瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

#101

2013-05-28 22:51:48 | 考える日々
基本的に毎回読み切りのつもりで書いているんだけど、なんとなくずるずる数回にわたって書き続けることになることもあるね。
というわけで、そんな予定ではなかったんだけど、前回のつづきのようなものを書きます。

人類は自分の思い通りにならないことを克服しようと努力をしつづけているのよね。
初期において最大の克服されるべきままならぬことは食糧の確保だったろう。ま、初期といわず現在でも大事なことだけどね。だから自然まかせにしないで、自らコントロールしようと食糧生産を始めたわけだ。とはいえ農耕だって結局は自然まかせなんだけど、自然に手を加えないで採集しているよりはコントロールに成功しているよね。それは生き延びるためにやりだしたことなんだけど、とにかく人間ってのは歯止めの利かない。やり始めたら何だって思い通りにしないと気が済まないのね。で、生き延びるためとは関係ないことまで思い通りにしようした結果、文明はここまで来たんでしょう。ま、文明のすべてが生き延びることとは関係がないこととは言わないけどね。

文明のことを書くつもりはまったくなかったんだけど、いきがかりでこんな流れになっちゃったので、もう少しこのままつづけます。

文明は人類の「世界を思い通りにしたい」という欲求の産物であるト。それに対峙する存在は「人類の思い通りにならない世界」で、これが自然であるト。という位置づけをすれば、文明が自然を駆逐しようとするのは必然だよね。地球にやさしくなんて掛け声がむなしく聞こえるのは、文明は自然を破壊する宿命であることを知っているからかしらね。

たしかに文明は自然を破壊してきた。かつて文明が繁栄したところは現在砂漠だったり荒れ果てたりしてるもんね。気候変動のこともあるから一概に文明が自然を破壊した結果とばかりはいえないけれど、文明が自然を破壊してきたのは間違いない。
とはいえ、江戸のころは自然と折り合いをつけてやっていたんだから、すべての文明が自然を駆逐する宿命をもっているわけでもないのよね。自然と折り合いをつけながら存続する文明もあるのよ。

文明を「世界を思い通りにしたい」という人類の欲望であると定義しちゃったのが、ちと乱暴だったのかしら。間違っているとは思わないけれど、文明の一面を強調し過ぎた捉え方ではあるか。
というより、こんな定義をしたくなるほどに現在の文明の在り方は自然に対して凶暴とも言えるわけよね。現在の文明が凶暴なのは、文明のもっている宿命というより、文明をそうたらしめている考え方の在りようが問題なわけか。凶暴なのは文明ではなく考え方のほうであるト。

考え方っていうのは世界観といっていいね。
現在の文明は科学技術に支えられているんだけど、その科学の考え方はキリスト教を背景にもっている。ま、いまではキリスト教から科学は離陸しているんだけど、もともとはキリスト教の神学の一部で唯一の真理を探究しようとしているのは現在も同じで、この点において科学はキリスト教の世界観の尻尾には違いないのよ。

というところまでは考えたけど、いかんせんキリスト教のことを知らなさ過ぎる。そのうえ科学史も知らないし。ここで行き止まりか。この先を考えるには勉強しないと無理だね。また宿題が増えた。やれやれ、まいったな。

予定としては、ままならぬこととして病気のことを取り上げるつもりだったんだけど、それはまた次の機会に。なんだか文明のこと考えているうちに迷路に入って行き止まりにぶつかっちゃったね。本当に何にも知らないから、こんなのばっかり。
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