生活管理・日用品ブログ

増田カイロの臨床における生活指導内容。NAET施術と併用して弱アルカリ体質を維持しましょう。

近藤誠先生、お疲れさまでした。

2022-08-20 | 斉藤の独り言
仕事を終え、帰宅後ネットニュースを見て、近藤誠先生の訃報を知りました。
突然倒れて、病院に搬送されたものの、そのまま永眠されたようなので、先生ご自身も突然のことでびっくりされたかもしれませんが、それほど苦しくなかったのではないかな…と思いますし、そう願います。

私も『昨日「さわやか」でげんこつ食べてたのにね~』という感じで、最後まで好きなことを好きなようにしながらPPK(ピンピンコロリ)で逝けるのが理想です。
ただし、現代医療においてはなかなかPPKで行かせてくれませんから、そうなるために私はNAETで院長と一緒に「PPKを目指してNAETで自己治療」をしてます。

エネルギーメディスンの臨床においてよくあることだと思いますが、病気・事故・戦争など「突然亡くなる」ケースにおいては、本人やご家族に「死に対する恐れ」があると、なかなか成仏(この世にさようなら)できません。これは人間も動物も、そして愛着のある植物も同じです。(もちろん科学的に調べることができないのですから、科学的にこれを証明することはできません)

そのような場合には、「自分や家族の死を恐れず、死を許し、認め、信じ、受け入れ、乗り越えるための施術」を行うことで、死者の魂があの世で楽しく元気に過ごせるようにします。
そうすることによって、この世に残された家族の心に残る「こだわり」を消し、残されたご家族自身の将来をも前向きに、明るくしてくれます。
死者の魂は、まだこの世に生きている大事な人が悲しみ嘆く姿は見たくないですから、自分がいなくても元気で前向きに生き抜いてほしいと願っています。
そのことを生きている者は命あるうちに知らなければいけません。


近藤先生の考え方は、医学界においては異端であったかと思いますが、私にとってはとても参考になることも多く、様々な著書を読ませていただきました。
これからもう近藤先生流の新しい意見は聞けないのかと思うと残念です。
これまで多くの示唆を与えてくださり、ありがとうございました。
そしてこれからはあちらの世界でも自分の信念・価値観・世界観を貫かれて行かれることと思います。


近藤先生が提唱された「がんの放置」に対しては賛否両論ありますが、もちろん当然です。
ひとつの意見が、すべての人に合うわけないのですから。

自分にとっての正解なら、常識から外れていても、他人の意見と違ってもいいのです。
それが自分が反省しても後悔しないための、自分が自分を一番大事に思うが故の判断なら、全く問題ないのです。
患者自身の決断を家族が最大限サポートしてくれたらありがたいですし、またその決断も状況に応じて変えてしまっても構わないのですから。


こちらの患者さんでも、手術と病院から言われてもこちらのチェックで「有効性・必要性なし」と出ればそのように伝えます。
ここ最近の医療の流れ(?)なのか、がんでも、メンタル系でも、発達系でも、とにかく「過剰診断が多い印象」を受けるのは事実です。

しかし最終的に自分の人生に責任を持つのは患者さんご自身とその家族です。
ですから、家族会議で手術することに決めれば、私は手術が成功するように施術(サポート)しますし、手術しないと決めたのなら、手術しないでも悪化しないように施術(サポート)します。

「手術は有効かつ必要だけど、今じゃない」という人には、がん病理の原因として最優先項目(多くは感染源)に対する施術をするとともに、必要な栄養指導(糖・脂質を減らし、タンパク・ビタミン・ミネラルを十分に確保)と弱アルカリ管理と睡眠中の放電を指示し、「手術してOK」となってから手術してもらいます。
化学療法・放射線療法を予定している方であれば、予め用いる薬剤や放射線に対するアレルギーの有無を調べ、「抗がん剤や放射線を使ってOK」という状況になるまで、必要な施術を進めます。

「手術してOK」「抗がん剤・各種薬剤を使ってOK」「放射線をあびてOK 」となれば、各種医療行為に対する副作用は最低限に抑えられ、本来の治療目的が最大限に達成されますから、こちらの患者さんで手術後・化学療法後・放射線療法後もきちんと体調管理を継続されている方の経過は良好です。

ただし、残念ですが、そこでもう大丈夫だろうと自己判断して、施術も自己管理も中断された方は、もちろん再発の可能性は高いです。
手術して取り除いたのも、化学療法や放射線療法で小さくしたのも「結果」に対する処置であって、「引き金」や「原因」までの全てを取り除いた訳はではありません。
標準治療によってがん細胞に刺激を加えてますから、それでおしまい、となるわけはなく、病院で「もう大丈夫」と言われても、「まったく大丈夫ではない」ということを知っておかなければいけません。

「自分の人生は、自分のこれまでの決断の結果」です。
反省して、やり直せばいいですが、後悔だけで行動できなければそれまでです。それもすべて自分の選んだ運命ですから。


また何もしないだけの「がんの放置」は、もちろんありえません。
がんの「引き金」と「原因」を放置していたら、当然悪化するだけです。また年齢にもよると思います。
「放置」という言葉だけが先走り、「放置」の意味を勘違いして誤った自己判断をしている人はそこそこいるかな・・・、とは思います。

有効性・必要性のない手術・化学療法・放射線療法・免疫療法・代替医療は不要であって、有効性・必要性が高ければ標準医療も代替医療も、生活管理と共に必要です。
有効性・必要性の低い標準治療であれば、それを選択しない(放置)ことは悪い事ではありません。

実際、手術・化学療法・放射線療法といった標準治療によって、悪化したり亡くなる方は現代においても少なくないのですから。
もちろん病院において、どれが自分にとって有効度・必要度の高い治療だということを「調べる」ことはまずありません。文献や薬剤会社の資料から判断します。
化学療法薬の選択に患者との適合性を調べるクリニックもありますが、その精度のほどはわかりません。(50%くらいとみてますが)

一方、「弱アルカリ管理」や「貧血対策」、もちろん「アレルギー除去」などは、全ての人の全ての問題解決に有効です。
早いうちからこのような対策をとっていれば、イエローカードは出ても、レッドカードまでの問題が出ることはないでしょう。
すでにレッドカードが出ている人であっても、そうなった原因として酸性体質・貧血(酸欠)・感染源に対するアレルギーがあるのですから、いつから始めてもらっても遅すぎることはありません。

「答えはひとつじゃない」
「自分の答えは、反省しても後悔しないように最終的には自分自身で決めなさい」
「仕事と家族を守るために、まず自分第一でいなさい」
「自分第一でいるために、自己管理のできる、自分のプロでいなさい」

近藤先生が提唱した「がん放置」という言葉の奥には、こういうことが含まれるんじゃないかな~と私なりに勝手に解釈しています。

医療は医療者にお任せ、ではいけないのです。(といっても、相談と自己中心的なクレームは違います)
レストランに行って自分が食べたいものを自分で選ぶように、医療においても「自分がしたいことを自分で選ぶべき」であり、また「自分がしたくないことはきちんと医師・医療者に告げ断るべき」なのです。医療は「言ったもの勝ち」であるのに、日本人ははっきりその場で意志表示をしないことが多いので、自分の思いが伝わらないばかりか、うまく事が運びませんし、「後出しじゃんけん」は誤解を生じます。

「手術はしたくない」と思っている患者さんが、何か所かの病院に行って、どこでも手術といわれたけどどうしよう、と聞かれることもありますが、行った病院全て普通の病院ですから、そういわれるのは当然です。多くの患者さんがこのように「セカンドオピニオン」の意味を理解していません。

ピザを食べたい人が、中華料理屋に行って、ピザが食べられないのは当然です。
ピザが食べたいなら、イタリアンレストランか、ピザ専門店か、ファミレスに行けばいいのです。
行先(やりたいこと)がわかっているのに、乗る電車を間違えたら、行きたいところに行けるはずないのです。

ピザが食べたかったのに、ないから担々麺を食べて、後になってやっぱりピザにしておけばよかったというような後悔は、医学においてはしてはいけないのです。
自分の命がかかっているのですから、安易に判断せず、しっかり自分と家族が後悔しない選択を自分で選ぶべきなのです。

近藤先生は海外の文献をもとにEBMを提示して説明しておられましたが、「お任せ医療」を考え直す機会を患者に与えてくれた功績は大きく、「患者が自分で選択する」というお任せではない医療への向き合い方に対し、背中を押してくれた存在であったな、とこれまでの功績に感謝申し上げます。
近藤先生の考えを踏襲しながら、「自分が受けたい、自分が納得のいく医療」を提供できるよう、これからも全身全霊で臨床に臨んでいきたいと考えています。
斉藤 記


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