惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

吉本隆明のエロス論・最新版

2011年09月21日 | 読書メモ
吉本 そもそも僕は日本人にはエロスが薄いんじゃないか、と思ってます。民族性か種族性か、どう呼んでもいいんですけど、この種族がエロス的にどうなのかと言えば、全体として物凄く関心が薄いんじゃないかと思います。(中略)日本においては何かがエロスに入れ替わってしまっている。エロスが全開にならぬところで、反らされてしまっている。特にそれが外に現れる時に非常に貧弱な気がします。自分の内面において自分自身と話をしていると、すごいエロティックな男のように自分では思えるんですが、それが表れとして外側には出てこない。そこには日本の家族制や血縁性の強固さというものが、ヨーロッパなどに比べると非常に大きく作用していて、その問題じゃないのかなっていう気が僕はします。

―その点について、もう少し詳しくご説明頂けますか?

吉本 関心が薄い、強いというのは表層的な部分です。つまりエロティックなものが外に向かって表象されないということなんです。同種族間の結合力の方にエロティックな問題が回収されてしまっている、血縁の男女間の繋がりが非常に強固であるのが妨げになって、エロスの問題が語られづらくなっているように思います。そこでエロスが何かにすり替えられてしまうんですね。しかし、これは一歩間違えれば近親相姦の領域に入ってゆきかねない。

VOBO7/コイトゥス再考 #15「吉本隆明、性を語る。」より

実を言うと以前書いた仮説「日本人はもともと言語能力が低いのではないか」ということを別の方向から考えられないかと思っていて、そのひとつの軸としてエロスというのはあるなと思って資料を集め出した矢先にこんなのを見つけてしまった。

このインタビューのしめくくりで吉本は「家族集団と社会集団は明らかに違う。これは言わなければいけないし、追求していかなければいけない。これは僕の中に今も残っているエロスの問題です。」と言い切っている。吉本は対幻想と共同幻想を明確に区分すべきことをずっと昔から主張してきたわけで、このしめくくりの言葉もそれを改めて言っているだけだということにはなるのだが、その根拠を上の引用のような文脈で言っていることはそれほどなかったのではないかと思う。

このインタビュー自体がどういう経緯で行われ、無料で閲覧できるWebマガジン中の記事として掲載されるに至ったのかはまったく詳らかでないのだが、とにかく大変興味深い内容だと思われる。関心のある人には一読を薦める。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 台風のつれづれ | TOP | 高速哲学入門(281) »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 読書メモ