じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

携帯の中にいた、ばあたん。

2006-08-09 02:00:44 | じいたんばあたん
風邪引きでろくに動くことも出来なかったある日、
思い立って、携帯のデータを整理した。

わたしはデジタルカメラを持っていない。
だから、じいたんばあたんの写真を撮る時にはいつでも
携帯のカメラ機能を使う。

今までも随分整理してきたものの、
いつでも、取り出して眺めたいものだけは
携帯の中にデータを残している。


そこで、たまたま
二年前の秋の、ばあたんの動画を発見した。


動画を撮影した当時のばあたんは、
まだ、会話をすることはそれほど困難ではなかった。
記憶は残りづらくなっていたけれど(10分程度だろうか)
医者に行くために、わたしと二人遠出することも可能だった。

テレビとは何かということも理解できていたし、
 (「どうして箱の中に人が出てくるのかしら?」と、
   子供のような目で問うてくれる姿が可愛かった。
   彼女は疑問があれは素直に確かめようとする、
   そんな少女であったにちがいない)

携帯には「メール」というものがあり
「電気の信号で、文字情報を送ってやりとりしている」
ということも理解できていた。
メールの着信音を覚え、携帯が鳴ると
「たまちゃん、たまちゃん」
と、別の用事をしているわたしのところへ持ってきてくれたりしたものだ。
 
そんなとき、彼女が興味を持ったのが
携帯の持つさまざまな機能だった。

ばあたんの好きな音楽をダウンロードして聞かせてあげたりすると
ばあたんは、目をきらきらさせて、
「たまちゃん、それじゃあ、この曲は?
  ♪~いかにいます父母 恙なきや友垣~♪」
とせがんでくれたり、

ある別の日に、友人から動画が届いたときには、
ばあたんは、動画のなかで話している友人にいちいち
「はい、はい^^ わかりましたよ^^」
と返事をしてくれたりしては、何度もわたしに再生をねだった。
 


そんな二年前の日常の中で、わたしは
ばあたん自身を、偶然カメラの動画に収め保存していたらしい。

ファイルを見つけたときは驚いた。
はやる気持ちを抑えながら、おぼつかない手つきで再生する。


そこには、二年前の、まだ多少元気だったばあたんの姿が映っていた。

カメラを向けながらばあたんに声をかけるわたしに、
最初はいぶかしげな表情を向けるばあたん。

でも、最後の瞬間、


ばあたんは、恥ずかしそうに、ふんわりにっこりと、笑った。
 
明らかに、あの頃の―わたしをまだ分かっていた頃の―、
わたしを労わるように微笑んでくれた、ばあたんがそこにいた。
 


動画を見て、そのときのことを鮮明に思い出す。

ばあたんを撮って、ばあたんに見せてあげて遊ぼうと思ったのだ。
夕方の不安が強くなる時間、少しでもそれをやわらげたくて
でも、アルバムなどをめくるのも少しネタ切れがちだったので、
わたしは、はじめて携帯の動画機能を使ったのだった。
 
撮影できた後、ばあたんに見せてあげると、

「たまちゃん、もう一回みせてちょうだい。
 すごいわねぇ、すごいわねぇ!
 今はこんなことも出来るのねぇ。
 …わたしの兄妹の姿も、これを使ったら見れるのかしらねぇ」

と頬をほのかに上気させながら喜んでくれていた。
そしてやがて、わたしの手をとって

 「たまちゃん、ありがとう。
  おばあちゃんね、生きているって気がするわ…
  いつもね、とても淋しいのよ。だけど今は楽しいの。」

とぽつんとつぶやいたのだった。


ああ、でも、ばあたん。
本当に思いやりのあったのは、ばあたんの方。


こんなところにかくれんぼして、
こっそり、わたしを待っていてくれたんだ…
 
未来のわたしのことを。
 
本当は恥ずかしがりやさんなのに、
あのとき、撮らせてくれたのは、きっと。 


静かに涙が流れるのを感じながら、
わたしは繰り返しばあたんの笑顔を再生した。
そして
携帯の中のばあたんは、
何度も何度もわたしに笑いかけるのだった。