瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

#203

2015-02-17 08:55:19 | 考える日々
以前、「わたくし原理」なんてことを書いたような記憶があるんだけど、世界の在りようというのはトドのつまりそういうことなのよね。「わたくし」が世界を把握するのだもの、どうしたってそうなる。誤解を恐れずにいえば、「わたくし」が世界を創造しているのよ。「わたくし」が創造主よ。

もちろん「わたくし」というのは、あたしのことでもあるけど、あなたのことでもあるのよ。
いつだったか散歩をしていたとき、私は神だ、と書かれた看板を見かけたことがあるんだけど、これじゃ片手落ちだなぁって思った。これだけではだだの気違いである。私は神だ、の後に続けなくっちゃいけない。そして君も。

神という言葉をあたしは根源って読み替えるのよ。すべて根源から発している。あたしも、あなたも。だから根源とつながっているあたしも、あなたも、みんなみんなが神とも言えるのよ。

言い方を変えれば世界は自分の思い込みなのよね。自分が世界はそのようであると規定しちゃうのよ。枠を作っちゃうといってもいい。
だから枠を外すか、それが難しいならせめて間口を広げるか、そんなことをすれば世界は変わるのよ。今よりずっと住みやすくなる。自戒を込めて、そう思う。

おのれ自身を知れ。この金言は有害であるとともに醜悪でもある。自分自身をよく知ろうと苦心する毛虫は、いつになっても蝶にはならないはずだ。

ジイドがこういうことを言っているらしい。孫引きだからどこまで正確なのかはわからないけれど。
知ろうとすることは大切だけど、その過程において自分とはこういうものだと、知るというより規定してしまうことも多いのよね。自分で自分を枠の中に囲い込んじゃう。前に立ち塞がっている壁は始めからそこにあったわけじゃないのよ。自分で拵えたものなのよ。

人は自ら望んでその世界に住んでいるのよ。愛に溢れた世界に住むこともできるし、憎しみに満ちた世界に住むこともできる。世界はそういうふうにできている。
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