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ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

「赤い実」8

2025-03-27 08:53:59 | 韓国文学 読書
読んでくださりありがとうございます。
物語は新しい展開に。植木になった父と会話しながらすごしていた私、ある日、父を「クルマ」に載せて散歩に出かけ、そこで驚きの光景を目にします。


 あくる日、私は町内の雑貨店に行き、適当な大きさの手押し車を買ってきた。「車」と呼ぶには少し気が引ける、どちらかといえば、「クルマ」という名前の方がふさわしい形のそれは、プラスチックの板にタイヤとハンドルを付けただけのシンプルなものなのだが、父はそれを見たとたん、枝をブルブル震わせて喜んだ。そこに父を乗せ、まるでベビーカーを押すようにして外に出てみると、でこぼこ道では少し大変だったが、父の散歩に差し支えはなかった。「公園に行こう。いや、バス停に行こう。映画館にも行きたい」父はしきりに葉を擦りながら楽しげに大声を張り上げ、私は誰かに聞かれはしないかと声をひそめて、「静かに、小さい声でしゃべって」、と言いながらクルマを押した。もし誰かに聞かれでもしたら、「ここに喋る植木鉢があるぞ」と、NASAとか国情院(韓国国家情報院の略称。政府の情報機関。)とか、「世の中にこんなことが」の取材陣なんかが押しかけてきて、大騒ぎになるかもしれないと思ったからだ。
私は、父の注文どおりに公園にも行き、バス停にしばらく座って乗り降りする人を見物したあと、映画館に行って最近封切りされた映画を確認し、また公園の中を通って帰って来たのだが、このルートはそのまま私と父の散歩コースになった。私は二日に一度、間が空いても三日に一度は、必ず父をクルマに乗せて散歩に行き、いつものコースを回って帰ってきた。時には、帰り道に簡単な買い物をしてクルマに一緒に積んで帰ることもあり、その途中に雨に遇うとずぶ濡れになりもしたが、そんなとき父は、より一層青々として、まるで薄いエメラルドの彫刻のようにきらきら輝くのだった。
ある日、いつものように父を乗せたクルマをゆっくり押して公園に行くと、私がいつも座って休憩するベンチに、見知らぬ男の人が座ってサンドイッチを食べていた。私は父をひょいと持ち上げ、その横のベンチに座らせ、私も座って膝をポンポンとはたきながら、帰りにサンドイッチを買わなくっちゃ、と思っていると、父が急に小声で言った。「ユジン、あれ見ろ。見ろ、見ろ、あれをー」

「赤い実」7  手作りのムルギムチ

2025-03-12 23:05:01 | 学び・韓国語
「赤い実」7です。

年が明け、私の髪はベリーショートから肩までのセミロングになり、ハーモニカぐらいだった父の背丈は、バイオリンぐらいに伸びた。その頃になると、私は木になった父との暮らしにすっかり慣れ、父もやはり、木として生きることに馴染んできた。もちろん、私たちはたまに口喧嘩をすることもあり、いっそのことバッサリ切ってしまおうかと思うこともあったけれど、普段は仲良く過ごしていた。
 体が大きくなってくると、父はベランダだけで過ごすことに飽きるようになった。初めのうちは、ベランダの窓{韓国のマンションは室内にベランダが付いている構造になっている}を開け、風に当ててあげたり、景色が見られるようにしてあげると、カササギやハトを見たり、防虫網にひっついた蛾を見たりして喜んでいたが、それもすぐ飽きるようになった。そうこうしている内、日差しのまばゆいある春の日、ついに死にそうな声で、「ユジン、出よう、出たい!」、というので、鉢から抜いてくれという意味かと聞くと、「そうじゃない、ただ外出したいだけなんだ」という。「よいしょ」と、鉢を抱えて持ち上げてみると、思ったほど重くはなかったが、かといって、ひょいひょいと抱いて歩けるほどの重さでもないので、「父さん、重過ぎる。無理よ」と言って下ろすと、父はがっかりして葉っぱをだらりと垂らした。

そのまましばらく何も言わないので、掃除機をかけてしまおうと部屋に戻り、ついでに洗濯もした。ベランダで洗濯物をパッパッとはたいて干していると、急に父が話しはじめた。「昔のことだがなぁ、覚えてるか? 五歳のとき、溺れていたおまえは自分だけ生きようと だな、あの小さな体で、俺の頭を水に……」

おいしくできたムルギムチ

「赤い実」6

2025-03-05 20:54:23 | 韓国文学 読書
「赤い実」翻訳つづき、中盤です。 


私はフランス語の小説や雑文の翻訳をする、言わばフリーランスなので、いつも家で仕事をしていたのだが、それすらたまにしかなく、まったく何もしないで過ごす日も多かった。最近翻訳しているのは、ある無名作家の「りんご」という小説で、自分をりんごだと信じている、あるフランス人女性が主人公の話だ。その女は、物心ついた頃から自分をりんごだと思っていたため、歩く代わりに転がって移動し、化粧する代わりに皮膚に艶を出し、ひたすらきれいな水だけを口にして生きていた。ある日、その女は、街で搾りたての果物ジュースを売っている屋台を見て、その恐ろしい光景に気絶してしまうのだが、意識が戻ったとき、転んだ衝撃で半分にぱっくり割れた状態で病院のベッドを二つ使って横たわっている自分を目にする。子房と種をあらわにした自分の姿に羞恥心を覚えたのも束の間、女はたちまち極度の精神的混乱に陥る。体が割れた瞬間に、魂も二つに裂かれた気がして、自分の意図や意識、意思がいったいどっちの側にあるのか、自分でも分からなくなってしまったのだった。手厚い治療の甲斐もなく、女はだんだん腐っていき、仕舞いには病院のベッドで命を終える。臨終の瞬間、医師に向かって何かをつぶやいたが、医師がまったく理解できず聞き返しているとき、女は息絶えてしまう。女の最後の言葉はカルテに、適当に並べたアルファベットで処理されているのだが、医師は、あれはたぶんりんごの言葉だったのだろうと思い、悲しむ――。ここまで翻訳し終えて、あり得ない、りんごの言葉だなんて、と苦笑するしかなかった。父は木になってからも、窓を開けろ、コーラを買ってこい、などと、人間の言葉を達者に喋っているのに……。

とにかく私は、こんなでたらめな話を、休憩を入れながら翻訳し、たまに気が向いたときは集中して働いた。私が仕事をしている間の父は、というと、洗濯機の上でひたすら日光浴をし、日当たりが悪くなると、「やぁ、ユジン、ソ ユジン!」と大声で呼ぶ。私はフランス語の辞書を伏せてベランダに出、父を日の当たるところに動かす。すると父は静かになり、私はまた仕事に戻る。
もう父を看病しなくてもよくなって時間の増えた私は、仕事も速くなり、前より少し多めの収入を得られるようになった。翻訳の報酬を受け取るたびに、ワンピースを一着買ったり、牛カルビを買ってきて熟成させたりした。なので、父に知らん振りするのも心苦しくて植木用の黄色い活力剤を買ってきて挿してあげると、父は「これを飲むと若返った気がするんだ」と、喜んだ。父の若かりし頃というのは、赤ん坊のときのことなのか、種のときのことなのかと、私も二つに割れそうなほど頭がこんがらがるので、考えないことにした。私と父は、こんな感じでしばらく平穏に過ごした。