生活管理・日用品ブログ

増田カイロの臨床における生活指導内容。NAET施術と併用して弱アルカリ体質を維持しましょう。

自分を許すことは、むずかしいよね

2024-01-15 | 桐井のつぶやき
桐井個人ブログからの転載Part2です
※写真は静岡市葵区七間町 別雷神社

自分を許す人

言葉で言うと簡単なのに、すごく難しいですよね。
これが簡単だという人に、今まで出会えた試しがありません。
自分の、例えば失敗を許す・自分の罪を許す・行動を許す・・・
むずい・・・むずいぞーーー!!
でも、ちょっと落ち着いて考えてみてください(^^)(斉藤先生がよく言ってる例えです)
他人の失敗って許すのは簡単ですよね。
小さい子どものやったことなら尚更です。失敗って誰にでもあるし

大丈夫だよ、気にしてないよ
大丈夫だよ。誰も怒ってないよ

普通に考えて、こうなるものです。

悪気のない失敗。
悪意ではない言葉のすれ違い。
悪く思ってないのに、うっかり配慮にかけた言い回し。
うっかりミス。
これを何回も繰り返してしまうのが、私のような「うっかり者」です。
だから、うっかり者はお調子者でもありますが、自分を許すことが大の苦手

たくさんの人たちに迷惑をかけてきた=生きてきた年数

だからです。
でも、それでも、だからこそ自分を許せるようになりながら年寄りになりたいと願ってやまないですね。
だいいち、人はそんなに気にしてません(^^;←気にしてたらごめんなさーい

自分を許す──なぜ大事なのか

なぜ自分を許すことがそんなに大事なんだろう。
一昔前の私なら、わかるけどわからない。
壮大な禅問答をふっかけられたような気分になっていたことでしょう。
でも沢山治療してきた私なので、最近薄ぼんやりと、↓これがわかってきたのです。
自分を許さないと、いずれ人をも許せなくなってしまう。

もしこれを読んでいる貴方が若いのなら、順調な年代のうちに自分を許す訓練しよっ

人間のピークは30代です。
20代はまだ知識と経験が未熟であるため、発展途上です。
30代特に前半では病気を発症する人はまだ少なく、何より人生経験も蓄積されて来たところです。
体力も20代の人たちとほとんど変わりありません(アスリートは違いがハッキリしていると思いますが)。女性も、20代よりも却って美しくなる年齢です。
  ※但しアレルギー体質の方々・疾患のある方々はそれを感じることもなく年月を過してきたことでしょう
30代は体力的にも精神的にも、順調な人たち…あるいはそうでなくてもバランスが良い年代なのです。

賢さが爆上がりしていく年齢だからこそ

だからこそ、この年代に自分が正義だと思って行き過ぎることもある。

急に辛口になったと思わないでください。自分に当てはめて書いているだけです。
それから、今後SNSでの争いや、学校や職場での悪口陰口に巻き込まれたときの心の持ち方です。

そう、自分を振り返ってみて、一番世の中をわかった気になっていたのがこの頃だと、自分自身を猛省中なのです。
中二病、社二病が避けられないように、三十路病ってのもあると私は思ってます。
実際に自分が通ってきたので、誰もが通る道だとしても仕方がないこと。
通過儀礼なのです。
そして正義を振りかざす割に、自己嫌悪が酷いのもこの頃。
つまり自分を許せない、人も許したくない(自分が、「そうじゃないでしょ」と言いたくなる相手に)。
そんなつもりはなくても、そうだったのです。振り返ると。

自分を許さない人は、人を攻撃する

自動車学校の若い先生に教えてもらった中で
「煽り運転をする人は、実は正義感が強すぎる人」
というのは、妙に腑に落ちたことでした。
「かもしれない運転」
「だろう運転」
のほかにもう一つ
「べきである運転」
というのがあって、煽り運転はこれに相当するということです。
おおーーー!!(@_@;
と素直に感動しましたね

悪を働いているつもりではなく、かえって自分の正義感によって、マナーの悪い運転をする人を成敗しているつもりなのです。
・・・擁護してませんよ(^_^;
傷害事件や殺人事件に発展する煽り運転は、どんなに正義感をもってやったとしても、絶対に悪いことです。
しかしそういう人たちは、案外自己評価が低いのが特徴的です。
自己評価が低いからこその行動なのでしょう。つまり自分が許せない人なのだろうな・・・。

自分の言動に関しても、今思えば自分を許せないからこその過ちなのだということが明らか。
自分を振り返るのは大変恥ずかしいことではありますが、何事も経験しながら人は学びますので、ハズい過去を受け入れましょう😅
こんな私を、敢えて野放しにしてくれた周囲の優しさがあったから、今こうやって反省もできるのです。
だから、今の私も正義をぶつけられた時には、かつての周囲の方たちに見習いたいな、などと思ってる。
つまり・・・何も触れない。

ここ20年くらい、問題がおさまる気配がないのが、文字のやり取りですよね。
文字のやりとりはお互い相手の表情がわからないので、微妙なニュアンスが伝わらないからなのです。

正義感によって攻撃されたら、立ち去るか同情する

SNSが始まってから20年。
パソコン通信のような、電子機器でやり取りできるようになってから35年以上。
その前は無線。
その前は文通。
その前は和歌?
もっと前は木簡ww
文字でのやり取りはいつでも人を魅了してきたし、人前でうまく喋ることができない私にとって、自分の言いたいことを落ち着いて文字に乗せられるのは、人と交流をとるのにはいい手段でした。
※インターネット以前のパソコン通信と、大昔のSNSであるMy space経験者です。SNSが荒れなかった頃…

日本人は「言霊」という言葉があるくらいなので、言葉を重んじるばかりか言葉に宿る力を、実際にあるものとして認める民族です。
だからこそ自分の放つ言葉をエネルギーとして扱います。
私も言葉の力を認めるし、畏れています。
「呪詛」は言葉から始まるし、「祝い」も言葉です。

言葉はエネルギーなので、それを間違って引用されたり、勝手に悪意ある言葉として受け取られたときの衝撃は、想像を遥かに超えるものです。
誤解されるような言葉を送った側も、誤解して悪意の言葉と受け取った側もです。
もしかしてSNSの争いって、こういうところから始まるのが多いのかなぁ?と、ふと感じたのです。
SNSの争いは「呪詛」そのもの。大げさに書いているのではありません。
だからこそ、本当に注意深くなくてはならないのです。

SNSを使う場合は、人と争いをすることに熱中しないように、絶対に注意しなくてはいけません。
悪意が全くなかったはずなのに誤解されて悪意と捉えられ、吊るし上げられることもあるかもしれません。
というかそれが日常茶飯事とか聞きました…どんだけ殺伐としてるのか…。
それでも、言い争いに参加したり自己弁明のために必死になって、時間を多く使い、神経をすり減らし、寝る時間も奪われ、心には(多くの場合はお互いに)深い傷を負ってまで、その件にこだわるべきものなのかな。
その相手は、そんな思いを費やしてまで関係を修復しなくてはならない大切な人・・・なのかな。
大切ならばとことんやったらいいですね😊ただし1:1で、誰も見てないところでね。
その後で本当に関係が修復されるならば、の話になるけど。

もし反対に自分の正しさを証明しようとすれば、相手の間違いを晒すことともなり、今度は自分が人を傷つける側にまわります。
(ワザと争いを起こす工作員と呼ばれるバイトも多いようですが、そういうのは可哀想な人なので相手にしないことです)

人はいつだってお互い様・喧嘩両成敗

間違っているのはどちらか一方などあり得ないのですから、嫌な思いをしたけど「ここにいてももうろくな事にならないな」と思えば黙って立ち去るが吉です。
誤解して、あるいは「自分の友達を守る」という名目で攻撃してしまう人は、自分を許せない人の場合が多い・・・というより99%そうです。
自分を許せないからこそ人を攻撃してしまうので、いつか歳を重ねてわかる場合もあるし、わからないまま一生を終える場合もあります。
でも、攻撃された場合・・・もうそれでいいのではないでしょうか。
気の毒ではありますが、わかる日がうっかり来るかもしれないし。
わかってもわからなくてもどちらでも、どちらでもいいんじゃないかなぁ。
それが自分の人生に何の関わりがあるのだろうと割り切れればいいのです。

正義を貫く様々な年代

人を正そうとする言動が、やはり30~40代にはよく見られます。
まだ血気盛んであり、人生において自分の間違いを反省していくのは、もうすこし先だからです。
(そういう私だって、常に言葉の罪を犯し、反省しても反省してもキリがないです。また5年後、10年後、
きっとこの文章が「な~に言ってるんだかwww」って恥ずかしくなるし・・・(^_^;))
50〜60,70代でまだ正義感による攻撃をする人は、老害と呼ばれてしまう人かなぁと思います。
自分を許せないままだと、つまりは老害になるっつーことです。

た・・・たいへんだぁぁぁ!


老害になってたくさんの人から嫌われたい!!・・・なら止めません。
気をつけねば・・・え、既に老害?(^^;

人は変わらないもの


さて、人を正そうとする傾向があると、気づいてしまったら。
一度落ち込みがひどくて生きていたくなくなるかもしれませんが、そこは堪えよう(^^;

人は正義をぶつけたところで変わりますか?
「人はね、変わらないのよ。絶対に。だから、自分が変わればいいの」
↑これ、よく斉藤先生が言ってますね。
これは悔しいけどwwどうしようもなく真実です。

加えて言葉はエネルギーです。
相手が何を言おうとも、乗ってはいけません。
罵りに対して罵りで返せば、双方に悪いエネルギーが纏いつくのがわかります。感じますよね?
でも罵りに対して、自分が怒らせたのだから反省すべきだ、と思って言い返さなければ、そこで悪い循環は止まります。
相手にもこれ以上の言葉の罪を重ねさせないで済みます。

相手がどうだからではなく、いつも基本的な言葉があります。
「罪のないものが石を投げなさい」By イエス・キリスト
単純明快な一言で終わらせちゃうのかよっイエッサ!!

それなのにこの言葉を知ってるキリスト教が主な国は……なぜか好戦的…。
あ・・・人(国)は変わらないものだからか!www

斉藤先生に聞いてみたら、きっとこう答える。
「あら、それはお互いの(体内)感染源が共鳴して騒いでるだけよ〜」
・・・いえっさより単純明快なのかよっww
SNSや出会・・・ちがうな今は「マッチングアプリ」か(未知の文化だ…)。それから学校の陰口・職場での扱い
全部、ぜ~~んぶ、同じです

つーことで、感染源を抑えておくことが、トラブルに巻き込まれない秘訣ともいえます。
感染源を抑えるのは「弱アルカリの身体」です。

弱アルカリ・感染源の抑え込み・自分を許す
これ結局同じ結果になるんだよね↑ 
心身共に頑丈になるってことなのだと思うのです。
よっしゃ、この冬はこの三本柱でいってみよう!!

ってことで、感染源の施術は進めとこうね(^^;
お後がよろしいようで・・・。

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