第123話 ナッシェル

2006年06月17日 00時36分32秒 | Weblog

私の場合、観劇の醍醐味は生きている人(役者)のエネルギーを直接、全身で浴びにいくこと。
同じ理由で、講演も好き。
モーツァルト生誕250年、受講して参りましたのは、
大阪芸術大学公開セミナー2006「音の楽しさ楽の愛しさ」
前田昭雄先生(大阪芸術大学音楽学科教授・ウィーン大学名誉教授)
講座「モーツァルトの現在。楽しむ、愛でる、そして『わかる』!」

お話はモーツァルトの現在「今」と現在「現に存在している」をかけて。
先生のお母様が当時4歳の先生を寝かしつける為にかけていた「おねんねの曲」がモーツァルトのメヌエット。
当時はLP、すぐに収録曲は終わってしまう。自動で繰り返し流すことができない。
うとうとする先生の記憶に、曲が途切れないよう合間、合間に添えられるお母様の手…
この曲をきく私は71歳ではない、4歳の私だ。現在。音楽の何とすばらしいことか!
先生がきらきら目を輝かせながら、モーツァルトを楽しみ、愛でる。その思いが伝わる!

感覚的ウィット、メトリックのふくらませ方、自然な範囲で色をつけ、敏活な宇宙をつくりあげたモーツァルト、透明性、不思議、モーツァルトについて語られる音色に引き込まれていく。
何より、どの角度から話しても、先生の「モーツァルトが大好き」が伝わってくる。
純度の高い好きはなんと強いのだろう…講義中、いつの間にやら私もモーツァルト好き。

先生の言葉に導かれ、モーツァルトの曲をききながら、心に景色を描く。
先生のイメージはウィーンで共に暮らす黒猫のこと。楽しそうに語る先生につられ、会場も和らぐ。
ふと、タンゴという名のその黒猫は、奥様が亡くなられた後に飼い始めた猫だとさらりという。
はっとする会場に先生は、「モーツァルトの音楽があったから、その悲しみを乗り越えられたのだ」と微笑み返す。
「お金になる仕事だからではない。モーツァルトと出会いなくして、私の人生の充足はありえない」

モーツァルトを語る先生の笑顔が実に可愛い!
モーツァルトが好き、ご年配の方が発する強いエネルギーに圧倒される。
言葉が悪くて申し訳ないのだが、人間が好きと語るこの老人力に感動した。
モーツァルトの精神は「みんなこんなものさ」。人間好き。人間の弱みを楽しみながら生きよう。
先生が最後に私たちにエールを送る。うまくより、楽しく。愛そう!

※ 書きかれなかった講座メモ
我々は文化の流れの中にある楽しさを先に進めていかなければならない。
モーツァルトがいいという思いが、次の世代の感受性につながっていく。それが文化だ。
いいと思えば、つなげていかなければならない。
みなさん、子供が10歳になる前にモーツァルトのメヌエットをきかせること!

※ 講座の最後の質疑応答
質問者の中に、先生から受けたエネルギーの興奮から、自身の父の思い出を語り始めたご婦人がいた。その話はやや長く、要領を得ず、同じことが繰り返し述べられていた。
先生は、その話の間中、ご婦人をのみ見、会場の誰よりも彼女の話を真摯にきいていた。
質問をきく時の先生は可愛い笑顔というより、真剣で鋭い研究者の目だった。
彼女の話を受けて、どんな話も最後にはモーツァルトに結びつけて、会場の思いに応える。
先生が、「学問が好きであること」、「生徒の言葉に集中し、受け、答えること」
そんな先生に教わった生徒は、きっと勉強が好きになると思えた。
先生は素敵な教授だった…。
楽器もひけない音楽学を専攻する知識もない私が単なる興味本位で、
ウィーンで活躍される教授の講義を無料で受けることができる機会に感謝。
次回、先生に会えるのは7/4の火曜日。
シューマン没後150年に絡めてモーツァルトを語る。楽しみ♪


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