デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(11)②<洗馬宿>-<本山宿>-<贄川宿>-<奈良井宿>奈良井

2017-04-19 23:59:59 | 中山道

【2日目】
2017年4月19日 中山道歩き11回目・2日目は宿から洗馬駅に戻り<洗馬宿>スタートです。朝起きると雨が降っていましたが朝食を摂って出発する頃には雨もあがり青空が見えます。   駅に戻るには洗馬神明宮の境内から鳥居のある正門を通るのですがJR中央西線の線路にぶつかってしまい踏切はありません。線路を渡るのが鉄道開通で寺道が削られた証しです。    前方に山が迫ってくると<本山宿>はすぐです。小さな集落、右側に建つ各戸は屋号を大書した看板を出し宿場の雰囲気を残しています。   変わった地名の日出塩集落過ぎ、ほどなく 「是より南 木曽路」 の碑に出会い、「すべて山の中」の木曽路です。   完全な山道の桜沢旧道に苦労し、<贄川宿>に入ります。若神子集落の先から雨が降り出し傘をさします。贄川駅に着き駅前の蕎麦屋で雨宿りをかね昼食にしようと思いましたがお休み。 ちょっと小雨になってきたので先に進み、復元贄川関所では完全に晴れ。  しかし、また雨が降り出し傘をさして宿はずれの屋久島の屋久杉に匹敵する様な巨木「贄川のトチ」を見学。    間の宿<平沢>は漆器の町、道の両側に木曽漆器の店が並び人も少なく落ち着いた雰囲気で好ましいものです。 奈良井川河床が高くなり、せせらぎに沿って歩く様になると間もなく<奈良井宿>奈良井駅に到着、今回の街道歩き終了です。  14時半に駅到着ですが16時まで電車がないため、奈良井宿の見学をして時間つぶしです。    2日目は歩数3万5千歩、15.6Kmでした。

 中山道も<奈良井宿>に入ると<宿数としては半分歩いたことになります。 ただ、この時点で<望月宿>から<下諏訪宿>は歩いてなく中抜け状態なので、宿数半分には未だです。 見るものの多い充実した二日間が終わりました。  

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<洗馬宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・洗馬   「北斎の赤富士」「広重の洗馬」といわれるほど、広重の全作品中の最高傑作と評価される。満月の月明かりの中を芝船と筏が奈良井川を下り、秋風に葦が揺れる。自然と人間の調和は日本人の琴線に触れる風景画であるが、山はなく流れは緩やかで、洗馬宿に同一風景を発見するのは至難といえる。

塩尻・洗馬・本山の3宿は中山道 が塩尻峠経由になり誕生した。洗馬の宿にかつての面影はない。本陣、脇本陣の庭園は評判のものであったらしいが、鉄道に削られ、今はあとかたもない。

朝食                        洗馬神明宮

                

洗馬宿本陣跡           萬福寺                芭蕉句碑            高札場跡碑

                

牧野の一里塚跡碑                              信濃の洗馬「入梅(つゆ)はれのわたくし雨や雲ちきれ」

  

 <本山宿> … 広重/木曾海道六捨九次之内・本山   洗馬から三十丁で本山である。本山宿の先、日出塩(ひでしお)と桜沢との間にある桜沢橋は、松本領と尾州領の国境であった。そのためこの本山宿には松本藩の口留番所が置かれていたという。ここは木曾街道六十九次の宿場中では三指のうちに数えられるほど昔の形態をよく残している。
 広重は、画面を横切る大木を描き、その下で切り倒した大木に腰をおろして一服する樵を配し、こうした山仕事が主であった地方色を出している。自分と同じぐらい大きい籠を背負った子供の姿も可愛らしい。

  そば切りの発祥の地として、江戸時代からよくしられていた。中央本線の駅を近くに作らなかったため、その後の変化は少なく出梁(だしばり)造りと袖卯建(そでうだつ)を持つ家並みが保たれ、屋号の看板を掲げる。信濃十五宿の端の宿となる。

本山宿入口・秋葉神社                     登録有形文化財・川口屋    「雀おどり」の家          ・若松屋

                

脇本陣跡碑                               日出塩の一里塚        長泉寺

                      

 <贄川宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・贄川(にえかわ)  本山から三キロの地点が桜沢橋である。今は境橋といい、この橋を渡ったところに碑があり「これより南、木曾路」と記されている。そしてさらに先の中畑と賛川宿との間には御番所があり、「上下女改め、ひのき細工改め」が行なわれたとある。
 この賛川の宿は今も昔に変わらぬたたずまいを見せる。広重は、この贅川の図では、旅籠屋の店先を描いている。店頭には宿役人であろうか帳面を手にした老人が通りすぎ、馬の荷をおろそうとしている馬子、客を送ってきて一服する駕籠屋、店先ではすすぎを使う客、その客に茶をすすめる女や大きな荷物を運ぶ女、そして二階にはすでにくつろぐ客の姿を描いて、当時の旅寵風俗をあますところなく表わしている。またこの図には、宿の掛け札を利用して、「松島房二郎刀」「摺工松邑安五郎」「同亀多市太郎」とこのシリーズの彫摺に関係した職人名が記されているが、これはきわめて珍しい。

  木曽11宿北端の宿は、女改めと木曽木材の搬出を取り締まる尾張藩の贄川番所があり、石置屋根で復元した建物が公開される。宿場時代の面影は、昭和5年の大火によって殆んど失われいる。交通量も少なく、静かな宿の佇まいを保つ。

 是より南 木曽路               是より南 木曽路 碑                 桜沢旧道

                

 

                     鶯着(おうちゃく)禅寺      若神子(わかみこ)の一里塚            旧若神子村 水場

                

諏訪神社                 贄川駅 … 雨が強くなり駅で雨宿り、蕎麦屋が駅前にあったがお休み!残念               

    

贄川関所(復元)

        

麻衣ヌ(あさぎぬ)神社                                       深沢家住宅

            

贄川のトチ … 推定樹齢千年、樹高33m、根本周囲17.6m(長野県指天然記念物)

                               

        

押込の一里塚跡碑         旧長瀬村分岐                     芭蕉句碑「送られつ をくりつはては 木曽の秋」 

               

平沢集落・漆器の町

                

    

<奈良井宿> … 英泉/岐阻街道・奈良井宿 名産店之図  『木曾路名所図会』に、「名物お六櫛、宮越、薮原、奈良井にこの店多し。木曾山中の名造にして、特に近年はお六櫛と名して諸州に商う、木は棟梁を使う」とある。
 英泉描くお六櫛を商う店には櫛の材料が陰干しされていたり、後ろ向きになって櫛の目を刻む人物の姿が見え、その仕事ぶりを知ることができる。お六櫛の主産地は藪原宿であったが、奈良井側にも及んでいた。はるかにみえる山は木曾駒ヶ岳である。茶を多用した配色のため、ひなぴた感じを受ける。

  中山道の難所・鳥居峠を控え、ここで宿をとる旅人が多く、木曽十一宿中一番の賑わいだった。その繁昌ぶりは「奈良井千軒」とうたわれた。     木曽でも最も長い880mの町並みは重要伝統的建造物群保存地区として、全国で10番目に選定された。また、鍵の手や枡形の位置も往時のままで、全体的に宿場情緒が色濃く漂っている。

橋戸の一里塚… 奈良井川の対岸にある           木曽楢川小学校…木曽漆器が食器

                

奈良井駅 到着

奈良井宿                                                お六櫛

                

 

水場                                                        大宝寺…マリア地蔵と呼ばれる地蔵が                                                    

                        

                                       鍵の手

            

 

=おわり=

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