今日はわたしは早朝から出勤していたので、最初に吉本氏の訃報に接したのは昼休みのニュースでだった。書いてみたいことは色々あるのだが、なにしろさっき帰ってきたばかりなので、とりあえずは今日のNHKニュースの抜粋から。
本当言うとこの記事にもいくつかツッコミを入れたいところがあるのだが、今はよしておく。
吉本隆明さん死去 戦後思想界担う “思想界の巨人”逝く 吉本さんは大正13年に東京で生まれ、東京工業大学を卒業後、工場で勤務しながら詩集を発表し、後に評論活動を始めました。昭和30年代に「文学者の戦争責任」や「転向論」などを発表し、左翼運動やプロレタリア文学の作家たちが戦後に主義や主張を変えた「転向」の問題を鋭く批判して注目を集めました。 その後、昭和36年に雑誌「試行」を創刊し、文学や国家を題材に「言語にとって美とは何か」や「共同幻想論」などの代表作を次々に発表しました。あらゆる権力を否定して「大衆」として生きることを原点に、「大衆の原像」という理念に基づいた吉本さんの思想は、当時の新左翼運動の支持を受け活動の理論的な柱となり、1960年代の学生運動に大きな影響を与えました。 80年代以降は宗教や戦争、サブカルチャーなどにも評論の対象を広げて多数の著作を発表し、日本の思想界・文学界に影響を与え続けました。作家のよしもとばななさんは次女に当たります。吉本さんは80歳を超えても執筆や講演活動を続けてきましたが、ことし1月にかぜをこじらせて東京都内の病院に入院し、16日午前2時すぎに肺炎のため亡くなりました。葬儀は近親者のみで執り行う予定だということです。 “独自の思想”惜しむ声 亡くなった吉本隆明さんについて、哲学者の梅原猛さんは、「同じ時代を生きた尊敬する思想家が、また一人亡くなってしまい、本当に寂しい。吉本さんは時代の風潮に従わず、常に反体制で、独自の考え方を持っている珍しい人だった。『共同幻想論』など重要な考え方を提示し、戦後の若い世代や社会に与えた影響は非常に大きかった」と話しています。 吉本さんと交流があった評論家の芹沢俊介さんは、「1960年代に吉本さんの雑誌に寄稿したことがきっかけで、40年以上交流を続けてきましたが、本当に懐の深い、優しい人でした。思想だけでなく、聖書や浄土真宗など宗教や文化にも関心が強く、専門性という壁を徹底的に壊して、あらゆる問題に新しい着想で、本質に迫る人でした。これからも、もう少し元気でいて、いろいろな発言を続けてもらいたかった」と話していました。 批評家で、京都造形芸術大学教授の浅田彰さんは、「社会主義の影響が強かった1960年代に、大衆の欲望を肯定する独自の思想を構築した。その後も、80年代にかけて、マイナーだった漫画などのサブカルチャーを支持するなど、それまでにない見方を提示する、先駆的な思想の持ち主だった。ただ、思想の広がりと共に、本人自身もその思想の中に埋没してしまったように思う」と話しています (NHKニュース・3月16日 5時20分) 吉本隆明さん死去を惜しむ声 戦後の思想界に大きな足跡を残した、評論家で詩人の吉本隆明さんが、16日未明、亡くなりました。87歳でした。親交があった人などからは、吉本さんの死を惜しむ声があがっています。 東京・文京区にある吉本隆明さんの自宅には、早朝から多くの報道陣が集まり、弔問に訪れる人の姿も見られました。訪れた出版関係の男性は、「きょう発売の吉本さんの対談集について話そうと思い、電話をかけていましたが、連絡がつかない状態でした。まさか店頭に並ぶ日に亡くなられるとは、驚いています」と話していました。 よしもとばななさん「最高のお父さん」 吉本さんの次女で、作家のよしもとばななさんは、16日午前、インターネットのツイッターにコメントを投稿しました。この中で「父は最後まですごくがんばりました。父はいつでもひとりではなかったし、家族に愛されていました。最後に話したときに『三途の川の手前までいったけど、ばななさんがいいタイミングで上からきてくれて、戻れました』と言ってくれました。もう一度、話したかったです。『としよりは、同じ話ばかりで情けない』と言うので、そんなことはない、いるだけで嬉しいと言うと、『そう思えたらいいんですけどね』と笑いました。最高のお父さんでした」とコメントしています。 (同・3月16日 12時32分) 吉本さんサブカルチャー評論も 吉本さんは、戦後の思想界を代表する論客として、1960年代の学生運動や多くの知識人に影響を与えたほか、漫画やアニメーションなどのサブカルチャー評論でも議論を展開しました。 日本の戦後思想に大きな足跡を残した吉本隆明さん。その思想の出発点は、「知識人」と「大衆」との関わりについて抱いた疑問でした。言論界で注目されたきっかけになったのが、戦前の左翼運動家や知識人の「転向」への批判でした。昭和33年に発表した「転向論」で、吉本さんは、知識人は知識を身につけるにしたがって大衆から離れ、大衆と向き合おうとしないと、戦前の左翼運動を厳しく批判しました。そして、「大衆の原像」や「自立の思想」ということばを掲げ、大衆に向き合い、みずからも大衆として生きるという理念を表明しました。その思想は、大衆とどう関わるかを模索していた当時の新左翼運動の理論的な柱となり、安保闘争や全共闘運動に大きな影響を与えます。 国家とは人々が作り出した幻想だ、という考えに基づいて、昭和43年に発表した「共同幻想論」は、その難解さにもかかわらず、多くの若者たちに支持され、大学生がこの本を抱えてキャンパスを歩くスタイルが流行しました。新しい文化を積極的に肯定した吉本さんは、1980年代には「ハイ・イメージ論」などの著作を発表し、ビートたけしさんや、ロックミュージシャンの故忌野清志郎さんらを評価したほか、漫画や、人気アニメーションの「新世紀エヴァンゲリオン」などを巡るサブカルチャー評論でも独自の議論を展開しました。 一方で、社会問題に関する発言では、チェルノブイリ原発事故のあとの反原発運動を批判したり、オウム真理教が一連の事件を起こした平成7年に、麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚について、「宗教家として有数の人」「相当な思想家」などと評価して、波紋を呼んだこともありました。吉本さんは、去年も東日本大震災後に、反原発の運動を「原発をやめる、という選択は考えられない。発達してしまった科学を後戻りさせるという選択は、人類をやめろというのと同じ」などと批判する論説を新聞で発表していました。 (同・3月16日 13時20分) 吉本さん“サブカル”も積極評価 吉本さんは、大衆消費社会が進む1980年代以降になると、消費社会の中で生み出される漫画やアニメーションなどのサブカルチャーを積極的に評価し、独自の評論を展開しました。 それまで、文学や絵画などの芸術から一段低く見られていた、漫画やアニメなどのサブカルチャー。吉本さんはこうしたサブカルチャーも文学と同等の価値を持つものとして語り、サブカルチャー評論の先駆けとなりました。1981年に、「トーマの心臓」などで知られる漫画家の萩尾望都さんと対談した際は、「相当思い切って内面性を表現している」と、その表現力を高く評価しました。1997年に出版された、評論家の大塚英志さんとの対談をまとめた本では、90年代に若い世代から熱狂的な支持を受けて社会現象にもなった、アニメーション「新世紀エヴァンゲリオン」について議論しています。 当時、70代に達していた吉本さんですが、「エヴァンゲリオンは、それまでのアニメーションにない『吹っ切れた』表現がある」と述べ、その新しさを高く評価しています。また、エヴァンゲリオンと、村上春樹さんや村上龍さんの文学作品の共通性を指摘するなど、文学とアニメーションを同じ地平で語り、最先端のサブカルチャーに深い関心を寄せています。 大塚英志さんは、「吉本さんは、1億総中流化と言われた戦後の大衆を、知識人の立場で批判するのではなく、総中流化して豊かになった日本人の在り方や、文化そのものを肯定していくというスタンスだった。戦後の日本の大衆に対して全面的な信頼を寄せている感じがあった」と話しました。そのうえで、「高村光太郎からエヴァンゲリオンまで振り幅はあるが、揺らがずに一貫した批評の立場を持ち続けた方だった。漫画を文学と同等に論じていくことに、私自身ためらいがあったが、吉本さんは『そんなためらいには意味がない』とあっさり言い切った。私が文学やサブカルチャーを堂々と批評していくことができたのは、吉本さんの仕事が最初にあったからだと感じている」と話しています。 また、吉本さんと10年以上の交流があった、音楽評論家の渋谷陽一さんは「非常に飾らない、すばらしい人で、いつかこういう日が来るとは思っていたが、非常に残念です。吉本さんの思想は論理的に優れているだけでなく、詩人でもあるため、ことばが非常にエモーショナルで、心に訴える力が強く、思想が肉体化され、吉本さんの熱狂的な支持者がたくさん生まれたと思う。一方で、世の中に反核運動の流れが広がったときに、そうした流れを批判するなど、時代の流れに反して孤立することを恐れず、訴え続けてきたことにも共感を覚えた。まるで思想界のロックミュージシャンのような人だった」と話しています。 梅原猛さん「精神的に共通するものあった」 亡くなった吉本隆明さんについて、哲学者の梅原猛さんは、NHKの取材に対し、「吉本さんも私も、同じ最後の戦中派で、孤独に耐え、どんな時代の風潮にも左右されず、自分の思想をあくまで主張するという、精神的に共通するものがあった。自分の足で立ち、自分の思想を完成させることに情熱を注いだ、日本ではまれに見る思想家で、思想の中身に私は全面的に賛成はしなかったけれど、非常に優れた思想家を失ったという気持ちで、老残の悲しみを覚える」と述べました。また、梅原さんは「『共同幻想論』では、戦争中には日本は神の国という幻想、戦後はマルクス主義など、一つの時代には必ず共同の幻想があるという見地を開いた。いつまでも健康で、日本の一つの良心として、言うべきことを言ってほしかった」と述べ、吉本さんの死を悼んでいました。 (同・3月16日 20時7分) |
本当言うとこの記事にもいくつかツッコミを入れたいところがあるのだが、今はよしておく。