「赤い実」翻訳つづき、中盤です。
私はフランス語の小説や雑文の翻訳をする、言わばフリーランスなので、いつも家で仕事をしていたのだが、それすらたまにしかなく、まったく何もしないで過ごす日も多かった。最近翻訳しているのは、ある無名作家の「りんご」という小説で、自分をりんごだと信じている、あるフランス人女性が主人公の話だ。その女は、物心ついた頃から自分をりんごだと思っていたため、歩く代わりに転がって移動し、化粧する代わりに皮膚に艶を出し、ひたすらきれいな水だけを口にして生きていた。ある日、その女は、街で搾りたての果物ジュースを売っている屋台を見て、その恐ろしい光景に気絶してしまうのだが、意識が戻ったとき、転んだ衝撃で半分にぱっくり割れた状態で病院のベッドを二つ使って横たわっている自分を目にする。子房と種をあらわにした自分の姿に羞恥心を覚えたのも束の間、女はたちまち極度の精神的混乱に陥る。体が割れた瞬間に、魂も二つに裂かれた気がして、自分の意図や意識、意思がいったいどっちの側にあるのか、自分でも分からなくなってしまったのだった。手厚い治療の甲斐もなく、女はだんだん腐っていき、仕舞いには病院のベッドで命を終える。臨終の瞬間、医師に向かって何かをつぶやいたが、医師がまったく理解できず聞き返しているとき、女は息絶えてしまう。女の最後の言葉はカルテに、適当に並べたアルファベットで処理されているのだが、医師は、あれはたぶんりんごの言葉だったのだろうと思い、悲しむ――。ここまで翻訳し終えて、あり得ない、りんごの言葉だなんて、と苦笑するしかなかった。父は木になってからも、窓を開けろ、コーラを買ってこい、などと、人間の言葉を達者に喋っているのに……。
とにかく私は、こんなでたらめな話を、休憩を入れながら翻訳し、たまに気が向いたときは集中して働いた。私が仕事をしている間の父は、というと、洗濯機の上でひたすら日光浴をし、日当たりが悪くなると、「やぁ、ユジン、ソ ユジン!」と大声で呼ぶ。私はフランス語の辞書を伏せてベランダに出、父を日の当たるところに動かす。すると父は静かになり、私はまた仕事に戻る。
もう父を看病しなくてもよくなって時間の増えた私は、仕事も速くなり、前より少し多めの収入を得られるようになった。翻訳の報酬を受け取るたびに、ワンピースを一着買ったり、牛カルビを買ってきて熟成させたりした。なので、父に知らん振りするのも心苦しくて植木用の黄色い活力剤を買ってきて挿してあげると、父は「これを飲むと若返った気がするんだ」と、喜んだ。父の若かりし頃というのは、赤ん坊のときのことなのか、種のときのことなのかと、私も二つに割れそうなほど頭がこんがらがるので、考えないことにした。私と父は、こんな感じでしばらく平穏に過ごした。
私はフランス語の小説や雑文の翻訳をする、言わばフリーランスなので、いつも家で仕事をしていたのだが、それすらたまにしかなく、まったく何もしないで過ごす日も多かった。最近翻訳しているのは、ある無名作家の「りんご」という小説で、自分をりんごだと信じている、あるフランス人女性が主人公の話だ。その女は、物心ついた頃から自分をりんごだと思っていたため、歩く代わりに転がって移動し、化粧する代わりに皮膚に艶を出し、ひたすらきれいな水だけを口にして生きていた。ある日、その女は、街で搾りたての果物ジュースを売っている屋台を見て、その恐ろしい光景に気絶してしまうのだが、意識が戻ったとき、転んだ衝撃で半分にぱっくり割れた状態で病院のベッドを二つ使って横たわっている自分を目にする。子房と種をあらわにした自分の姿に羞恥心を覚えたのも束の間、女はたちまち極度の精神的混乱に陥る。体が割れた瞬間に、魂も二つに裂かれた気がして、自分の意図や意識、意思がいったいどっちの側にあるのか、自分でも分からなくなってしまったのだった。手厚い治療の甲斐もなく、女はだんだん腐っていき、仕舞いには病院のベッドで命を終える。臨終の瞬間、医師に向かって何かをつぶやいたが、医師がまったく理解できず聞き返しているとき、女は息絶えてしまう。女の最後の言葉はカルテに、適当に並べたアルファベットで処理されているのだが、医師は、あれはたぶんりんごの言葉だったのだろうと思い、悲しむ――。ここまで翻訳し終えて、あり得ない、りんごの言葉だなんて、と苦笑するしかなかった。父は木になってからも、窓を開けろ、コーラを買ってこい、などと、人間の言葉を達者に喋っているのに……。
とにかく私は、こんなでたらめな話を、休憩を入れながら翻訳し、たまに気が向いたときは集中して働いた。私が仕事をしている間の父は、というと、洗濯機の上でひたすら日光浴をし、日当たりが悪くなると、「やぁ、ユジン、ソ ユジン!」と大声で呼ぶ。私はフランス語の辞書を伏せてベランダに出、父を日の当たるところに動かす。すると父は静かになり、私はまた仕事に戻る。
もう父を看病しなくてもよくなって時間の増えた私は、仕事も速くなり、前より少し多めの収入を得られるようになった。翻訳の報酬を受け取るたびに、ワンピースを一着買ったり、牛カルビを買ってきて熟成させたりした。なので、父に知らん振りするのも心苦しくて植木用の黄色い活力剤を買ってきて挿してあげると、父は「これを飲むと若返った気がするんだ」と、喜んだ。父の若かりし頃というのは、赤ん坊のときのことなのか、種のときのことなのかと、私も二つに割れそうなほど頭がこんがらがるので、考えないことにした。私と父は、こんな感じでしばらく平穏に過ごした。

