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ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

「赤い実」10 コゴメバナも終わり

2025-04-15 23:02:14 | 韓国文学 読書
物語は佳境に

それからは二人でほぼ毎日、同じ時間に同じ場所で会い、私は彼について、名前は P○○だけれど、Pとだけ呼んでほしいということ、趣味と仕事を兼ねて書くイラストは主に童話や幼児雑誌に掲載されている、ということから、タバコはメンソール、コーヒーは薄いラテが好きで、犬より猫が好きだということまで知ることになった。
父もPの母に会うとうんと口数が増え、あれこれ楽しそうに喋った。たまに父の昔のギャグが通じてPの母がキャッキャと笑うのだが、そのたびに、私とPはいぶかしげに顔を見合った。二人が気兼ねなく会話できるように、公園を一周してこようとPを誘い出し、長時間散歩して帰ってくると、父は、もう帰ってきたのか、と不機嫌になり、Pの母は、若葉の縁をほんのり赤く染めていた。
ある日、夕食に誘われ、父と一緒にPの家に出かけた。私は新しいワンピースを身に付け、Pには甘いポートワイン一本を、Pのお母さんには、一度土の中に埋めておくと十年は持つという、ドイツ製の固形肥料を用意した。
その日、おしゃれをしたかった父は、私が剪定鋏を向けてもおとなしくしてサクサクと枝を切り落とされ、とてもすっきり整った姿になってPの家に行くことができた。
Pが開けてくれたドアのすき間から美味しそうなにおいがふっと漂い、入る前からうきうきした。Pの家は、私の家とよく似た間取りで、ベランダのついた小さなリビングと、もう一回り小さな寝室のある、こじんまりしたマンションだった。私はひと目で Pの家が気に入り、来客のために慌てて整理したと思われる節はあったが、それほどきれいに拭かれていない部屋の隅や、ところどころ手の跡のついた窓ガラスや、あちこちに傷あとのある床が心地よく感じられ、そのことを話すとPは恥ずかしがった。
Pは何種類かの手料理を四人掛けのテーブルに整え、私とP、父とPの母が、それぞれ向かい合って座り、食事をした。四つのワイングラスに、ミネラルウオーターと、私が買ってきたポートワインを二杯ずつ注ぎ、ワインは私に、水は父に渡しながら、 Pは「これぞまさしく、つげよ、飲めよ、じゃありませんか」と、そんなにおもしろくない冗談を言ったのだが、父は茎を折り曲げカラカラ笑った。私は出された料理をお腹いっぱい食べ、Pはどこからか「じゃあこれも、そしてこれも」と、おいしい料理を次々持ってきて皿に盛った。とうとう鍋が全部空っぽになるとPは、照れくさそうに後ろ頭を掻きながら「あっ、タバコが切れた」と言い、私は、Pが一緒に買いに行こうと言う前に、すでに玄関に立って靴のかかとを踏んでいた。
春の夜、ライラックの香りが漂っていた。Pが「マンションの敷地のどこかにライラックが植えられているけど、どこにあるのかわからないな」とつぶやき、私が「そうなんですね」と答えたあと、しばらく会話が途切れた。マンションの正門にあるコンビニまで歩いて行ってタバコを買い、帰り道でもこのまま何も言わないつもりかなと思っていると、ほぼ家に着くころ、Pがライラックの木でも探すかのように、いたずらに花壇に視線をやりながらも、口では、つき合ってくれますか、と言い、私は、そうしましょうか。そうしましょう、と答えた。
あくる日、父にこのことを話すと、それは良かった、とひとこと言ったきり、やぁ、ユジン。近頃天気が本当に良いなと、急に話題を変えた。私は、父も昨夜私たちが出かけている間、Pの母にPと同じようなことを言い、そしてPの母も私と同じような返事をしたのだと察した。


雪柳の別名はコゴメバナ 懐かしい響きです。先日の嵐でほぼ終わりました。季節はいっきに初夏へ 


赤い実9 アスパラガス初収穫

2025-04-08 23:00:53 | 花、そして野菜たち


「赤い実」続きです

 そのときはじめて、男の人の横に父と似通った大きさの植木鉢が見えたのだが、そこには、丸くてみずみずしい葉っぱの繁る木が一本植えられていた。丁寧な手入れが見て取れるそのすてきな木に、私も父も、わぁーと感嘆の声をあげ、ちらちら見たのだが、男は素知らぬ顔で、手にしていた最後のひと切れを口にぐいっと押し込むと、包装紙を手でがさっと潰し、少し離れたごみ箱に放り投げた。丸められたビニールは、とてもきれいな放物線を描きながらごみ箱に吸い込まれた。私は、誰かがゴミを投げるのを見て本当にきれいだと思ったことがおかしく、くすりと笑った。男がベンチの下に腰をかがめたのだが、そこには私のとまったく同じクルマが畳んで置かれていた。男はそれをてきぱき広げて植木鉢を乗せ、私と同じようにガラガラと押しながら公園を後にした。私と父は、立ち去る男の後ろ姿を呆然と見ながら、数十分もの間、ベンチに座っていた。そしてその日は、バス停にも映画館にも行かず、まっすぐ家に帰ったのだった。
その男―彼に再会したのはその二日後で、その日も彼は、同じ場所で同じサンドイッチを食べ、最後の一口を食べたあと、ビニール袋を丸めてごみ箱に投げた。あの日と違うのは、今日は失敗したことだ。気まずそうに立ち上がり、落ちたごみを拾いに行くのを見て、私はなぜか嬉しくなった。
父は父で、彼の植木鉢を見るのに余念がなかった。父がそういうことをするとは毛頭思っていなかったので、父が急に「無茶苦茶いいですね、天気が」と、声をかけているのを見て仰天し、彼の植木鉢が「はい、そうですね」と、しとやかな女性の声で返事をしたときは、思わずゲッと変な声をもらすほど驚いた。驚いたのは彼も同じで、片方の頬にぷくっとサンドイッチを含んだまま、私と同じように、じっと私の植木鉢と自分の植木鉢を交互に見つめ、私と目が合うと、まるで説明して欲しいかのように目を丸くして、首をかしげた。私は「すみません、父が」と言ってはみたものの、そのひと言ですべての説明になるとは思っていなかったのに、彼は「そうだったのですね」と答えた。今度は私が目を丸くして首をかしげると、彼が「母なんです」と、自分の鉢に目をやるので、「そうだったのですね」と返した。すると、彼はまるでマジシャンのように、何もないところから、包装紙に包まれた新しいサンドイッチを「ジャジャーン」と取り出して私に見せ、「食べますか」と尋ねてくれたのだが、それがちょうど私の好きな鮭のサンドイッチだったので、ペコリとお辞儀して、むしゃむしゃと平らげた。

今日、アスパラガスを四本収穫し、おいしくいただきました(初物です)


庭のケナリ(れんぎょう)