ハングル;教え、そして学ぶ

日々ハングル(韓国、朝鮮語)を教えながら感じること、韓国ドラマでみる名言。

「ぎん言」に見るぎんさんとウリオモニの共通点

2012-10-21 17:50:50 | Weblog
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今年の夏は暑い日が長くもう10月も下旬だというのに、今日JAのお店にに行くと地物のきゅうりがまだ売られていた。
そして、我が家の一本だけあるなすびの木に最後の(?)実が一つがなっている。

ぎんさんが生前言ってた事をまとめた本「ぎん言」になすびの花に関する諺(?)が有った。

それは、「親の言うこととなすびの花には仇がない」ということだ。
以下、抜粋。
「親の意見となすびの花にはにゃあ千にひとつも仇はないがね
これは実に美根代さんがぎんさんから耳にタコができるくらい聞かされた言葉だった
茄子の花はみんな実を結んで徒花(あだ花―無駄花)がない。それと同じように、親の慈悲から出た意見には、全く無駄がないということの譬え(たとえ)だが、美根代さんは、あらためてこの意味を噛みしめた。」

茄子の花はみんな実を結ぶのかー 少し観察して見たところ、半分以上は実を結んだ。
それはいいとして、オモニもよく言っていた。
「부모 말을 들으면 자다가도 떡이 생긴다.」
若いときは、聞き流していた言葉も、自分が歳をとると身にしみて分かるようになる。
ぎんさんとオモニの共通点だ。親の恩に関して自分で言えるー。言いたいけど言えない世代?の自分。

そして驚いたもう一つの共通点、子は親に絶対服従。これは儒教の教えを色濃く受けてきた、朝鮮時代の末期を生きてきたオモニだったからかと思っていたのだが、「ぎん言」を読むとまったく同じくだりがあった。

(以下、「ぎん言」より)
「一家の大黒柱を自負するぎんさんには「わしがこの家を支えてきたという揺るぎない信念があったのだ…
庭に木を一本植えるのにもおばあちゃんにお伺いを立てんといかんかった。とにかくおばあちゃんが弱みを見せたことはありませんでした。」

「…ぎんさんは普段は物やわらかな態度を大事にしたが、ここぞという時に顔を出す厳しさは、亡くなる寸前まで健在だった。美根代さんが、ちょっとしたはずみで道理に合わないようなことを言ったりすると「おみゃあさんおごるんでにゃあよ」と、80歳近くになった娘をたしなめ、美根代さんは母親の前で畳に両手をついて私が悪うございましたと幾度も頭を下げて詫びないと埒(らち)があかなかった。
『そいである日ね、あんまりだと思っておばあさんもええ歳だでいい加減に憎まれぐちもにゃあほどほどにせんとなと、いうただがね』」

肝心のこの後が手元に本が無くて分からないが、私も一度、50歳も過ぎたので自分の意見を言おうと思い、少し反抗したとき、言葉遣いが気に障ったらしく、えらい剣幕で追いかけられたことがあった。
美根代さんとまったくと言うほど同じなので驚いた次第です。


6日前、特別永住者証明書を受け取った。外国人登録証明書はもういらない。返してしまえばいいのだが、記念に持っておくことに。7月からすでに常時携帯の義務は無くなっていたので、財布からは消えていた。