さて、何しにこれを書き始めたのかと言えば、(1)で述べたように、「とっとと働け」というのも「こうすれば働かなくても大丈夫だ」というのも、いずれもわざわざ論じる甲斐のないことなのであって、だから、それ以外のことを書こうとしているわけである。
現在のわたしは曲がりなりにも職を持っていて給料を稼いでいる。本音を言えばそれとても明日をも知れない何かだと思ってはいるが、とにかく勤め人として働いてはいるわけである。もちろんそれは、根本的なところで言って、好きでやってることではない。「根本的なところで」というのは、仕事の中に何らの意義も楽しみも見出さないのかと言ったら、それはそれで嘘になるということだ。とはいえ、もし仮に宝くじが当たったとしたらどうかということになれば、それはもう決まっているわけである。すぐ翌日にだって全部の仕事をやめているはずだ、ということである。
そんなことはどうでもいいことであって、こうなる以前は、これまでに何度か「絶対に働きたくないでござる」という時期を実際に過ごしたことがあるわけである。それは数か月とか、せいぜい数年のことだった。つまり何十年とそれをやっている人に比べたらたいしたことない長さなのだが、そうは言ってもその状態自体が独特の困難な心理状態であるわけである。この心理状態とその困難の質それ自体は、長さには関係がないと思っている。
わたし自身の経験から言えば、この状態から自力で(というか、筋道の立った形で)脱出することは、端的に言って不可能である。つまりこの状態に伴う困難は、そのような状態系列に終了状態を与えるような、つまり問題を解決するような種類の困難では(たぶん)ありえないということである。たとえばその困難が悩みの形で現われているなら、その悩みには何の意味もないということである。
だったらお前はどうして脱出して来れたのだと問われたら、それはまったく非論理的な「気まぐれ」によってだとしか答えようがない。それは自分自身の気まぐれだったり、外側の世間の方から押しつけられた気まぐれであったりもしたが、いずれにせよ気まぐれであったことは間違いない。つまり、何か合理的な考えなり根拠なりがあるような何かによって、それが生じたことはない、ということである。
強いて言えば、人が生きることの上にはそのような「気まぐれ」が内からも外からも生じうることを否定しないことが大切だ、とは言える。何十年も脱出できない人の中には、そもそもそれを否定してしまっているために脱出できないという人が、いるに違いないと思えるわけである。とはいえ、それを大切に思えるかどうかということ自体がそもそも、その人の生まれついた資質だったり、あるいはたまたま抱え込んだ状況の偶然に左右されることだったりして、結局思いのままにはならないことである。
現在のわたしは曲がりなりにも職を持っていて給料を稼いでいる。本音を言えばそれとても明日をも知れない何かだと思ってはいるが、とにかく勤め人として働いてはいるわけである。もちろんそれは、根本的なところで言って、好きでやってることではない。「根本的なところで」というのは、仕事の中に何らの意義も楽しみも見出さないのかと言ったら、それはそれで嘘になるということだ。とはいえ、もし仮に宝くじが当たったとしたらどうかということになれば、それはもう決まっているわけである。すぐ翌日にだって全部の仕事をやめているはずだ、ということである。
そんなことはどうでもいいことであって、こうなる以前は、これまでに何度か「絶対に働きたくないでござる」という時期を実際に過ごしたことがあるわけである。それは数か月とか、せいぜい数年のことだった。つまり何十年とそれをやっている人に比べたらたいしたことない長さなのだが、そうは言ってもその状態自体が独特の困難な心理状態であるわけである。この心理状態とその困難の質それ自体は、長さには関係がないと思っている。
わたし自身の経験から言えば、この状態から自力で(というか、筋道の立った形で)脱出することは、端的に言って不可能である。つまりこの状態に伴う困難は、そのような状態系列に終了状態を与えるような、つまり問題を解決するような種類の困難では(たぶん)ありえないということである。たとえばその困難が悩みの形で現われているなら、その悩みには何の意味もないということである。
だったらお前はどうして脱出して来れたのだと問われたら、それはまったく非論理的な「気まぐれ」によってだとしか答えようがない。それは自分自身の気まぐれだったり、外側の世間の方から押しつけられた気まぐれであったりもしたが、いずれにせよ気まぐれであったことは間違いない。つまり、何か合理的な考えなり根拠なりがあるような何かによって、それが生じたことはない、ということである。
強いて言えば、人が生きることの上にはそのような「気まぐれ」が内からも外からも生じうることを否定しないことが大切だ、とは言える。何十年も脱出できない人の中には、そもそもそれを否定してしまっているために脱出できないという人が、いるに違いないと思えるわけである。とはいえ、それを大切に思えるかどうかということ自体がそもそも、その人の生まれついた資質だったり、あるいはたまたま抱え込んだ状況の偶然に左右されることだったりして、結局思いのままにはならないことである。