突発的に思いついてカテゴリ題を変えてみた。例によって「~の夕べに」って、いっぺん使ってみたかっただけだということもなくはない。
まあせっかくだから柄にもない動画を貼ってみる。深夜だしー
from YouTube
で、「不良プログラマ」というのはほかでもない、わたしは職業プログラマだが、他人の決めた規則は基本的にも原則的にも実際的にも全部破るというのがポリシーのようになってしまっているところがある。別にそうしようと思ってそうしているというよりも、昔はそんなバカみたいな規則でプログラマの手が縛られるなんてことはなかったのだが、気がつくと規則だらけになっていて、わたしのような古株は黙ってても不良扱いになってしまっているわけである。
せっかくだからその不良の流儀を紹介して行くことにした。まずはインデント・スタイルからで、題名通りのことである。Whitesmithスタイルというのは、たとえばfor文ならこんな風になる。
「ブロックの中括弧は行送りした上でナカミとインデント・レベルを合わせる」のが基本である。この方法の何がいいかというと、C言語はともかくPASCAL/Delphiのようにブロックをbegin/endで括るような言語でも、インデントのつけ間違いをしでかすことはまずないということである。プログラマは、たとえばエディタが「メモ帳」しかないところでプログラムを書かなければならない場合もある。つまり気のきいたインデント・チェッカも何もない環境でも、このスタイルなら耐えられるのである。
そういうところに根拠のあるスタイルなので、タブは当然ハードタブで8文字である。DOS窓でタブを打たせてみればわかる通り、ターミナルのハードタブは普通8文字なのである。設定で変更できる場合もあるができない端末だってあるわけである。
まあせっかくだから柄にもない動画を貼ってみる。深夜だしー
で、「不良プログラマ」というのはほかでもない、わたしは職業プログラマだが、他人の決めた規則は基本的にも原則的にも実際的にも全部破るというのがポリシーのようになってしまっているところがある。別にそうしようと思ってそうしているというよりも、昔はそんなバカみたいな規則でプログラマの手が縛られるなんてことはなかったのだが、気がつくと規則だらけになっていて、わたしのような古株は黙ってても不良扱いになってしまっているわけである。
せっかくだからその不良の流儀を紹介して行くことにした。まずはインデント・スタイルからで、題名通りのことである。Whitesmithスタイルというのは、たとえばfor文ならこんな風になる。
for(i = 0; i < n; i++) { printf("%d\n",i); } |
「ブロックの中括弧は行送りした上でナカミとインデント・レベルを合わせる」のが基本である。この方法の何がいいかというと、C言語はともかくPASCAL/Delphiのようにブロックをbegin/endで括るような言語でも、インデントのつけ間違いをしでかすことはまずないということである。プログラマは、たとえばエディタが「メモ帳」しかないところでプログラムを書かなければならない場合もある。つまり気のきいたインデント・チェッカも何もない環境でも、このスタイルなら耐えられるのである。
そういうところに根拠のあるスタイルなので、タブは当然ハードタブで8文字である。DOS窓でタブを打たせてみればわかる通り、ターミナルのハードタブは普通8文字なのである。設定で変更できる場合もあるができない端末だってあるわけである。