「赤い実」続きです
そのときはじめて、男の人の横に父と似通った大きさの植木鉢が見えたのだが、そこには、丸くてみずみずしい葉っぱの繁る木が一本植えられていた。丁寧な手入れが見て取れるそのすてきな木に、私も父も、わぁーと感嘆の声をあげ、ちらちら見たのだが、男は素知らぬ顔で、手にしていた最後のひと切れを口にぐいっと押し込むと、包装紙を手でがさっと潰し、少し離れたごみ箱に放り投げた。丸められたビニールは、とてもきれいな放物線を描きながらごみ箱に吸い込まれた。私は、誰かがゴミを投げるのを見て本当にきれいだと思ったことがおかしく、くすりと笑った。男がベンチの下に腰をかがめたのだが、そこには私のとまったく同じクルマが畳んで置かれていた。男はそれをてきぱき広げて植木鉢を乗せ、私と同じようにガラガラと押しながら公園を後にした。私と父は、立ち去る男の後ろ姿を呆然と見ながら、数十分もの間、ベンチに座っていた。そしてその日は、バス停にも映画館にも行かず、まっすぐ家に帰ったのだった。
その男―彼に再会したのはその二日後で、その日も彼は、同じ場所で同じサンドイッチを食べ、最後の一口を食べたあと、ビニール袋を丸めてごみ箱に投げた。あの日と違うのは、今日は失敗したことだ。気まずそうに立ち上がり、落ちたごみを拾いに行くのを見て、私はなぜか嬉しくなった。
父は父で、彼の植木鉢を見るのに余念がなかった。父がそういうことをするとは毛頭思っていなかったので、父が急に「無茶苦茶いいですね、天気が」と、声をかけているのを見て仰天し、彼の植木鉢が「はい、そうですね」と、しとやかな女性の声で返事をしたときは、思わずゲッと変な声をもらすほど驚いた。驚いたのは彼も同じで、片方の頬にぷくっとサンドイッチを含んだまま、私と同じように、じっと私の植木鉢と自分の植木鉢を交互に見つめ、私と目が合うと、まるで説明して欲しいかのように目を丸くして、首をかしげた。私は「すみません、父が」と言ってはみたものの、そのひと言ですべての説明になるとは思っていなかったのに、彼は「そうだったのですね」と答えた。今度は私が目を丸くして首をかしげると、彼が「母なんです」と、自分の鉢に目をやるので、「そうだったのですね」と返した。すると、彼はまるでマジシャンのように、何もないところから、包装紙に包まれた新しいサンドイッチを「ジャジャーン」と取り出して私に見せ、「食べますか」と尋ねてくれたのだが、それがちょうど私の好きな鮭のサンドイッチだったので、ペコリとお辞儀して、むしゃむしゃと平らげた。
今日、アスパラガスを四本収穫し、おいしくいただきました(初物です)


庭のケナリ(れんぎょう)