瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

お休みの回(長めの休憩)

2013-02-25 01:02:08 | 考える日々
しばらく書くの止(や)めます。

何の因果か、3ヶ月くらい前からこんなものを書き始めました。動機はこれと言ってなく、ま、はずみです。なんかのはずみで書き始めちゃった。間がさしたんですかねえ。動機がないとはいえ書き始めた以上、一年くらいは書きつづけようと思ったんだけど、やはり動機がないまま書くのはシンドイ。で、書く意味を問い続けながら書いていたのね。だけど、いまだに答えを見つけられずにいる。なんでこんなもの、あたし書いているのかしら。
あれこれ考えるのは性分だから、そのようでしか在りえない。だけど公に向けて書くのは別に性分じゃないもんねえ。どうだっていいことなのよ。どうだっていいことは、やりたくないよ、面倒だもの。だけど縁あって書き始めたのだから、何か意味があるのだろうと思って面倒ながらも書いてきた。意味を探しながら書いてきた。公開してるんだから読み手の反応が返ってくるところに意味があるのかしらと思ったりもして、コメントを誘ってみたりした。だけど無反応。どうもそういうことではないらしい。じゃ何? やはり公に向けて書く意味は見つからない。ひたすら手間がかかるばかりで、書いていても消耗するだけ。わけわかんないよ。

ということで、しばらく休みます。意味のない行為に疲れました。休むだけで止(や)めるわけではありません。意味がわからなくとも、やはり一年は続けてみようと思います。続けているうちに何かわかるかもしれない。だから本当なら休まないで続けるべきなんだけど、さすがに疲れた。意味のない行為を3ヶ月もつづけてごらん、イヤになってくるから。

とりあえず1ヶ月くらい休みましょうかねえ。復帰は3月末か4月初めくらい。書く意味が見つかれば、それより早く再開することになるだろうけど、書き続けていても意味が見つけられないのに、休んでて見つかるとは思えないから、早い再開はないだろうね。
では、しばらくのあいだ、さようなら。あたしには書く意味がないんだけど、読んでるあなたには意味があったんでしょうかねえ。もしあったなら、それがせめてもの救いかな。


おまけ
前回、思考の基礎工事をしなくては生きることが破綻すると書いたけど、これは教育を受けた人間の発想だね。あたしはお粗末とはいえ一応教育を受けてるから、教育を受けないアタマで生きていくということが、どういうことなのか分からないのね。だから何かしらで思考を鍛え上げないと生きていけないと考えちゃう。でも庶民も教育を受けられるようになった時代は最近の話で、長い間、庶民は権力者の労働力でしかなく(今でもそうかもしれないけれど)、教育なんて受けられなかったもんね。教育を受けないでも、ちゃんと生きていた。その人生を破綻していたとは言えまい。とはいえ、その生き方を人間の人生といっていいものかどうかも疑問。奴隷だもんね(奴隷は歴史用語としては正しくない気もするけど)、ようするに。

江戸の庶民は教育を受けていた。というより、自分たちでやっていた。幕府はなんにもしてくれなかったからね。教育を受けていた庶民というのは、そのアタマの中も想像しやすい。その想像が当たっているかどうかは別だけど。
室町時代はどうなんだろう。庶民の教育のありように関する知識がない。だけど貨幣経済が発達し始めたくらいだから、幕府に頼らない自前の教育はしてたろう。教育なくして経済活動ができるとは思えない。
鎌倉時代はどうだろう。このころ仏教が庶民のあいだにも広まるようになるから、難解な仏教哲理はわかるわけもないけど、仏教で教化されるようにはなっただろう。
平安時代は? この辺よね、わからなくなるの。仏教は国家、貴族のもので庶民というか奴隷というか、そういう人たちは教育的なものは何も与えられなかった。こういう人たちのアタマの中はどうなってたんだろう。抽象的なことって考えることは可能なのかしら。死について考えたりもしたろうから、可能なような気もする。でもどの程度可能なのかしらね。思考力の質がまったく想像できない。どんな考え方をして生きていたのだろう。教育を受けていない思考がどのような在り方をするものか、さっぱりわからない。それでも人は生きていた。何を考え、何を思った人生だったんだろうね。貴族に搾り取られる理不尽を思ったりもしたろうか。それとも理不尽と考えることもできずにいたのだろうか。もしそうであったなら悲しいことだ。自分の境遇や社会のありようについて考えることが出来ないなんて。でも考えることが出来ないほうが、かえって幸せって見方もあるかもしれない。うーん、しかしそれじゃあ、やっぱりあんまりな気がする。思考力を育てなきゃ、動物と同じじゃん。思考の基礎工事をしなくても生きてはいけるけれど、やはりそれをしないと人間にはなれない。なんだか「まおゆう」みたいなハナシになってきたな。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #68 | トップ | お休みの回(無意味からの脱出) »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。