惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

高速哲学入門(223)

2011年08月13日 | わけの判らぬことを云う
書いてみたらわけが判らないことを書いているので、今回のは「わけの判らぬ」カテゴリに放り込んでおく。

「デリダ、フーコー、ドゥルーズに興味がある」なんていう典型的な80年代的思想オタが今でも沢山いるのかどうか、気になりますね。僕は悲しいくらいに典型的なハマり方しちゃってますが。
(saltyapple)

冗談じゃない、ある意味では今の方がずっと多いくらいなんじゃないか。

80年代にもこの3名の本は確かに流行ったけど、何が流行ったと言ったって要はせいぜい雰囲気だけのハナシだったんだ。ちゃんと読めてた奴なんてほとんどいなかったわけでさ。もちろん俺もだ(笑)。今は日本語訳も増えたし、解説書とか哲学的二次創作(笑)も、前ほどチンプンカンプンではなくなったりしているから、昔に比べりゃずっと入りやすくなっているんじゃないだろうか。もっとも、判れば判るほど「ほんとに中身あんのかこれ」感も強くなってきてるけどな。

フーコーだけは相当先まで残るんだろう。英米哲学はフーコーに文句はつけているにしても、結局無視することはできないんだ。今んとこ手に負えないから「はいはい人間の終わり人間の終わり」くらいのことになっているけど、しばらくしたらいい加減なんとかせいやゴルァくらいの話は出てくるんだろう。それはいつだと言って、ざっと百年は先のことなんじゃないか(笑)。で、それが読んで判る日本語になるまでにまた百年(笑)。そのころには日本なんて影も形も残ってねえよ!

そういうわけで、俺はどうせ原語で読めやしないおフランス語の哲学は「参考」程度に考えるようになっている。老い先短い中高年だから見切りをつけざるを得ないということだ。若い人(笑)は好きにすりゃあいいわけなんだ。俺の知り合いでもこのあたりからのめり込んでとうとうヨーロッパに移住しちゃった奴までいる。そういう人はもう、身も心も日本とか全然関係がないんだ。ほんとに見事に切れちゃってて取りつく島もないんだ。びっくりするよ。

だから外人思想オタでまっしぐらは別に少しも悪かないけど、やるならそこまでやらなきゃならんし、やらなかったらたぶん、もはや何の意味もないんじゃないだろうか。

なんでこんなこと書くのかというと、俺の知り合いでもそこらへん中途半端に済ませちゃったやつは、たいていガチでアタマがおかしくなってるわけだ。昔から「日本のインテリは洋行して帰ってくると気が狂って帰ってくる」というが、あれは居残り組のやっかみでも何でもない本当のことなんだ。なんでなのかと考えてみると理由はひとつしか考えられない。日本人にとって日本は日本だが、洋行帰りは「Global Nothing of Japan」を見ることになるんだ。無を覗き込んで平気な奴なんていやしないんだよ。
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