おおよその動機は数時間前に書いた記事の通りである。つまり、気まぐれである。今日書いた「自殺統計のはなし」を独立したカテゴリにしておくために、とりあえず作ってみた。
「机上の空社会学」というのはもちろん「社会についての机上の空論」という意味である。書かれていることの真偽にかかわらず、あまり意味のない机上の空論だという自虐も含んでいるが、実証(主義)的でないものは頭ッから全部机上の空論だと思われてしまう世の中で、べつに、そう思って貰って一向に構わないから実証主義者は帰れ、という面当ても含んでいる。
あるいは、いまの日本の社会は、その中で個々人が生きて行く社会の存在意義としては空あるいは虚に近いものだという意味で、「空(虚)社会学」とでも呼ぶべきものを、しかも机上の空論としてやったもの、くらいの意味に取ってもらっても構わない。たまたま手始めに自殺統計を眺めてみたが、それを書いている間のわたしの眼差しは株価や為替相場の統計データを眺めている時とほとんど違わないものだったと言えば、わたしにこの社会の「実体」に触れようという気持ちなどは、もはや全然ないのだということはお判りいただけよう。
「机上の空社会学」というのはもちろん「社会についての机上の空論」という意味である。書かれていることの真偽にかかわらず、あまり意味のない机上の空論だという自虐も含んでいるが、実証(主義)的でないものは頭ッから全部机上の空論だと思われてしまう世の中で、べつに、そう思って貰って一向に構わないから実証主義者は帰れ、という面当ても含んでいる。
あるいは、いまの日本の社会は、その中で個々人が生きて行く社会の存在意義としては空あるいは虚に近いものだという意味で、「空(虚)社会学」とでも呼ぶべきものを、しかも机上の空論としてやったもの、くらいの意味に取ってもらっても構わない。たまたま手始めに自殺統計を眺めてみたが、それを書いている間のわたしの眼差しは株価や為替相場の統計データを眺めている時とほとんど違わないものだったと言えば、わたしにこの社会の「実体」に触れようという気持ちなどは、もはや全然ないのだということはお判りいただけよう。