大谷川放水路と巴川の関係
さて、前回の記事でちょこっと巴川のことが出ましたので、ついでにクリニック近くの「大谷川放水路」と、かの「氾濫の川」として有名な「巴川」がどのように関係するかを紹介します。
巴川と大谷川放水路は切っても切れない関係です。
切ろうとしたら巴川は大谷川にすがりつくかもしれません😅
大谷川のことを語ろうと思ったら、巴川から話さないといけません。
それほど密接な関係なのです。
巴川を語るには外せない七夕豪雨
これは私が小学一年の時に起こりました。
やまない雨、ニュースでは天気の情報をローカル局で流し、大人たちは緊迫状態。
やがて電話がかかってきて、決壊した(巴川の支流)川沿いにある親戚の家が床上浸水したと連絡がはいる。
ちなみに家も床下浸水。
・・・だけど私は小学一年生なんで、いつもと違う雰囲気にはしゃいでたのでした・・・スミマセン
この日に降った雨量が一晩のうちに508ミリでした。
未だにこの雨量は超える災害がないそうです。
かわなびでいただいた、お子さん向けの資料がわかりやすいので、以下にPDFを引用しておきます。
http://doboku.pref.shizuoka.jp/desaki2/shizuoka/tomoegawa/13tankentai/tanken-pdf/tankentai-4.pdf
巴川氾濫
長尾川・丸子川 決壊
丸子川決壊により、長田地区は一週間以上水が引かなかった。
- 床上浸水:11,981戸
- 床下浸水:14,143戸
- 全壊・家屋流出:32戸
- 死者・行方不明者:41名
※浅間山のリフトは、七夕豪雨で支柱が流された
※土石流が発生し、生き埋めになった方達が、死者行方不明者に多く含まれる
この七夕豪雨で何が起きたか、というところから、治水がどのように行われてきたかを詳しく教えてくれる施設が治水交流飼料館かわなびです。
プロジェクトマッピングとスクリーンの映像で、視覚的に七夕豪雨から大谷川放水路ができるまでの歴史(古代の地形がちがうところから)を教えてくれます。
正直・・・ものすごく面白いです
静岡に住んでいる人間なら、また土地の歴史が好きな方、災害予防をしっかりしておきたい方は必ず訪れて欲しいです。