今頃になって自分が「count (as)」の訳を思いっきり間違えていることに気がついた。
これまでうpしてきた訳文では、適当に意訳しているところは別として、これを「説明する」(countが名詞の場合は「説明」)と訳してきたが、たまたま訳がうまく行かない箇所があって改めて辞書を引き直したら、そんな訳語はない(笑)。「count as」は「と思われる」、名詞の「count」は「論点」ないし「観点」と訳すのが、たいていの場合は適当であるようだ。いま調べてみると、どうもアタマの中で「account」の訳語とごっちゃになっていたらしい。
馬ッ鹿でやんの、と嘲笑われても仕方のないことだが、ワタシの脳はもともと異常に記憶容量が小さいので、こんなことはしょっちゅうなのだ。語形も意味も接近したふたつの語と意味を区別して覚えていることができず、いつからか混じってしまっていたのだ。だから脳なんてものは金輪際アテにはできないということだ。
とはいえ、翻訳という作業は、これはどうしたってある程度までは脳の記憶「機能」に頼らざるを得ない(すべての単語を毎回辞書で引いて調べるわけにもいかない)。いかに誤動作だらけでもまだ脳の方が計算機よりよく機能するのだから仕方がない。そうは言っても所詮は機械である。しかも最初からポンコツである。外国語がどうしても苦手だと言わざるを得ないゆえんである。
いずれにせよ近いうちにこれまでの訳を全部点検して直さなければならない。この点検の済んだものから題名に「(c)」を付する(ここから先でうpするものにはつけない)。さしあたって詳細目次の2箇所を修正しておいた。やれやれ・・・。
これまでうpしてきた訳文では、適当に意訳しているところは別として、これを「説明する」(countが名詞の場合は「説明」)と訳してきたが、たまたま訳がうまく行かない箇所があって改めて辞書を引き直したら、そんな訳語はない(笑)。「count as」は「と思われる」、名詞の「count」は「論点」ないし「観点」と訳すのが、たいていの場合は適当であるようだ。いま調べてみると、どうもアタマの中で「account」の訳語とごっちゃになっていたらしい。
馬ッ鹿でやんの、と嘲笑われても仕方のないことだが、ワタシの脳はもともと異常に記憶容量が小さいので、こんなことはしょっちゅうなのだ。語形も意味も接近したふたつの語と意味を区別して覚えていることができず、いつからか混じってしまっていたのだ。だから脳なんてものは金輪際アテにはできないということだ。
とはいえ、翻訳という作業は、これはどうしたってある程度までは脳の記憶「機能」に頼らざるを得ない(すべての単語を毎回辞書で引いて調べるわけにもいかない)。いかに誤動作だらけでもまだ脳の方が計算機よりよく機能するのだから仕方がない。そうは言っても所詮は機械である。しかも最初からポンコツである。外国語がどうしても苦手だと言わざるを得ないゆえんである。
いずれにせよ近いうちにこれまでの訳を全部点検して直さなければならない。この点検の済んだものから題名に「(c)」を付する(ここから先でうpするものにはつけない)。さしあたって詳細目次の2箇所を修正しておいた。やれやれ・・・。