第143話 社会温暖化熱望

2007年02月12日 17時03分53秒 | マタニティーライフ・「さらしな日記」

マタニティウェア通勤2日目の朝、通勤電車で席を譲ってもらった。
感動した。
座りたい!毎日願っていたことが叶ったそのひととき、私は優しさに包まれ、感謝に満たされる。
現実は甘くない。帰りは、もちろん立って揺られて帰る。
思い出しても、つわり期とにかく辛かったのが通勤電車である。
つわりの症状は、込み上げてくる「吐き気・ムカムカ・イライラ」様々ある中、
「乗り物に酔いやすい」も代表的な症状らしい。

朝の満員電車は座れない。
優先座席前に立つもののまだ妊婦とわからないので、譲ってもらえない。
数少ない優先座席への望みは捨てて、運がよければ途中の駅からでも座れるかもと普通座席扉より乗車。
扉付近通路は人と密着お腹がぺしゃんこになるので、嫌がられても車両真ん中まで突き進む。
つり革をつかむ為とはいえ、上に手を伸ばす行為は妊婦にはよくない。
椅子の手すりを持てる位置に立つ。
持てる位置に立てなくても、手を伸ばして何としてでも下にある手すりを持つ。
伸ばした私の手をロープ代わりに持たれかかる人がいる。
気になるが、この手は離せない。腹筋を使ってふんばることができないからだ。
電車の扉が閉まった瞬間、自分を励ましながら次の駅の到着をひたすら願う。

切迫流産と診断を受けての不安と吐き気の中での立って揺られて通勤。冷や汗ものである。
この妊娠初期が、一番、心から、ほんとうに、座りたかった時期。
乗り換え駅に到着。壁によりかかり、しゃがみこむ。
通勤に急ぐ足音を耳元間近にききながら、酔った体の回復を待つ。
その間に乗り換え先の電車が行ってしまう・・・悔しいがまた一本後の電車に乗ることにする。
このようなことを繰り返していたが、大丈夫ですか?と声をかけられたことはない。
善意で人に声をかけた為の遅延着証明なんて出ないし・・・
例え声をかけられても病気じゃないので、私も大丈夫ですと言い返すしかない。
互いに無駄なことはしていないのだが、いきかう足元を見ながら、ふとさびしくなる。
私も少し前まであんな速度で生きていたんだな・・・立ち上がり、乗り換え先へ向かう。
途中、サラリーマンが全力で走ってくる。間もなく発車する電車への駆け込み乗車だろう。
ふらふらして万一彼にぶつかってはいけない。おなかを守るように歩く。
帰りも、ベットタウンへ向かう電車は座れない。帰りぐらい座りたい。
いったん家とは反対方向に向かう電車に乗る。始発駅に向かい、座って帰るのだ。
つわり期の酔い対策であるが、座って帰れることができても、かかる時間の長さに体力を消耗した。

どうしても、どうしても辛い時は・・・
私、妊娠しております。申し訳ございませんが、お席譲ってもらってもいいですか?
そう声をかけるため、もしもの印籠用に母子手帳を鞄の中に入れて持ち歩いているが、
いまだ使えた試しはない。
朝の静まり返った電車で、私より先に乗っているどなたかを選んで声をかける勇気がない。
妊娠初期は妊娠していることが周囲にはわかりにくい。どうすれば?
揺られながら、考える。
交通機関妊婦指定席制。通勤朝用にあらかじめ事前に時刻指定で指定席を確保するというもの。
産科検診のある日等、職場を休暇する日もある。完全平日使用確約できないので、妊婦の都合で空席にしてはいけない。却下。
母子手帳提示座席交替制。誰を指名するかストレス有り。加えて、現在妊婦ではないのに妊婦を装った悪質な利用者の発生も考えられる。却下。
失敗が予想される馬鹿な私の失笑案とは異なり、世の中には賢者がいる。
「マタニティマーク」なるものがあるらしい。
妊産婦が交通機関等を利用する際に身につけ、周囲が妊産婦への配慮を示しやすくするものとして、厚生労働省が推進している。
らしい。どうやら国民に広く周知しているようだが、私は知らなかった・・・
まだ普及率は低いのかしら? では、そのマタニティマークを見て何人の方が席を譲ることができるのかな? 広く国民の関心を喚起することにしたとあるが・・・
カプチーノも厚生労働省の妊産婦にやさしい環境づくりを賛同、
弱小ブログながら喚起に参加。
みなさ~ん、マタニティマーク、可愛いよ! マタニティマークで検索して、見てみてね。

私もこのマークを身につけていたら!・・・?
妊娠中期に入り、ようやくおなかもでてきて、一目で妊婦とわかるように。
だが、相変わらず立って揺られて通勤中。
私のお腹をちらりと見て、席を譲ることなく新聞を大きくひろげるサラリーマン。
できれば私の主人のこんな姿は見たくない。
主人にはこんな時、男としてやはり立ってほしい。
私自身の意思で共働きを選択、時差出勤を心がけずラッシュアワーに乗っているので、「私は妊婦なんだから、席を譲ってよ」などと申し上げる資格などない。
ただ、席を譲ってもらったあの日、私の体を気遣う人の優しさに包まれ、あたたかかったなと・・・

マタニティマーク、シルバーマーク、障害者マーク、マークの周知だけでは心配なことがある。
サラリーマンもOLも学生も、みんな座って下を向いている。
眠っていたり、携帯やゲームをしていたり下を向いているので、マークが見えない。
広く国民の 何を 目覚めさせればよいのだろう・・・
これから生まれてくる我が子に、この世の光がやさしくあたたかいものであってほしい。
感謝で満たされますよう何を目覚めさせればよいのだろう・・・


※かくいう私も今まで下を向いていた側、恥ずかしながら私自身に向かっての言葉。どうか今までの悪行、お許しいただきたい。


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2 コメント

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同じ妊婦として (ぢょにぃ☆)
2007-03-26 10:57:37
某有名新聞会社系掲示板で、『妊婦に席を譲る是非』と言うトピックが盛り上がりを見せています。

一番悲しく思うのは「みんな疲れてる。妊娠は自己責任。自分の子は自分で守るべき」と言う意見や、
「働くのは自分で選んだ事。どうしてもつらいなら、仕事を辞めればいい」と言う意見が普通に書き込まれている事。
そして、目には見えないような障害を持って苦労されている人(当然座れない、譲っても貰えない)が物凄く多いと言う現実。

私は幸い働いていなかったので(緊縮財政ですが)、満員の通勤電車に揺られる事はなかったけど、
前の妊娠の時に一度だけ席を譲って貰って、すごく嬉しかったです。
今回は最寄の路線がいつ乗っても空いているので(笑)、必ず座れますが、
教えた訳でもないのに、娘が、次々乗ってくる人に「席を譲らなきゃ!」と立ち上がってきょろきょろするので、
その姿がとても愛おしく尊く思えます。
前述した通り、車内は空いているので、娘の思惑叶わず、なのですけどね(笑)

でも、本当に必要な時に席を代わってあげられる優しさを持った娘で、ずっといてほしいな、と思います。

その掲示板では「妊婦の方が、譲ってほしいと声をかけて欲しい」とずっと言われています。
でも、とーまさんの日記を見て、それも内心の葛藤を思えば、簡単ではないと分かりました。

うまく言えないんですけど・・・譲り合いの精神と言うか、思いやりや優しさと言うか、ただたんにそう言う事ですよね。
周りに求めても無駄な時代なのかなぁと悲しく思いますが、自分だけは楽な方へ、
無関心な方へ右へなら絵しないようにしたいなと思いました。

因みに、私はベネッセのマタニティマーク持ってます。
・・・でも、全く意味がないので、今は着けてませんね(^-^;)
それに、今(今日から臨月)は、お腹が何より雄弁です。
スーパーでは、店員さんが籠を運んでくれたりして、とても感謝しています。
次もここのスーパーにしようっと、と思ったりしてます(*^-^*)

今は、まだ通勤されているのでしょうか?
いつまで働かれるのかな? 感服いたしました。
でも、無理しないで下さいね;;

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再びぢょにぃ☆様 (とーま由花)
2007-03-28 02:08:09
記事抜粋の言葉を読み、私もぢょにぃ☆と同じく悲しくなりました。

私は、やはり私(妊婦)から席を譲って欲しいと、
先に腰掛けている方に言えません。
もしも私が本気で座りたいと望むのなら、
閑散とした早朝の電車に乗れば、
退社後は自宅方向とは逆になってもいったん
始発駅に向かいそこから乗車すれば済むことですから。
通勤が大変なら、
職場付近に引越しをすることもできるわけです。
でも、私は主人の実家の近くであるこの土地に住み、
ここから通うことを選びます。
人はそれぞれ誰でもみんな何か色々・・・
抱えているのではないでしょうか。だから、
その方とまったく同じ立場に立つことはできないけれど、
思いあえるといいますか・・・

妊婦には絶対席を譲らねばならないという次元の話でも、思いでもなく、
みんな疲れている。
席を譲る方も恥ずかしい勇気がいるんだなどもあるかと思いますが、
やはり言い訳のような気がします。
そこに相手を思う想像力があれば、譲ることができるそんな気がします。

また妊娠が自己責任とは・・・何とも悲しい。
新しい命の誕生です。
同じ日本人の、という狭い枠をこえ同じ地球人の命です。
先に生まれた者が、後から生を受けた者を見つめる
あたたかな視点があってもいいのではないでしょうか。

妊婦だからといって座ることができる資格や権利などありません。
私から席を譲ってくださいとお声掛けするつもりはないのですが、
お腹の出た私が前に立つと、
今まで起きていた方も急に眠気に襲われるようです。
朝、席を譲ってもらえたのはいまだあの一度だけです。
座ることができると期待して乗車するのはやめました。
ぢょにぃ☆のお子様のような優しさに触れると、
あたたかくなります。嬉しくなります。
今回自身の妊娠体験から席を譲る決意ある人が
主人と私の二人、確実に増えました。
私たちの子供が生まれたら、一緒に席を譲ろうと思っています。
これで三人目。拡げていこうと思っています。

妊婦の思いを想像することは、難しいことだと思います。
両親学級・父親学級であるようなパパのマタニティー体験。
それを教育現場で、子供の頃から体験できる機会があればいいなと思います。
体感して、記憶にうっすらとでも残っていたら、
大人になった時、想像たやすく席を譲る優しさ交換が自然にできるかもしれません。
妊婦体験だけではありません。車椅子体験なども。
相手の立場を思いやることのできる想像力を育む「心のゆとり」教育。
席を譲る是非の前に、こちらを是非。

※期待していなくとも、体調によってやはり座れない状況が辛くなることがあります。主人に社会低温化失望を伝えると、妊婦の私が立つことによって、他の誰かが一人座れたんだねといってくれました。





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