惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

高速哲学入門(205)

2011年08月06日 | 素人哲学の方法
原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。

だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です
(吉本隆明「科学に後戻りはない」日本経済新聞8月5日朝刊)
(内容とリンクは日経記事を転載した「将門Web」より)

リンク先のページの主である周という人はWeb上では最もよく知られている吉本読者かもしれない。この記事のあとに感想として「長谷川慶太郎さんは、原発を東京電力のやり方を明確に批判しながら、でも『原発を止めろ!』ということは少しも言われていませんでした。だが私は不安でした。」と書いている。それでどうしても吉本の言葉を聞きたかった、聞けて安心した、と。

俺なんかはそれ聞いてむしろ長谷川慶太郎の方に安心したw 長谷川慶太郎は吉本みたいに理念というか原理原則からものを言うということはしない(これは原理原則がないということとは違う)人だから、こういうことになると吉本よりはすっきりしたことを言うわけだが、それだけに何言い出すかわからんところがあるからな。そういう流儀なんだからそれでいいわけだが、読むとヒヤヒヤするところがある。

吉本の方はまさしく微動だにしていない。震災後の風景については「今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もう、やりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです」と述べていて、本来ならこっちを引用したいくらい正確で率直に述べている。その認識の上でなお科学技術については上記引用の通りを必ず言うわけだ。もちろん世界広しといえどもこう言い切れるだけの根拠を持っている、それだけのことをやってきたのは吉本だけだから言葉に重みがあるわけだ。

ある意味では重みがありすぎるんで、吉本のこの種の発言はアメリシウム煙感知器ならぬ高感度左翼テロ感知器のように作用するところがある。普段は奥の方に隠れていておくびにも出さない連中まで一斉に左翼テロ理念を「イオン化」させられて愚かなことを口走るようになるわけだ。上の日経記事が出たあとなんかも、twitterで検索すると実にその通りの光景が見られる。誰が思想的なババを掴んでいるのかすぐわかって有難いっちゃ有難いが、パッと見には「活性化」した連中が居丈高なことをぞろぞろ言ってるわけだから不愉快きわまりない光景でもある。

前置きが長くなったが、実は上の吉本発言には一点だけ間違いがあると言うべきだ。それを言うためにこれを書いている。間違いというのは「完璧な防御装置をつくる以外に方法はない」と言っているところだ。俺なら「より完璧に近い」と言う。つまり「完璧な」というのは理論的にも無理だということだ。それは市場経済で時に恐慌とかバブルとかその崩壊とかが起きることはどうしたって避けられないというのと、理論的に同じ理由によるものだ。もちろん、だからといって市場経済とか経済発展を「後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じ」だという結論に変わりはない(逆に「後戻りさせろ」と言っているに等しい「脱原発」連中など左翼テロにすぎないということも、これで判るはずだ)。

もともと短いインタビュー記事で、ごちゃごちゃした説明はつけられないことで「だいたいあってる」ところを述べたのかもしれない。また聞き書きした記者が「より完璧に近い」を「完璧」に約めてしまった可能性だってなくはない、とは思う、とはいえ字面は字面だから、これは指摘しておいた方がいいと思う。
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