瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

莫迦と長生き

2015-02-17 02:43:15 | 随想
四十にして益々迷うわけだが(四十を過ぎたのはとうの昔だけど)、迷ったときには莫迦になることにしている。もっとも、努めて莫迦にならずとも、もともと莫迦だからそのまんまでいればいいだけの話なのだが。

若い頃見たドラマの台詞にあった。
大事なことを決めるときには莫迦になれ。理に勝ってはいけないし、世間の目を気にしてもいけない。後先考えずおもしろそうなほうに行けばいい。
こんなような意味の台詞である。

以来、迷ったときには莫迦な決断ばかり。世間的に見れば、ほら言わんこっちゃないという結果だろうが、私はその結果を楽しんでいる。おもしろそうなほうに行って正解。賢い選択は安全安心だろうが私にとっては退屈なだけだったろう。

迷ったときにはこんなものを指針にすることもある。
どちらを選べば早く死ぬか。

もちろん早く死ねそうなほうを選ぶのである。何で読んだか忘れてしまったが、なるほどこれは私向きの選択法だな、いいことを教えてもらったと著者に感謝した。

別に私は死にたいわけではない。といって生きたいわけでもない。否、生きたいのだな、やはり。ただ死なないようにと望み、死から逃れるためだけに生きたくはないのである。死ぬのを回避した結果として生きている。それを軽蔑するのである。

長生きすることに意味はない。要は内容である。だいたい長生きの定義が間違っている。というか、何を以って生きているとするのか。そこから話を始めるべきである。
何かを成した四十年と何もない八十年。どちらが長生きか。

時間の節約は命の延長につながる。
こんな言い方もあるようだが、つまりは中身ある時間がどのくらい持てたのかということである。漫然とした時間ばかりの八十年は長生きとはいえまい。

莫迦になって、早く死ねそうな道を選ぶ。それこそが長生きの極意である。
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