惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

レヴィナス「実存から実存者へ」(ちくま学芸文庫)(ver. 2.0)

2010年04月11日 | 読書メモ
(Mar.10,2009)
現象学系統で一冊。入門書とは言えないが、読んで面白い一冊。
実存から実存者へ (ちくま学芸文庫)
E・レヴィナス著・西谷修訳
筑摩書房
Amazon/7net

サルトルはレヴィナスのフッサール論文を読んで現象学に走ったと言われている。この本はそのフッサール論の本ではない、どっちかいうとハイデガーの存在論に楯突いている本なのだが、実はこの本の方がサルトルのキモチがよくわかるような気がする。

(Apr.11,2010)
「倫理と無限」を紹介したら検索して見に来た人が結構いたので、改めてこちらもオススメしてみることにする。この本はレヴィナスが「ある(イリヤ)」について述べた最初の、また最も目の詰まった現象学的分析をやっている本として有名なのだと思うが、わたしがこの本をオススメするのは必ずしもそれではない。そっちはそっちで面白いけれど、計算機屋のわたしが読めばそれは「ヌルポインタ参照」のことだと直ちに判ってしまう(いやもちろん皮相きわまりない理解だということは判っているのだが、これ以上の明解な説明に、わたしは出会ったことがない)から困る。

それよりも、この本で最初に出てくるのは「怠惰」あるいは「疲労」の現象学的分析というべきものだ、ということの方を強調したいのである。それもアレだ、朝目を覚ましたのはいいがどうしても寝床から出る気にならない、というあれ、いっぱしの怠け者(?)なら経験したことがないはずがないあの経験を取り上げているわけである。

現象学が何であるか、フッサールやハイデガーの哲学がどんなものであるかはとりあえずどうでもよい、というかあんなものがそう簡単に素人にもわかるというものではないと思う。だがわたしの知る限り哲学が「怠惰の哲学もしくは現象学」から始まっている本はこの本くらいのものである。去年の感想でレヴィナスから現象学に引き込まれた「サルトルのキモチがわかる」と書いたのもそういう意味である。

真面目な話、怠惰についての考察を含まない倫理学、「義を見てせざる」勇なき人や人の状態についての考察を含まない倫理学など無意味だとわたしは思っている(実際、この本を読んだ後で知ったことだが、そういう「哲学」ならちゃんとあるのである。合理性論の一部で「意志の弱さ」についての哲学的分析というものが、ちゃんとあるのだ)。この本は、だから、哲学の背景を持つものとしては唯一まともな倫理学であるレヴィナスの後年の議論の哲学的基盤となった本なのである。仔細に分け入って読めば読むほどわけがわからなくなる本であることも確かなのだが(笑)、それを言ったらレヴィナスの著作は全部そうだ(笑)から、レヴィナスを読むならまずこれを嫁、「顔」がどうしたこうしたという話はその後でいい、とわたしなら言う。

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