人間の欲望には色々あるのは判っているが、わたしにはなかなか判らないもののふたつがこれである。判らないというくらいだから自覚されている限りそれがほとんどないと言っていい。
それだと困るかというとそうは困らない。わたしには名誉欲はないが、金銭欲ならある。実に、お金はいくら遣っても足りないものである。お金がたくさんあることは、本来ならそれで悪いことは何ひとつないと思っている。それが悪くなるのは、残念ながらお金はしばしば「後腐れ」を伴うからである。
まあ何にせよ、名誉には金銭が伴う(あるいは金銭に換算可能である)ものだと言えるなら、その金銭を欲するということは容易に理解できるわけである。要はそういうことだろう、と、あるとき知人にそう話したら相手が血相を変えたことがあった。どうも少し違うらしい。いや、その人の口ぶりでは全然違うらしいのだが、全然違うと言われるとわたしは理解しようがなくなるので困る。困った。そして考えた。
そうすると、どうもその根本的な違いの決め手は、それが自由にかかわることであるかどうかであるようだ。金銭がたくさんあるのがどうしていいかと言えば、それだけ自由が増えるように思えるからである。実際、金銭が本当にたくさんあれば働く必要もなくなるわけである。賃労働に拘束されず日々好きなように、自由自在に行動できる。その行動の中身が別の問題を引き起こし得ることをさておくならば、そのこと自体はまったく、この上もないくらい素晴らしいことである。
一方、名誉というのは自由には何の関係もない。いな、それはむしろしばしば自由を阻害する要因である。偉い人というのはエロ本ひとつ、自由に買ったり読んだりすることは、できなくなるものであるように思える。いくら偉くなったってそのために、そんな風に自由が損なわれるのだったら、そんなものは欲しくもないとわたしは思う。
わたしに金銭欲があってもそれほど多くの金銭を現に持っていないこともそれで説明がつく。金銭を取得すると大なり小なり伴ってくる「後腐れ」の方は確かに自由を阻害するからである。下手すればそのために生命を失うほど、それは自由を強く阻害するのである。こうなるとどうしても、いかに金銭欲を激しくかき立ててみても、じきに頭打ちになってしまうようである。
面倒だから大幅に中略して言えば承認欲求というのも同じことになる。承認されると自由が増えるならそれは求める気になるし、逆だったらそんなものタダでも欲しくないということになる。そして社会的承認なるものはそれを自覚したら最後、承認されるかどうかのそれ自体に自分が拘束されてしまう何かである。だったらいらない。
以上はもちろんわたし個人の場合である。そしてわたし個人のこうした傾向は、一般に人々が名誉とか社会的承認に対してとる態度やその傾向性といったものを、どうやらまったく説明しないのである。あるいは、普通の人はわたしよりはるかに多くの自由をもともと持っているので、それが少し損なわれてもいいから名誉や承認を求めるということになっているのだろうか。そんな風には全然見えないし思えない。
それだと困るかというとそうは困らない。わたしには名誉欲はないが、金銭欲ならある。実に、お金はいくら遣っても足りないものである。お金がたくさんあることは、本来ならそれで悪いことは何ひとつないと思っている。それが悪くなるのは、残念ながらお金はしばしば「後腐れ」を伴うからである。
まあ何にせよ、名誉には金銭が伴う(あるいは金銭に換算可能である)ものだと言えるなら、その金銭を欲するということは容易に理解できるわけである。要はそういうことだろう、と、あるとき知人にそう話したら相手が血相を変えたことがあった。どうも少し違うらしい。いや、その人の口ぶりでは全然違うらしいのだが、全然違うと言われるとわたしは理解しようがなくなるので困る。困った。そして考えた。
そうすると、どうもその根本的な違いの決め手は、それが自由にかかわることであるかどうかであるようだ。金銭がたくさんあるのがどうしていいかと言えば、それだけ自由が増えるように思えるからである。実際、金銭が本当にたくさんあれば働く必要もなくなるわけである。賃労働に拘束されず日々好きなように、自由自在に行動できる。その行動の中身が別の問題を引き起こし得ることをさておくならば、そのこと自体はまったく、この上もないくらい素晴らしいことである。
一方、名誉というのは自由には何の関係もない。いな、それはむしろしばしば自由を阻害する要因である。偉い人というのはエロ本ひとつ、自由に買ったり読んだりすることは、できなくなるものであるように思える。いくら偉くなったってそのために、そんな風に自由が損なわれるのだったら、そんなものは欲しくもないとわたしは思う。
わたしに金銭欲があってもそれほど多くの金銭を現に持っていないこともそれで説明がつく。金銭を取得すると大なり小なり伴ってくる「後腐れ」の方は確かに自由を阻害するからである。下手すればそのために生命を失うほど、それは自由を強く阻害するのである。こうなるとどうしても、いかに金銭欲を激しくかき立ててみても、じきに頭打ちになってしまうようである。
面倒だから大幅に中略して言えば承認欲求というのも同じことになる。承認されると自由が増えるならそれは求める気になるし、逆だったらそんなものタダでも欲しくないということになる。そして社会的承認なるものはそれを自覚したら最後、承認されるかどうかのそれ自体に自分が拘束されてしまう何かである。だったらいらない。
以上はもちろんわたし個人の場合である。そしてわたし個人のこうした傾向は、一般に人々が名誉とか社会的承認に対してとる態度やその傾向性といったものを、どうやらまったく説明しないのである。あるいは、普通の人はわたしよりはるかに多くの自由をもともと持っているので、それが少し損なわれてもいいから名誉や承認を求めるということになっているのだろうか。そんな風には全然見えないし思えない。