惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

Into the Light - Siouxie and the Banshees

2011年12月23日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

きっと今ではSiouxie Siouxと書いて「スージー・スー」と読む、ということも知らない人が多いだろうから最初にそれを書いておこう。辞書引くとちゃんと載っている綴りで、イギリスでは別に珍しくはない綴りであるらしい。

わたしがバンシーズを聴くようになった経緯は少々ややこしい。ずっと前にこのblogで鴨川つばめの「ミス愛子」という、単行本まで持っている人は珍しい単行本を紹介したことがあったが、そのミス愛子の主人公の妹の友達という設定でスージー・スーをそのまんま女子小学生にしたようなキャラがいたわけである。マンガの方は一向にパッとしない作品だったわけだが、「このキャラいいなあ」と思って模写したりしていたものだった。

そうこうするうちに本屋で音楽雑誌を立ち読み(笑)していたら、そのキャラにそっくりな女性ヴォーカルの写真が載っていて、それがホンモノのスージー・スーだったというわけである。おお、これだこれだ、と思って雑誌を放り出し(笑)そのままレコード屋に走ったものであった。

鴨川つばめが実際にスージーをモデルにしてそのキャラ──呼び名が「パセリ」だったことまでは覚えているのだが、字はよく判らない当て字が使われていたので忘れてしまった──を作ったのかどうかは知らない、が、たぶんそうじゃないかと思っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Black Sheep of the Family - Rainbow

2011年12月21日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

     オツムはカラッポ、万年床で
     未来はコップの底にこびりついてる
     靴はかたっぽ、そろそろヤバイ
     俺の時代が来ることなんてあるんだろうか
     光よ俺を照らしてくれ ついでに俺の鼻先も
     心の休まるヒマをくれ、なんて
     穀潰しが言い出したら際限がないってか
     俺はこの家の厄介者さ

     米は残り半合、無精ヒゲはボーボー
     昔はよかったの退歩主義
     無一物中無尽蔵とは空腹のことか
     武士は食わねど何とやらってな
     光よ俺を照らしてくれ ついでに俺のワン公も
     心の休まるヒマをくれ、だって
     みんな結構ゼータクしてんじゃねえかよ
     一言多い厄介者だ

     社会がどうとか、くだらないぜ
     「規則は守れ、さもなきゃ罰だ」それが社会だ
     金の憂鬱と銀の憂鬱、さあどちらか選べ
     往復ビンタのやられっぱなしさ

     世の中は間違ってる、そして俺は落ちぶれてる
     どうでもいい歌だってことも判ってる
     ああ頭痛がしてきた、もう寝よう
     明日の朝なんて来なけりゃいいのにな
     神よ俺を照らしてくれ ついでに俺を連れて行け
     人づきあいが大切だってのはほんとだぜ
     俺なんて碌でなしさ、みんなの言うのが正しいさ
     俺は一家の余計者

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤットデタマンED

2011年12月08日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

言うまでもなく下の「ヒッグス粒子発見」を記念して紹介するものである。下のニュースを見てから頭の中でこの曲が鳴りっぱなしなのである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢みるジョンジョロリン - 所ジョージ

2011年12月04日 | 年を経た洋楽オタの話
今日は日曜だから何をしようか、と思ってる人はまずこれを聴け。

from YouTube

これ何年だったかな、1978年か79年か、そんなもんだったと思うのだが、これはある意味で憧れだったわけである。生粋の怠け病というものがありうるとしたら、こういうのを実際にホントにやってしまう人がそう呼ばれることになるはずである。

で、これはうつ病とは全然違うとか、抗鬱剤でも草津の湯でも治らない不治の病だとか、そういうことは、わざわざ論ずるまでもあるまいと思う。

十年かそれ以上前からヒキコモリがどうとか言って大騒ぎしていた精神科医とか、そういう連中はどうしようもない殺人級のバカだということは、生粋の怠け病者であるところのわたしにとってはもちろん、三十何年前にこれを聴いていた同世代のほとんどにとっては、最初から判っていることなのである。

怠けることはもとより絶対の正義なのである。あとはただ、この世には正義だけがあるわけではないというだけなのである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Saturday Night - Bay City Rollers

2011年12月03日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

洋楽オタの昔話といったらやっぱりこれに限るのかもだ。BCRが流行ったのはわたしが小学校6年から中学校1年にかけてのことだったのだが、ホントにこれだけはもう、知らないやつが誰ひとりとしていなかった。どう見ても口パクだろとかちゃんと弾いてねえだろとか言いながら皆聴いていた。歌詞も覚えた。今でも素で歌える。そして歌詞の意味は今もって全然知らないしわからない(笑)。このメロディが流れている間に限って、わたしは完全に中学1年生に戻ってしまうのである。こんな曲はほかにはない。

わたしは一応地元の進学校に通っていたわけだが、クラスの中の誰に聞いても「Saturdayの綴りはこれで覚えた。そんなん決まってんじゃねえか。何を間違ったってこれだけはもう絶対間違えっこねえよ」と言っていたものだ。わたし自身もそうだったのだから間違いないことである。このトシになってもSaturdayの語を綴るときは必ず足でステップを踏んでいる(笑)。マジでそうせずには綴れないのである。恐ろしいことである。

西原理恵子のマンガだとクラスの中がBCR派とKISS派に二分されていてどうこう、ということも、地域によってはあったようなのだが、俺の通った学校ではみんな両方聴いていたよ。

もうひとつ。わたしがBCRのことを最初に知ったのはほかでもない電気工作の雑誌「ラジオの製作」の記事でだった。今だったら信じられないというか理解もできないくらいの話だろうが、昔のマニア雑誌というのは「マニアなネタばかり載っている雑誌」ではなくて「読者層がある分野のマニアに限定されている総合雑誌」だったのである。普通の雑誌と違うのは電子回路の配線図とか、アマチュア無線資格の試験対策とかがたくさん載っていることだけで、そういうのを別にすれば内容はまったく普通の中学生向け雑誌だったのである。

で、そういうのに飽き足らなくなると「CQ Ham Radio」とか「トランジスタ技術」とか、そういう雑誌に手を出すようになっていったのである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カネボウCM ブルック・シールズ(1982)

2011年11月27日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

このあいだ「すみれ September Love」の一風堂バージョンを紹介したわけだが、考えてみりゃYouTubeならそれが使われた化粧品のCM映像なんかもうpされているだろう、と思って探してみたら果たしてあった。

普通に「ブルック・シールズ」で検索すれば結果の上の方にこの動画が出てくるのだから、当時はやっぱりみんな注目してたんだろうな。コメントの中に「当時、化粧品屋さんに頼んで、ポスターだけではなく等身大のタテまで手に入れました」というのがあるが、そうそう、確かにあった。等身大POPが。わたしも覚えている。そのコメントの主と同じに化粧品屋に頼み込もうかどうしようかと店の前で数分悩んで諦めた(笑)ものであった。

ブルック・シールズ本人は日本のことをどう思っているかは全然知らないのだが、1980年代の日本では外人の美女と言ったら基本的にブルック・シールズのことだったような気がする。ステレオタイプと言えばそうかもしれないが、どこか日本人好みなところがあるのだ、と当時わたしは思っていた(今も思っている)。紹介しようと思いながらし損ねたままになっている女子プロレスマンガ、かきざき和美「パラダイスレディー」の主人公も、設定上は日本人なのだが見てくれはあからさまにブルック・シールズであったし、そもそもあれだ、今の皇太子さんが若いころブルック・シールズのファンだったというのも、当時割とよく耳にした話であった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

A Thousand Stones - Andy Summers

2011年11月26日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

いつぞやtwitterで呟いていたアンディ・サマーズの「ザ・ゴールデン・ワイヤー」の、確かこれが最終曲である。動画の方はうpした人がつけたものだろうが、これはこれでなかなかいい。

このアルバムにはtwitterで呟いていたこととはまた別の種類の思い出というか思い入れがある。このアルバムが出たのは1989年、つまり中国の天安門事件から東欧の激動まで、とにかく世界中で色々のことがあった年だったわけだが、その激動の年に、なぜだかわたしはこのアルバムを一番よく聴いていた。結果、今でも1989年の出来事を何か思い出すたびに、わたしのアタマの中には必ずこのアルバムの中の曲のどれかが流れるのである。

激動の年にはまったく似つかわしくない、落ち着いた印象の曲が多いアルバムなのだが、つまりその年はわたし自身も個人的にてんやわんやで(日本はバブルの最高潮だった)、仕事上でストレスを抱え込みまくっていたから、音楽を聴くというとどうしてもこういうのが多かったのだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すみれ September Love - 一風堂

2011年11月23日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

twitterを眺めていたらSHAZNAのIZAM氏の名前が出ていたので、あのカヴァー・ヒットの元の方を貼ってみたくなった。昔はともかく、今は一風堂とか知らない──というかラーメン屋のことだと思っている──ワカモノも多いわけである。この「一風堂」は渋谷のディスカウントショップの名前から採られたものである。

わたしは上の動画をうpした本人ではないが、たぶんわたし自身が1982年にこの番組(ザ・ベストテン)を見ている。その年のわたしは浪人生で、というか東京にやってきた年で、予備校に通うのに渋谷を通過すると山手線の電車からその「一風堂」の看板が見えて「おっ、あれが一風堂かあ」などとイモっぽく喜んだりしていたものであった。

そうこうするうちにこの曲が化粧品のCMソングとしてヒットして(もっとも、CM自体は音楽よりもブルック・シールズの踊りの方が面白かったのだが)、割と「知る人ぞ知る」バンドだった一風堂が一気に有名になったのを感慨深くテレビで眺めていたものであった──数学の受験問題集「大学への数学」というやつを解きながら。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Only You Can Rock Me - UFO

2011年11月19日 | 年を経た洋楽オタの話
from NicoNico

(自分でうpした動画なので主コメをそのまま転載)Obsession (1978) ─ 邦題・宇宙征服(笑)より。こういう曲でもどこか哀調を帯びてるマイケル神シェンカー、ヒプノシスのやっつけ仕事(笑)であるがゆえにマジ怖い合成写真ジャケット。生まれて初めて買ったLPがこんなんだった厨房のわたし。

どうせ動画貼るなら、シェンカー神のライブにしとけよ、という方もおられるだろうが、それはだいぶ前にこういうのを貼ったので。・・・とリンクを張るためにその記事を今眺め返したら、こん時も中二病がどうとか書いているな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Viva Las Vegas - ZZ Top

2011年11月15日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

もとはもちろんプレスリーの曲なわけだが、まるで最初からZZ Topの曲であるかのようにバッチリ似合っているのが不思議である。

このカバー曲は1992年(ああこれも1992年か)のベスト盤に収録されていたもので、実のところこのPVは見たことがなかった。バブル崩壊後はテレビの深夜番組も軒並み減るか、内容がどんどん低品質になって行って、この手のPVを紹介する番組なんかも次第になくなってしまったわけである。

念のため言うとこの頃にはまだ深夜のアニメ番組などというものはほとんどなかった。たまにあっても冗談みたいなものばっかりで、まず真面目に見る気はしなかったものである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

My Own Way - Duran Duran

2011年11月12日 | 年を経た洋楽オタの話
from YouTube

なんで唐突に(いつも唐突だけど)この曲が出てくるのかというと、twitterの方で適当なことを呟いていたら何となく出てきたのである。シド・ヴィシャスの「My Way」をいまさら聴かされるよりはいいだろ?

この曲はある一点においてわたしにとって特別な曲である。つまりこの曲が、わたしが最後に買ったドーナツ盤のシングル・レコードになったのである(ちなみに、最初に自分の小遣いで買ったシングル・レコードは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」であった)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイティジャックの歌

2011年11月12日 | 年を経た洋楽オタの話
・・・昔、JリーグのFC東京に「ジャーン」という外人選手がいたとき、出てくるたんびにわたしはテレビの前でこの曲のイントロを口ずさんでいた。ひとり暮らしだから恥ずかしくないもん。

from YouTube

わが両親に言わせると、わたしは幼児だったころ、絵を描かせればマイティ・ジャックの絵、口を開けばマイティ・ジャックの話しかしない、というくらいにのめり込んでいたのだという。自分でも半分くらいは覚えている(笑)。

しかしMJの絵ばかり描いていたつもりはない。せいぜい半分くらいで、残りの半分はニャロメの絵だったはずである(笑)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I Talk To The Wind - Giles, Giles & Fripp (feat. Judy Dyble)

2011年11月08日 | 年を経た洋楽オタの話
twitterでくだらんことをうだうだ呟いていたら、当然のごとくこの曲が思い浮かんできた。

from YouTube

KCのグレグレの方じゃなくこのジュディ・ダイブルのバージョンなのは、わたしが最初に聴いたのは「A Young Person's Guide to KC」に収録されていたこっちのバージョンだからである。こっちを先に聴くとグレグレの方はまったく聴けたものではなくなってしまうのである。


    †真面目な男が遅刻した男に言う
     どこをほっつき歩いていやがった

     僕はこっちにいた あっちにもいた
     その間にもいたんだけどさ

    ‡馬の耳に念仏
     何を言っても通じやしない
     暖簾に腕押し
     こいつは何も聞いちゃいない
     人の話を聞こうともしない

     世界を外から眺めてみたんだ
     何が見えたと思う
     しっちゃかめっちゃか うんざりした顔
     ひたすらそんなものばかり

     (‡くりかえし)

     僕は君の持ち物じゃない
     ガミガミ言うのはやめてくれ
     僕に命令するな 指図するな
     そんなの迷惑なだけなんだ

     (†くりかえし)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スリラー節

2011年11月06日 | 年を経た洋楽オタの話
from NicoNico

だいぶ前に「世界でいちばんダサいシビレ節」(→ニコ動)の動画を貼ったとき、実はフィンランド人のタマシーの古層に云々といったようなことを書いた記憶があるが、あれはやっぱ気のせいだったようだ(笑)。

単純にMAD作家が天才的すぎるのである。どうしてこれ(スリラーPV)とスーダラ節を合わせようという発想が生じるのかまったく判らないが、あまりにもぴたりと合っていて言葉が出ない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Be My Baby - Vanessa Paradis

2011年11月03日 | 年を経た洋楽オタの話
世界基準で言うところのロリータというのはこういうのである。

from YouTube

この曲は前に紹介したSophia Shinasの曲と同じ年、1992年の曲である。こっちの方は日本でもかなりヒットしたので、覚えている人もそれなりに多かろうと思う。

この頃はホントにこういうのを結構聴いていたのである。つまりはまあ、このころのわたしはバブル崩壊の余波でやっぱりそれなりに凹んでいたのである(笑)。一応まだ20代だったし。

あとあれだ、この頃はまだ今あるような「萌え絵」というものはまだ成立していなかったのである。同人誌即売会がセーラームーンだらけでえらいことになっているとか、そういう話を人づてにたまに聞かされる程度であった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする