やはり、無批判にホメオパシーを受け入れてしまう科学リテラシーの無さがまだまだ世の中にあるんだということを認めないといけないし、それを「意見の多様性」の中で許してしまっていいものかどうか、という議論が必要だろう。まあ、科学哲学的にはメタな議論もあると思うが…… (Historyoflife) |
この呟きの主の人の肩書は「科学ジャーナリスト」なのだそうだが、その科学ジャーナリストがこんな認識では困る。
ホメオパシー云々の問題は「科学リテラシーの無さ」の問題ではない。ホメオパシーに「科学的根拠がない」ということは、普通に説明すれば誰でも理解するはずのことである。肝心なのはその「誰でも」ということにはホメオパシーの信奉者も、おそらくは含まれるということである。たぶん彼らはこう言うはずだ。「いかにも、仰る通りホメオパシーの効能に科学的根拠はないと言っていいだろう。だが、それがどうした?」と。効能に科学的根拠がないということは、効能そのものが存在しないことの証明として十分ではないと彼らは考えている、というか信じているわけである。
必要なことはホメオパシーの効能に科学的根拠がないことは効能が存在しないことの証明として十分であることを証明する(またそれを啓蒙する)ことではまったくない。そんなのは「じゃあそれも書いてくれ。で、なぜそう言えるんだ?」式の無限退行に陥るだけで無意味である。必要なこと、何よりも先に求められていることは、ホメオパシーの効能を信じる人達は、とりたてて合理的ではないにしてもそうと信じる「理由」を持っているということで、彼らがそれを持っている(あるいは、それを持っている彼らが存在する)という事実を認めることと、その「理由」が何であるのかを理解することである。実際、それをしない限り、ホメオパシーの信奉者達が議論そのものを拒否するに到るであろうことは確実だとわたしには思える。
科学者や科学ジャーナリズムにはまず、こうしたことが一義的には科学者や科学ジャーナリズムの仕事でもなければ使命でもないという認識を積極的に持つことが求められている。これが科学の問題でないことは確かだからである。科学的真理の問題に意見の多様性もへちまもないということだ。
もっとも、こうしたことのすべては、ホメオパシーの信奉者がこれ以上増えることが社会的にそれほど大問題だと言えるならのハナシである。そもそも、わたしにはそうは思えないのである。ではなぜこれを書いているかというと、ホメオパシーの方はたいした問題ではないとしても、科学的根拠が存在しないことは根拠一般が存在しないことだという誤った認識を、科学ジャーナリストを自称する人物でさえ持っているという事実は、わが国わが社会の哲学思想的な危機と言っていい大問題を潜在させていると思っているからである。