でぇごんさんの大子日和♪

旧名「大子のでぇごん」。でぇごんさんの茨城県の大子町での日々つれづれ。
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400余年の歴を持つ奥久慈大子の花火大会と灯籠流し。

2016年08月15日 | 日々つれづれ♪

まもなく晩夏、夜になると秋の虫の音が聞こえてきて涼しげな、茨城県の大子町からです

大子の夏、お盆の頃といえば「花火大会と灯籠流し」。
今年も8月14日に開催されました。
主催:大子町花火大会と灯籠流し実行委員会、大子地蔵尊祭典実行委員会



「日本一大きいお地蔵様」こと、大子地蔵尊です。
水難供養と子安安産祈願のありがたいお地蔵様です。

今から400年あまり昔、久慈川が大氾濫したときに、今の松沼橋のあたりにどこからか流れ着いたお地蔵様のような三尺ある石を安置し、子安子育ての二十三夜講を開いたことから始まります。
昭和36年に大洪水に見舞われ、当時は地獄橋だった松沼橋が永久橋の工事になり、現在の土地に地蔵尊は遷座されることになります。
そのとき、日本一大きいお地蔵様の建立が進められ、昭和39年11月23日に高さ9m62cmのコンクリート造りの「大子地蔵尊」が新たにできました。
妊婦さんには灯明に使ったろうそくを授け、お産の時に灯すとお産が軽くなる、また、おばあさん方がこしらえた団子をいただくとよい子が生まれよい子が育つ、といった御利益がありました。
かつては泉町のおばあさん方が縁日を執り持っておりましたが、今では泉町町内会の方々が伝統を守っています。
毎年8月14日の花火大会と灯籠流しの日には、参詣者に笹旗、「おごふ」をお配りしています。



町の袋田の滝キャラクター「たき丸くん」もお詣りに。
たくさんの子供たちに出会えて、たくさんの子供たちと遊べることを願っていったようです。

夕暮れになり、久慈川には灯籠流しが始まりました。



旧七町内からなる、連合若連のみなさんによって水難供養の灯籠流しが執り行われます。
とくに連合若連のみなさんは、花火大会と灯籠流し実行委員会のメインとなる歴史と伝統の伝承者であり、花火と灯籠流しを行うための寄付金集めや準備から片付けまで、大変な作業をこなしています。



一般の方も参加できる灯籠流しも用意されています。
今年の用意した250帳の灯籠は花火が上がる頃には完売となるほどでした。

この灯籠流し、地蔵尊祭典が行われてきた歴史に加わったものです。
大正時代の終わり頃、京都・宇治であった灯籠流しを見た地元の方がその風情に感動し、地蔵尊の供養を久慈川でとの思いで始まりました。
かつては地元である泉町の若手たちが受け継いできたものでした。昔は灯油を使ったのですが、近年は環境配慮で水溶性の素材でできたものを灯籠として流しています。
時代は巡り、今では旧七町からなる連合若連のみなさんで行事を執り持っています。



一連の行事を重ねて、そして始まるのが、仕掛け花火が上がり、スターマイン、早打ち、奥久慈風情のスターマインなど、メインとなる花火です。
今年も久慈川沿岸には花火を観覧するたくさんの人出がありました。

今年で「花火大会」は84回目です。
地蔵尊祭典は400年あまりの歴史を持ちますが、花火大会としては意外や100年にもなりません。

昭和8年、地蔵尊祭典で、大子町で初めて仕掛け花火が打上げられました。そのときから84回となります。
かつてよりこれを楽しみに来る人々は久慈の山々に反響する轟音と夜空の花火に酔いしれたといいます。
間近で見られる音と光の迫力ある花火が大子の花火大会の醍醐味なのでしょう。



大子の商店街でも、夜店が並んでたくさんの人でごった返し、縁日模様でした。



現在のかたちである「大子町 花火大会と灯籠流し」として開催されるようになったのは、昭和60年からです。
当時、筑波科学万博(エキスポ85)が行われ、それを記念して町のイベントとして開催されるようになりました。
地蔵尊祭典、灯籠流し、花火大会の一連の「伝統行事」に加えて、昼間行事としてものまねショーやカラオケ大会、サンバカーニバルなどが盛大に行われた時期もありました。
その名残の代わりに今では、ヨサコイ踊りが演舞されるなど、町のイベントが一連の行事の中に据えられています。

しかしながら、歴史を持って感じることは、大子の花火大会は、お地蔵さんの縁日から始まったこと。
何となしに予算がついて、イベントが組まれてといった良くある企画ではなく、「伝統行事」としての心遣いが活きている祭典なのです!
やはりきちんとお詣りして、御利益を授かっていただきたいと思うところです。
お詣りそびれちゃった、という方は来年はぜひ…


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