この「棚上げ」というのは孫崎享「日本の国境問題」の中で示されていたあの「棚上げ」のことである。この本の中で著者は、国境問題に対処する途のひとつとしてそれがあることを示し、実際に日本と他国の間でも、また日本と関係ない問題でも、しばしばこの途が採られてきて、それ相応の有効性を示している、その実例を紹介している。
わが国の抱える3つの国境問題がその方向で対処されるべきなのかどうか、それはわたしには判らない。それを本気で判断しようと思ったら、日本と相手国のそれぞれの立ち位置とか、問題の背景事情についての具体性に踏み込んだ、要するに専門家の知見が必要になるはずである。そこまで踏み込まないでこれらを論じる意味はないと思う(上掲書はまさにそうした専門家が書いているものだから読む価値があるわけだ)。わたしは専門家の書いたものを読む以上の深い関心は持っていないし、また持ちえないことである。
ただ、わたしが興味深いと思っているのは、この種の(国際)政治問題が計算機プロセスのデッドロックのような状況に準えられるものだとすれば、この「棚上げ」というのは何だと考えられるのかということである。計算機科学においてはこれに類似した概念はないわけである。少なくともわたしは聞いたことがない。
そもそも計算機プロセスのデッドロックの場合、問題になるのは専らそれをどうやって回避するかということである。実際にそれが起きてしまった場合にどうするかということではない。簡単に言えば「起きてしまったら(理論には)どうすることもできない」のである。デッドロックが発生したら、原則としてはシステムを停止させ、デッドロックに入り込んだプロセスを(可能なら)ロールバックさせ、デッドロックの原因になったコードを修正した上で再起動するしかない。ロールバックができない場合の復旧は計算機システムにとって超越的なことになる(たまたまどっかに残っていた古いバックアップ・データを探し出して破損箇所を穴埋めするなどの方法で非正規的にロールバックするとか、そういうことになる)。要は理論もへちまもない現実的なあれこれをごちゃごちゃと色々するより仕方のない何かなのである。
そして(国際)政治におけるデッドロックは専ら「起きてしまったものをどうするのか」の問題であるわけである。そこで「ロールバック」ということはほぼありえないと言っていい。それは国家の時間を巻き戻すのに等しいことである。少なくとも国家を構成するほとんどすべての要素を巻き戻さなければならないし、ほとんどの場合は国家がその上に存在しているところの社会全体の要素もこれに絡んでくることになる。それは一般に不可能である。計算機のデータはどこかに残っていさえすれば再度書き戻すことで「取り返しがつく」。けれども国家や社会の現実は多く「取り返しのつかない」ことばかりである。政治家がしばしば曖昧な答弁をするのは、取り返しのつかないことを言って政治的なデッドロックの状況を生じさせたくないという理由があるに違いないと思う。
計算機プロセスでも政治プロセスでも、デッドロックと呼ばれる現象に直接かかわるのは、実際にはシステム全体の本当に微小な部分にすぎないことが多い。計算機の場合はたった1命令の、1ビットのデータのアクセス順序に関する競合でありうるし、政治の場合は地図上から確認するのが難しいくらいの、海面からほんのちょっとばかり頭を覗かせている小島であったりするわけである。直接かかわるのは本当にそれだけなのに、計算機の場合はその1命令のためにシステム全体がダウンしてしまうことがある。政治の場合は当事国の国家体制そのものを揺るがしかねない(ということは戦争勃発の直接原因になりかねない)ことがある。ミクロな競合がマクロな過程全体をぶち壊しにしかねないし、事実しばしばぶち壊すという点で、両者はとてもよく似ているわけなのである。そして計算機の場合「起きてしまった場合」の超越的でない解決策は、ロールバックが不可能であれば存在しないのである。政治も基本的には同じだが、しかし「棚上げ」には有効性が認められると上掲書の著者は言っている。事実の問題として確かにそう思えることである。歴史的にも有効だと見なさざるを得ない事例が複数存在していて、誰でもそれは事実として確認できる。そして少なくともこの「棚上げ」は、表面的に見れば超越的な何かを必要としない方途のように思えるわけである。
で、この「棚上げ」ということは、正味のところで言って何を意味するのだろうか。意味というのはつまり、それはいったいどのような形で、どのような枠組みのもとで整合的に理論化できるのか、あるいはできないのかということである。
これを書き始めるにあたってこんな類比を実際にやっている既存研究の論文なり書籍なりがあるのかどうか、ざっと調べてみたのだが見当たらない。見当たらないので勝手にいろいろ考えることになるのだが、そういうものがあるのを知ってる人がいたら教えていただければ幸いなことである。もっともこのblogはコメントもTBも拒否している通信途絶blogなので、直接報せる手段は存在しない。
わが国の抱える3つの国境問題がその方向で対処されるべきなのかどうか、それはわたしには判らない。それを本気で判断しようと思ったら、日本と相手国のそれぞれの立ち位置とか、問題の背景事情についての具体性に踏み込んだ、要するに専門家の知見が必要になるはずである。そこまで踏み込まないでこれらを論じる意味はないと思う(上掲書はまさにそうした専門家が書いているものだから読む価値があるわけだ)。わたしは専門家の書いたものを読む以上の深い関心は持っていないし、また持ちえないことである。
ただ、わたしが興味深いと思っているのは、この種の(国際)政治問題が計算機プロセスのデッドロックのような状況に準えられるものだとすれば、この「棚上げ」というのは何だと考えられるのかということである。計算機科学においてはこれに類似した概念はないわけである。少なくともわたしは聞いたことがない。
そもそも計算機プロセスのデッドロックの場合、問題になるのは専らそれをどうやって回避するかということである。実際にそれが起きてしまった場合にどうするかということではない。簡単に言えば「起きてしまったら(理論には)どうすることもできない」のである。デッドロックが発生したら、原則としてはシステムを停止させ、デッドロックに入り込んだプロセスを(可能なら)ロールバックさせ、デッドロックの原因になったコードを修正した上で再起動するしかない。ロールバックができない場合の復旧は計算機システムにとって超越的なことになる(たまたまどっかに残っていた古いバックアップ・データを探し出して破損箇所を穴埋めするなどの方法で非正規的にロールバックするとか、そういうことになる)。要は理論もへちまもない現実的なあれこれをごちゃごちゃと色々するより仕方のない何かなのである。
そして(国際)政治におけるデッドロックは専ら「起きてしまったものをどうするのか」の問題であるわけである。そこで「ロールバック」ということはほぼありえないと言っていい。それは国家の時間を巻き戻すのに等しいことである。少なくとも国家を構成するほとんどすべての要素を巻き戻さなければならないし、ほとんどの場合は国家がその上に存在しているところの社会全体の要素もこれに絡んでくることになる。それは一般に不可能である。計算機のデータはどこかに残っていさえすれば再度書き戻すことで「取り返しがつく」。けれども国家や社会の現実は多く「取り返しのつかない」ことばかりである。政治家がしばしば曖昧な答弁をするのは、取り返しのつかないことを言って政治的なデッドロックの状況を生じさせたくないという理由があるに違いないと思う。
計算機プロセスでも政治プロセスでも、デッドロックと呼ばれる現象に直接かかわるのは、実際にはシステム全体の本当に微小な部分にすぎないことが多い。計算機の場合はたった1命令の、1ビットのデータのアクセス順序に関する競合でありうるし、政治の場合は地図上から確認するのが難しいくらいの、海面からほんのちょっとばかり頭を覗かせている小島であったりするわけである。直接かかわるのは本当にそれだけなのに、計算機の場合はその1命令のためにシステム全体がダウンしてしまうことがある。政治の場合は当事国の国家体制そのものを揺るがしかねない(ということは戦争勃発の直接原因になりかねない)ことがある。ミクロな競合がマクロな過程全体をぶち壊しにしかねないし、事実しばしばぶち壊すという点で、両者はとてもよく似ているわけなのである。そして計算機の場合「起きてしまった場合」の超越的でない解決策は、ロールバックが不可能であれば存在しないのである。政治も基本的には同じだが、しかし「棚上げ」には有効性が認められると上掲書の著者は言っている。事実の問題として確かにそう思えることである。歴史的にも有効だと見なさざるを得ない事例が複数存在していて、誰でもそれは事実として確認できる。そして少なくともこの「棚上げ」は、表面的に見れば超越的な何かを必要としない方途のように思えるわけである。
で、この「棚上げ」ということは、正味のところで言って何を意味するのだろうか。意味というのはつまり、それはいったいどのような形で、どのような枠組みのもとで整合的に理論化できるのか、あるいはできないのかということである。
これを書き始めるにあたってこんな類比を実際にやっている既存研究の論文なり書籍なりがあるのかどうか、ざっと調べてみたのだが見当たらない。見当たらないので勝手にいろいろ考えることになるのだが、そういうものがあるのを知ってる人がいたら教えていただければ幸いなことである。もっともこのblogはコメントもTBも拒否している通信途絶blogなので、直接報せる手段は存在しない。