか、あのときのプールでの事件を、また吹っ掛ける。「昔だな、俺が人間だったときに、だな。おまえが、プールで水玉模様の水泳帽を被って……」「もう分かった、分かったから。」結局ビニール手袋をはめ、父を鉢からぽこっと引き抜き、根っこに目を通すのだが、もちろんそこには何もなかった。


春告げ花と言われる梅の花、今年はこの寒さでどこも一カ月近く遅いそうですね。最低気温6~9度が一カ月ほど続いた当地。わが家の梅もやっとほころびはじめました。
4年前の写真と比べると違いが歴然です。


翻訳小説「赤い実」4  

2025-02-21 22:21:19 | 韓国文学 読書
「赤い実」連載4回目です。これで三分の一弱です。

 すでに父はこの世の人ではないが、流し台の上にぽつねんと置かれた骨壷を見るたびに、あのときと同じ気分になる。けれど、生前の父とは違って無視してしまえばそれまでなので、さほど気にはならなかった。でもって、いつか良(ヤン)才(ジェ)洞(ドン)に用事で行くついでに花き市場に寄ればいいやと思いながら、骨壷をベランダに移したものの、すぐさまそのことを忘れた。なのに、なぜかあくる日になると、まるで予定でもしていたかのように、朝食のあと軽く化粧までして才洞行きのバスに乗り、少し居眠りしたあと、(あっ、してやられた)と、気づいた。

 結局その日は、園芸用の土一袋と 貧弱な細い苗木を一本買って帰ったのだが、土はともかくこの木といったら、分厚い葉っぱが何枚かポツポツとついているだけで、見るほどにみすぼらしかった。花き市場の立派な店の中をしきりに覗いていたとき、太った店主のおじさんが出てきて、何を探しているのかと聞くので、父の遺骨に植える木を探しているとは言えずに口ごもると、おじさんが、じゃ、これは、と、プラスチックの鉢に植えられた、よろよろした木を勧めるのだった。名前は聞いたがすぐ忘れてしまい、言われるまま五千ウォンを渡して店を出ると、それで用は足りた。
 家に帰り、リビングに新聞紙を敷き、骨壷を取ってきた。中身を新聞紙の上に空け、熱したキリで壷の底に水はけ用の穴を開けた後、土と混ぜて壺に戻すことにした。父の遺骨はほんのわずかで、さほどきれいな灰になっていなく、ところどころに爪ほどの丸みを帯びた骨の一部が混じっていた。怖くて触りたくない反面、一度指先で転がしてみたくもあり、結局、後者の気持ちが勝ち、その中でいちばん大きい欠片(かけら)をつまみ上げて転がしたあと、透かして見たり、この骨は父さんのどこだったのだろうかと考えてみたりした。そうこうしているうち夕方になってしまい、やっと土と骨を混ぜ、今では植木鉢と呼ばれている、元は骨壷だったその器に木を植えなおした。そして、植物を初めて植えたあと誰もがするように、水をたっぷり与えた後、ベランダにもたれかかって、鉢の底からすーっと流れ出る黒い水を見つめた。
 お湯で手を洗い終えると急に疲れを覚え、その日はいつもより早く寝たのだが、あくる日にはすっかり鉢のことを忘れてしまい、その後一度も覗いてみなかった。その間にも、最初みすぼらしかった木は、勝手にすくすく育ち、梢にはツヤツヤした薄緑色の若葉が芽吹き、茎も太くなっていった。ある日、私がリビングに座って洗濯物を畳んでいるとき、急にベランダから父の声がした。
「水!」
私は、ドキッとしてしばらくぼーっとしていたが、「何よ、これって、生きているときと同じじゃない!」と、ぶつくさ言いながら、コップに水を半分汲んで鉢に注いだ。すると父は、満足げに、ゆっくり上下に葉っぱを揺らしながら水を飲んだ。