風邪引きでろくに動くことも出来なかったある日、
思い立って、携帯のデータを整理した。
わたしはデジタルカメラを持っていない。
だから、じいたんばあたんの写真を撮る時にはいつでも
携帯のカメラ機能を使う。
今までも随分整理してきたものの、
いつでも、取り出して眺めたいものだけは
携帯の中にデータを残している。
そこで、たまたま
二年前の秋の、ばあたんの動画を発見した。
動画を撮影した当時のばあたんは、
まだ、会話をすることはそれほど困難ではなかった。
記憶は残りづらくなっていたけれど(10分程度だろうか)
医者に行くために、わたしと二人遠出することも可能だった。
テレビとは何かということも理解できていたし、
(「どうして箱の中に人が出てくるのかしら?」と、
子供のような目で問うてくれる姿が可愛かった。
彼女は疑問があれは素直に確かめようとする、
そんな少女であったにちがいない)
携帯には「メール」というものがあり
「電気の信号で、文字情報を送ってやりとりしている」
ということも理解できていた。
メールの着信音を覚え、携帯が鳴ると
「たまちゃん、たまちゃん」
と、別の用事をしているわたしのところへ持ってきてくれたりしたものだ。
そんなとき、彼女が興味を持ったのが
携帯の持つさまざまな機能だった。
ばあたんの好きな音楽をダウンロードして聞かせてあげたりすると
ばあたんは、目をきらきらさせて、
「たまちゃん、それじゃあ、この曲は?
♪~いかにいます父母 恙なきや友垣~♪」
とせがんでくれたり、
ある別の日に、友人から動画が届いたときには、
ばあたんは、動画のなかで話している友人にいちいち
「はい、はい^^ わかりましたよ^^」
と返事をしてくれたりしては、何度もわたしに再生をねだった。
そんな二年前の日常の中で、わたしは
ばあたん自身を、偶然カメラの動画に収め保存していたらしい。
ファイルを見つけたときは驚いた。
はやる気持ちを抑えながら、おぼつかない手つきで再生する。
そこには、二年前の、まだ多少元気だったばあたんの姿が映っていた。
カメラを向けながらばあたんに声をかけるわたしに、
最初はいぶかしげな表情を向けるばあたん。
でも、最後の瞬間、
ばあたんは、恥ずかしそうに、ふんわりにっこりと、笑った。
明らかに、あの頃の―わたしをまだ分かっていた頃の―、
わたしを労わるように微笑んでくれた、ばあたんがそこにいた。
動画を見て、そのときのことを鮮明に思い出す。
ばあたんを撮って、ばあたんに見せてあげて遊ぼうと思ったのだ。
夕方の不安が強くなる時間、少しでもそれをやわらげたくて
でも、アルバムなどをめくるのも少しネタ切れがちだったので、
わたしは、はじめて携帯の動画機能を使ったのだった。
撮影できた後、ばあたんに見せてあげると、
「たまちゃん、もう一回みせてちょうだい。
すごいわねぇ、すごいわねぇ!
今はこんなことも出来るのねぇ。
…わたしの兄妹の姿も、これを使ったら見れるのかしらねぇ」
と頬をほのかに上気させながら喜んでくれていた。
そしてやがて、わたしの手をとって
「たまちゃん、ありがとう。
おばあちゃんね、生きているって気がするわ…
いつもね、とても淋しいのよ。だけど今は楽しいの。」
とぽつんとつぶやいたのだった。
ああ、でも、ばあたん。
本当に思いやりのあったのは、ばあたんの方。
こんなところにかくれんぼして、
こっそり、わたしを待っていてくれたんだ…
未来のわたしのことを。
本当は恥ずかしがりやさんなのに、
あのとき、撮らせてくれたのは、きっと。
静かに涙が流れるのを感じながら、
わたしは繰り返しばあたんの笑顔を再生した。
そして
携帯の中のばあたんは、
何度も何度もわたしに笑いかけるのだった。
思い立って、携帯のデータを整理した。
わたしはデジタルカメラを持っていない。
だから、じいたんばあたんの写真を撮る時にはいつでも
携帯のカメラ機能を使う。
今までも随分整理してきたものの、
いつでも、取り出して眺めたいものだけは
携帯の中にデータを残している。
そこで、たまたま
二年前の秋の、ばあたんの動画を発見した。
動画を撮影した当時のばあたんは、
まだ、会話をすることはそれほど困難ではなかった。
記憶は残りづらくなっていたけれど(10分程度だろうか)
医者に行くために、わたしと二人遠出することも可能だった。
テレビとは何かということも理解できていたし、
(「どうして箱の中に人が出てくるのかしら?」と、
子供のような目で問うてくれる姿が可愛かった。
彼女は疑問があれは素直に確かめようとする、
そんな少女であったにちがいない)
携帯には「メール」というものがあり
「電気の信号で、文字情報を送ってやりとりしている」
ということも理解できていた。
メールの着信音を覚え、携帯が鳴ると
「たまちゃん、たまちゃん」
と、別の用事をしているわたしのところへ持ってきてくれたりしたものだ。
そんなとき、彼女が興味を持ったのが
携帯の持つさまざまな機能だった。
ばあたんの好きな音楽をダウンロードして聞かせてあげたりすると
ばあたんは、目をきらきらさせて、
「たまちゃん、それじゃあ、この曲は?
♪~いかにいます父母 恙なきや友垣~♪」
とせがんでくれたり、
ある別の日に、友人から動画が届いたときには、
ばあたんは、動画のなかで話している友人にいちいち
「はい、はい^^ わかりましたよ^^」
と返事をしてくれたりしては、何度もわたしに再生をねだった。
そんな二年前の日常の中で、わたしは
ばあたん自身を、偶然カメラの動画に収め保存していたらしい。
ファイルを見つけたときは驚いた。
はやる気持ちを抑えながら、おぼつかない手つきで再生する。
そこには、二年前の、まだ多少元気だったばあたんの姿が映っていた。
カメラを向けながらばあたんに声をかけるわたしに、
最初はいぶかしげな表情を向けるばあたん。
でも、最後の瞬間、
ばあたんは、恥ずかしそうに、ふんわりにっこりと、笑った。
明らかに、あの頃の―わたしをまだ分かっていた頃の―、
わたしを労わるように微笑んでくれた、ばあたんがそこにいた。
動画を見て、そのときのことを鮮明に思い出す。
ばあたんを撮って、ばあたんに見せてあげて遊ぼうと思ったのだ。
夕方の不安が強くなる時間、少しでもそれをやわらげたくて
でも、アルバムなどをめくるのも少しネタ切れがちだったので、
わたしは、はじめて携帯の動画機能を使ったのだった。
撮影できた後、ばあたんに見せてあげると、
「たまちゃん、もう一回みせてちょうだい。
すごいわねぇ、すごいわねぇ!
今はこんなことも出来るのねぇ。
…わたしの兄妹の姿も、これを使ったら見れるのかしらねぇ」
と頬をほのかに上気させながら喜んでくれていた。
そしてやがて、わたしの手をとって
「たまちゃん、ありがとう。
おばあちゃんね、生きているって気がするわ…
いつもね、とても淋しいのよ。だけど今は楽しいの。」
とぽつんとつぶやいたのだった。
ああ、でも、ばあたん。
本当に思いやりのあったのは、ばあたんの方。
こんなところにかくれんぼして、
こっそり、わたしを待っていてくれたんだ…
未来のわたしのことを。
本当は恥ずかしがりやさんなのに、
あのとき、撮らせてくれたのは、きっと。
静かに涙が流れるのを感じながら、
わたしは繰り返しばあたんの笑顔を再生した。
そして
携帯の中のばあたんは、
何度も何度もわたしに笑いかけるのだった。
少し前にたまさんのブログを知ってから、毎日拝見させてもらっています
僕にも祖父母がいて、祖父が今年で66で祖母が64になります
僕はまだ17なんで介護とは無縁に近いのですが、いずれは自分が親を介護しなくてはならない日がくると思っています。
それがどんなに大変でそして時には辛い瞬間があるということもまだ何も経験したことのない僕でもわかります。
私的な事ですが、僕が生まれた時くらいから祖父母の家で飼っていた犬が4月に亡くなってしまいました...。名前はプリン。
16年間生きて人間の年にすると70歳ぐらいで、
去年の秋頃から弱り始めて今年に入ってからはまともに歩けない状態でした。大型犬なので前は外の犬小屋で暮らしていましたが、歩けなくなってからは家の玄関で過ごすようになっていました。
昔散歩に連れていた時はあんなにはしゃいでいたのに・・・。失ってから、どうしてもっと構ってあげられなかったのだろうと思いずっと後悔していました。
亡くなる一ヶ月ほど前に携帯の動画でプリンを撮影して保存していたことを思い出し、再生してみるとそこには飼い猫のルークを抱えた祖母とまだ衰弱しきっていないオムツをはいたプリンが此方を見ていました。
それを見たときは愛しさと同時に遣り切れない思いになり、愛しいはずの思い出があまりにも辛すぎて思い出すたびに心が震えました。今でもその頃に聞いていた曲を聴くだけでプリンのことを思い出して涙している自分がいます・・・。
けれど僕はそれでいいと思っています。泣くことよりも忘れ去ってしまう自分が怖いから。
いつかプリンと過ごした日々が心地良い思い出にかわるまで、僕は思い続けます。
・・・すいません訳のわからない話ばかりで。でもたまさんのブログを見ていると改めて命の大切さを実感します
そして、そんなたまさんと一緒にいるばあたんは本当に幸せだと思います
大切な思い出はいつまでも心にあるから・・・
17歳の青年がこんな風に命をいとおしんでくださる。ジ~ンとしました。
「未来永劫」来永さんの優しい心が亡くならないことを祈ります。
ここに来ると、普段いい加減に流れがちな自分の毎日を反省します。きちんと生きなくちゃ。読む人にそんな気持を起こさせるこのブログは、たまさんだから出来たこと。
あなたの存在はとても大きいと思います。
本当に時として素敵に機能してますよネ…。
さだえchanも、携帯の中では今でも笑顔です。
可愛く優しく笑っています…。
たまさんへ 自分のブログは持ってないんですよ。へぇ~そんなブログもあるんですか!今度時間があったら覗いてみようと思います!私達にとって、携帯電話の機能はもう当たり前のように私達は使っていますが、(カメラ…動画など)お祖母さんにとっては、それがすごく新鮮に見えたんですね!私は、そう言う子供のように色んなものに興味を持つお年寄りの笑顔が好きと言う理由で介護士になろうと思いました!!たまには、携帯画像の整理をして昔を振り返るのも良いものですよね♪(私もたまにやっています!)画像の中のお祖母さんより、今のお祖母さんの病気の進行度が進んでいてもたまさん会話をしたり遊んだりしている時の屈託のない笑顔や素直に喜んだりする気持ちは昔と全然変わってないんですね!介護しているとどんなに辛い事があってもお祖母さんお祖父さんの笑顔に元気をもらいまた「頑張ろう!」って思えるから、介護は、とてもやり甲斐のある内容ですよね!!…って私は何言いたいんだか…(苦笑)これからもお祖父さんお祖母さんの笑顔のためにも頑張ってください!!ではこの辺で…。
そして、ご自分の大切な想いを書き残してくださったこと、とても貴重に嬉しく思っています。
何度も何度も繰り返し読ませていただきました。
>泣くことよりも忘れ去ってしまう自分が怖い
辛さの余り心に蓋をしてしまうのではなく、痛みとともに今を生きようという来永さんの決意を感じ、とても清々しい気持ちになりました。
まだプリンちゃんが天に召されてから日も浅く、
見上げた空の青ささえ胸に突き刺さり、
足元を掠める雑草たちの緑色に涙をこぼす、
…そんな日もまだまだあると思います。
それでも。これから時間をかけて徐々に、プリンちゃんの思い出があなたさまの一部になっていって、この先、一緒に人生の冒険へたゆみない歩みを続けていくのだ、…そうわたしも信じています。
最後になりましたが、…わたしが当初このブログを始めた内面的な動機のひとつに、ちょうど来永さんくらいの年頃のかたに読んでいただけたら嬉しいなという気持ちがありました。
ですから、あなたさまからのコメント(書き込むのにさぞ勇気がいったと思います)はわたしに格別大きな喜びをもたらしてくれました。本当にありがとうございます。
また、お時間があるときには気軽に覗いてくださいね^^
お若い方にも読んでいただけたら…と思いながら綴ってきたので、本当にうれしかったです。
>きちんと生きなくちゃ
わたしは逆に、こうやってブログを書くことで得たご縁―neko50さんももちろん含めて―のおかげで、そんな風に思える毎日を過ごしていられるのだと思っています。
今回、台風が来ましたでしょ?その台風は昨日の夜から今朝にかけてわたしの暮らす地域に雨を降らせたのですが、その雨の中で「ああ、これはきっとneko50さんの家の近くを通ってうちに来たに違いない」なんて考えたら、それだけで一日が楽しくなるんです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
いつか遠い未来、機会がありましたら「さだえchan」の笑顔の写真、見せてくださいね
それまで大事に、さだえchanさんの携帯の中に…
>17歳なのに親の将来の事を考えているなんて、偉いな!と思いました。
そうですね。なんとなくですが、来永さんにとってはごく自然に、そういうお考えを持たれているのだろうなと感じました。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、…上手かどうかはともかく「好きだから」どんなことがあっても介護を続けようって思えるって思えるのかなぁって思います。
あとは…人間というものに対する好奇心の強さ…かな?
正直なところ、一年前の今頃と比べてみても、祖母の病状はそれなりに進んだと思います。
でも彼女が彼女であることに変わりはありませんし、わたしが覚えていたらそれで充分やなって最近、思うんですよ。
お仕事で介護に携わるというのは、また違ったご苦労も多いかと思います。でもお仕事だからこその喜びもあると思うんです。なので、ぜひ頑張っていただけたらと思います^^
いつもありがとうございます^^
いつもたまさんのブログで、優しさをおすそ分けいただいています。
お祖母様の笑顔、たからものですね♪
たった一つきりの動画だけど、残っていて本当に良かったって思います。粗い画像の向こうに、ばあたんの超優しい笑顔が見えるんです。