惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

高速哲学入門(94)

2011年02月07日 | 素人哲学の方法
何の学問でもいいけど、何を目的に数学をやるべき哲学をやるべきでないと言っているのだろう?おそらく論理的思考がつくとか思考ツールとしてとかそういうことでしょ?それは目的のひとつであって、ざっくり学ぶべきでないというのは誤解を生むので辞めて欲しいなあ。
(passive34)

この呟き自体はしごくまっとうなことを言っているのだが、「数学をやるべき哲学をやるべきでない」とか、どこのボンクラが言ってるんだということが気になった。理科系の中でも間抜けな奴は(哲学については無知だから)典型的にこんなことを言うわけだが、そういうのはまったく単純に放っておけばいいわけだし、事実放置されているはずである。この呟きはそれにしては真面目なことを言っているようだから気になった。調べた。そうすると震源地はこのへんらしい。

  哲学書より数学書!

理科系の専門家になろうとしている学生なら、そりゃ数学をやるべきなのである。その場合なら哲学はどうでもいいのである。一般的にはどうなのか。そんなもん考えてみる以前のことで現実が答を出している。電車ん中で哲学書や数学書を読んでる奴がどれだけいるか。ほとんどいないわけである。絶無だと言えないのは、もちろんわたし自身がその例外だからだ(笑)。

読みたいものは好きに読めばいいわけで、読むべきでない本などない。ただ普通の人が普通に読んでいる本の中に哲学書とか数学書とか、そういった類の本は含まれていないということは、常識として一番最初に踏まえておくべき事実である。それを踏まえた上で哲学か数学かを言うのなら意味がないこともないが、そうでないなら単なる世間知ラズのボンクラの戯言だ。

あとひとつだけ言えば、素人哲学だって相当に困難なことだが、素人数学はもっと困難だ。ただの雑学ネタでなしに数学をやりたいと思ったら、ある程度までは大学とかで「手とり足とり」教わる必要がある。これはちょっとどうしようもない事実であるように思う。

それが無理だという人にオススメできる唯一の方法は計算機プログラミングを覚えて、数学の知識が必要な(できれば自分にとって現実的な)課題についてスクラッチから(とは、便利なライブラリとかを使わずに、という意味だ)プログラムを書いてみることだ。知らないと書けないから嫌でも勉強することになるし、合ってるか間違ってるかは計算機の実行結果が教えてくれるわけだ。あるいはうまく書けたとしても、その自作プログラムは「便利なライブラリ」より何百倍も効率が悪かったりする、それをつきとめるのにまた勉強することになるわけだ。
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