ニール・ドナルド・ウォルシュ(著) 吉田利子(訳)「神との対話②」(サンマーク文庫 2002年)
著者が神と対話したという、その記録。
実際、神と対話したのかどうかなんて、あたくしにはどうでもいいことです。書いてる内容がおもしろいのかどうか、それだけ。おもしろいですよ、この本。
で、この本、どの箇所を取り上げてもおもしろいですが、ここしばらく「人間は変わらない」って話をしているので、今回はそんな箇所を。
たいていのひとは満足している。だから、世界は変わらない。
たいていのひとは、類似点ではなく相違点が重視され、意見やものごとの不一致が、紛争や戦争で解決される世界で満足している。
人間が変わらないので世界も当然変わらないですね。
ま、世界が変わらないのは別に満足してるからだとは思いませんけど。理屈としては、不満であれば変えようと行動するはずで行動を起こさないということは満足しているってことになる、ということだと思いますが、その考え方は理に勝ちすぎてます。人間は理屈どおりに行動する動物ではありません。感情優位で動きます。理屈で一刀両断するのは厳しすぎる。神さま、ちょっとは手加減してちょうだい。
神さまは容赦ありませんけど、あたくしは人間の立場で考えるので変わらない世界をそれが人間の限界だ、と捉える。仕方がないよ、これが人間だもの。でもこんなモノ云いをしてれば、そんな考え方してるから世界は変わらないのだ、と神さまは叱るでしょうね。ごめんなさい。あたくしは典型的な愚者なのです。
たいていのひとは、自分とちがうことがあると「間違っている」と決めつける。宗教的な相違はとくに認めないが、ほかにも社会的、経済的、文化的な相違を許さない。
(中略)
いまあるシステム以外のシステムを提案すると、たいていのひとはあざわらい、競争や殺人や「勝者による戦争の利益」が、偉大な文明を築いてきたのだと反論する!
ホント、人間は異なる存在を認めませんねえ。認めないどころか否定するもんね。常に自分が正しい。自分が正しいのだから異なる存在は間違っているという理屈。でも唯一絶対に正しいことなんてそうそうありませんよ。みんな違って、みんな正しいことだってあります。
「正しさ」を求めるなら、まず自分を疑うことからだと思います。自分の「正しさ」に普遍性はあるのか。たいていの場合、普遍性なんてありませんよ。立場が違えば「正しさ」なんて簡単にひっくり返ったりしますしね。
ここに自分とは異なる存在の意義があるんですけど、異なる存在を簡単に否定しちゃうってことはたいていのひとは「正しさ」を求めてはいないんでしょう。
取り上げたい箇所はたくさんあって切りがないので、このあたりでやめておきます。
興味のある方は本をお読みください。
著者が神と対話したという、その記録。
実際、神と対話したのかどうかなんて、あたくしにはどうでもいいことです。書いてる内容がおもしろいのかどうか、それだけ。おもしろいですよ、この本。
で、この本、どの箇所を取り上げてもおもしろいですが、ここしばらく「人間は変わらない」って話をしているので、今回はそんな箇所を。
たいていのひとは満足している。だから、世界は変わらない。
たいていのひとは、類似点ではなく相違点が重視され、意見やものごとの不一致が、紛争や戦争で解決される世界で満足している。
人間が変わらないので世界も当然変わらないですね。
ま、世界が変わらないのは別に満足してるからだとは思いませんけど。理屈としては、不満であれば変えようと行動するはずで行動を起こさないということは満足しているってことになる、ということだと思いますが、その考え方は理に勝ちすぎてます。人間は理屈どおりに行動する動物ではありません。感情優位で動きます。理屈で一刀両断するのは厳しすぎる。神さま、ちょっとは手加減してちょうだい。
神さまは容赦ありませんけど、あたくしは人間の立場で考えるので変わらない世界をそれが人間の限界だ、と捉える。仕方がないよ、これが人間だもの。でもこんなモノ云いをしてれば、そんな考え方してるから世界は変わらないのだ、と神さまは叱るでしょうね。ごめんなさい。あたくしは典型的な愚者なのです。
たいていのひとは、自分とちがうことがあると「間違っている」と決めつける。宗教的な相違はとくに認めないが、ほかにも社会的、経済的、文化的な相違を許さない。
(中略)
いまあるシステム以外のシステムを提案すると、たいていのひとはあざわらい、競争や殺人や「勝者による戦争の利益」が、偉大な文明を築いてきたのだと反論する!
ホント、人間は異なる存在を認めませんねえ。認めないどころか否定するもんね。常に自分が正しい。自分が正しいのだから異なる存在は間違っているという理屈。でも唯一絶対に正しいことなんてそうそうありませんよ。みんな違って、みんな正しいことだってあります。
「正しさ」を求めるなら、まず自分を疑うことからだと思います。自分の「正しさ」に普遍性はあるのか。たいていの場合、普遍性なんてありませんよ。立場が違えば「正しさ」なんて簡単にひっくり返ったりしますしね。
ここに自分とは異なる存在の意義があるんですけど、異なる存在を簡単に否定しちゃうってことはたいていのひとは「正しさ」を求めてはいないんでしょう。
取り上げたい箇所はたくさんあって切りがないので、このあたりでやめておきます。
興味のある方は本をお読みください。